漢詩漢文こんにゃく問答
#11 「古典とは」への我流のご返事
川合様
お便り、有難うございます。古典とは何か、これをもう一度考えたいと思っていた私には、川合さんのご意見は、干天の慈雨のように有難いものでした。これから私があれこれ考えることは、川合さんに対する意見でありながらも、私自身に必要となる自問自答のようなものなのです。人ひとりの考えは、内部に迷いなく存在しているものではなく、いくつもの見方が自分の中にあって矛盾衝突しながら、その時々の姿で現れてくるものだろうと思います。自問自答とは、このつもりのことです。
川合さんのご意見には、手放しで賛同できることがあります。それどころか、これは私自身の信条のようなものです。「わたし自身は今、こんなふうに古典を捉えています。わたしたちは自分がかけがえのない一人の個人であると思っていても、実は文化の用意した枠のなかで物を見たり物を考えたりしている」。これを私なりの言い方にすれば、私たちは世界を真っさらに見ているものと「勘違い」している。しかし実は、文化という伝統の色眼鏡をかけており、その眼鏡には、あらかじめ「見える物」や「見え方」が組み込まれているということになります。例えば王朝貴族の聖典となった『古今和歌集』。その世界は恋(相聞)と花(桜)と紅葉という三つの柱で支えられている。つまり、王朝貴族の眼鏡には、世界の中でほとんど三つしか映らなかったということです。
これは極端な、しかしながら実に典型的な例となります。春の花は別に桜だけではない、梅も桃も李[スモモ]も梨もある。しかし王朝貴族の目には見えなかった。それに「渭城の朝雨 軽塵を浥す、客舍青青 柳色新たなり」(王維「元二の安西に使いするを送る」)などと詠まれて漢詩を賑わす春の楊柳も、彼らにはほとんど見えなかった。彼らは異様に狭い視野の中で、世界の全てを見透かしたつもりでいたわけです。(趣味ならともかく、本気で作る文学は世界と対峙する気概に支えられているはずなので、世界の全てと言ってみました)。在ることと、見える(相手にする)ということはことほどさように違うのだと思います。そう言えば、高校の古文の授業で「世の中」とは「男女の仲」と教わったことがあります。中国の伝統的士大夫に聞かせたら、それこそ目を丸くして驚いたことでしょう。漢詩の世界には、基本、恋愛詩などない。彼らは恋愛なき相のもとに世界を見ようとしていたのですから。
――ここでちょっと脱線です。もう十年以上前のゼミのなかの会話ですが、「エェー、信じられないです。『源氏物語』なんて古典じゃないですよ」。発言の主は、韓国人の女子留学生でした。日本人の学生達はきょとんとしていましたが、私は、この場でこれをよくぞ言ってくれたと嬉しくなりました。こうした素朴な発言は、往々、考え抜かれた議論よりも図星を射るものです。朱子学が尊重された李氏朝鮮では儒教的な文学観が貫徹していたはずで、影響は今の韓国にも及んでいるのだと思います。そこでは恋愛は、陰陽の調和である「婚姻」とは別せられた「人倫のノイズ」でしかない。従って「世の中」のことを語る『源氏物語』が古典の扱いを受ける余地など、はなから用意されていなかった。これは韓国人には文学としての源氏物語の面白さが分からないという意味ではありません。要するに「古くても読むに値する書物」と「古典」とは違うのです。両者の境界が消滅している日本と、まだそうなってはいない韓国との違いが垣間見れて、実に面白い。
兎も角、古典は、そうした世界の見え方の骨組みとしてある。もし古典が「古いけれども読むに値する書物」であるなら、「それを価値あり」と認めた私たちの側に、選択権がある。しかしそもそも話は逆なのです。私たちは古典を育んできた文化の伝統の中で、同じことですが、古典という形を取って継承されてきた文化の中で、いつのまにか私たちの価値観は形成されているのです。川合さんの言葉を借りれば、「つまり個であるつもりの自分は実は文化の産物なのだ」。
私の古典についての理解は、ここまでは川合さんと余り変わらないのかもしれません。しかしそのような古典を今の私たちがどのように受け止めるかについては、若干ニュアンスの相違があるようです。
川合さんは、私が古典を「人格を作る鋳型」と述べたのに対して、「わたしなどは過去の人が作った「鋳型」に自分が押し込められてなるものか、と思ってしまいます」と述べられています。
多分、古典のことを「鋳型」と言ってしまったことが、問題の始まりだったのかもしれません。私の本意は、人それぞれにおいて、まだ形もない意識を、人格と呼びうるような確かな姿へと成熟させる場として考えたものなのですが、読みようによっては、様々であるべき人々を型抜きするように無個性にするものともなるわけです。言葉の使い方は難しいものです。しかしこのことによって、私と川合さんの考えの違いも少しだけ浮かび上がりました。
川合さんの仰るように、私たちは「文化、文化の用意する無言の教育環境」の中で、認識し思考しているのです。その無言の教育効果の大事な部分に、古典がある。しかも古典は、文化の中に置物のようにただ置かれているのではなく、人々に反芻されるたびに文化を力強く再生させる、そのような能動態にある物です。
私たちはだいたい、『古今和歌集』をしっかり学んでいるわけでもないのに、春になるとソワソワと花見に繰り出すのは、私たちが『古今和歌集』によって確定された文化の中に生きていることの証でしょう。また文化というのは、頭で合理的に設計されたものではありません。春は桜ばかりが美しいわけではないのに、なぜ桜なのか。それが文化です。合理主義が大手を振ってまかり通る時代に、振り返って文化の由来を考えようとするとき、頼りになるのは古典です。
「すでに用意され、権威を認められた鋳型に若い人を押し込める、そのほうが社会の安定のためには都合がいいのです」と述べる中で、川合さんが敢えて「押し込める」という言い方を選んだところには特別な思いが込められているようです。右にならえの号令一下、全員が同じ方を向かされる。これは伝説的な教育勅語の世界なのかもしれません。なるほど古典は、すでに用意されたものとして私たちにのし掛る。しかし私たちに古典を押し付けてくるその主体は、外から来た気まぐれで横暴な権力などではなく、私たち自身をその中にどっぷりと浸した文化の伝統です。
先ほど、日本では「古くても読むに値する書物」と「古典」との境界が消滅していることに触れました。小林秀雄が「プルターク英雄伝」というエッセイの中に書いています。「今日では、古典という言葉の、伝統的な意味が失われ、古典を積極的に定義するのは、ひどく困難なことになったから、古くて、退屈で、読みづらい、名高い本という漠然たる意見も、消極的だが、一番いい古典の定義となったようだ」。これは1960年の文章なので、この時点で、すでに日本では「古典」から伝統的な意味が失われていたと小林秀雄は考えていた。ではその端緒はいつ頃にあったのかと、私は妄想を逞しくしたくなります。敗戦の時点か。それは勿論のことです。戦後の知識人は、それまであった日本流の考え方を「古層」と称して埋葬しようとしました。しかし話はもっと早く、明治の近代教育の中で始まっていたかもしれません。文明開化に邁進する中で、道徳のまた審美的な「正しさの根拠」が、それまであった古典から剥奪され、欧米流の合理性と実用性を基準とした書物に移行してしまった。「正しさの根拠」ではなくなった古典は、もはや古典であることの伝統的な意味を失ったことになります。こうして日本は、自らの文化的伝統の中で、つまり自前の頭を用いて思考することができず、つねに欧米に答を求めるしかなくなったのかもしれない。私が古典に今いちど目を向けたく思うのは、この少し残念な現実があるためなのです。
しかしこうした大議論は、私の身の丈に合うものではありませんでした。川合さんのご意見に鼓舞されて、余計なことまで書いてしまったようです。
2023年9月27日
松原 朗
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