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#14 正しい読み方・楽しい読み方

松原朗さま

 小学生だった時、まだ家にテレビがなかった頃、「音楽夢くらべ」というラジオ番組がありました。クラッシック音楽の一節を流し、そこから思い浮かべる情景を参加者が語る。曲から紡ぎ出す「夢」は、たとえ標題音楽であっても曲が本来志向する情景に囚われず、各自が好きなイメージを繰り広げるのです。つまり正解はなくて、いかに自由に、豊かに思い描くことができるかを競い合うのです。伯牙[はくが]と鍾子期[しょうしき]の故事では、琴[きん]を奏でる伯牙の胸中の情景を鍾子期がずばり言い当てる、それが「知音」(よき理解者)として称えられます。学校教育の場でも一般に学習とは「正しい解答」にたどり着くこととされます。漢詩漢文は膨大な予備知識を必要とするかに見えるので、初学者は先生の言葉を鵜呑みにしがちです。納得できないのは自分の無知のためと、おとなしく「正解」を受け入れる。それを繰り返しているうちに漢文はしだいになじめないものになっていく。しかし「音楽夢くらべ」のように、一篇の詩からそれぞれに好きな世界を思い描く、そんな楽しい読み方があってもいいのではないでしょうか。そうしたら窮屈で堅苦しそうに見えた漢詩からも、柔軟で創造的な世界が拡がっていくかも知れない。「正しい」読み方を求めるのとは別に、「楽しい」読み方を探ってみたらどうでしょう。

 「千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず」、この詩は中学か高校の教科書に載っていたように思います。きっと杜牧の詩のなかでは日本でもよく知られた一つに数えられることでしょう。でもこれを読んだ「日本人の誰しもが」「ありありと思い浮かべ」「素直な感動」をすると言われると、わたしは何か納得できないのです。わたしのような人もいるかも知れない、そう思って、わたしの覚えた違和感を綴ってみます。
 まず「千里 鶯啼く」――松原さんは「そこかしこに鶯が鳴き交わす世界」と説明しておられます。つまり千里の空間に複数の、たくさんの鶯が啼いている情景です。確かに現実としてはそのとおりなのでしょう。しかしわたしはただ一羽の鶯の声が千里に渡って響いているように受けとめてしまうのです。英語に訳すとしたら鶯は単数形にしたい。だとしたらその鶯の声は「ホウホケキョ」では不都合で、なにかもっと広大な空間をつんざくような鳴き声であってほしい。弦楽器のざわめきより、金管楽器の一声がふさわしそう。そのように受けとめたいのは、「ここもかしこも春になった」ではなくて、鶯の一声が一気に世界中を春に変えてしまったように受けとめたいからです。「千里」は空間の広さだけでなくて、「一気に」といった時間的な突発性も含んではいないか。しかしこう読んだところで、実際にはそんなことはありえない。だからこれは忠実な叙景ではなくて、はなはだ観念的な春の到来です。
 観念的といえば、それに続く「緑 紅に映ず」もそうではないでしょうか。そもそも中国の詩のなかの色彩は補色関係にあることが多い。杜甫の「江は碧にして鳥逾[いよ]いよ白く、山は青くして花は燃えんと欲す」(「絶句」)も、碧―白、青―燃(紅)という極めて単純な対比です。和歌についてはまるで無知なのですが、これほどシンプルな色の対比は和歌だったら避けられるのではないでしょうか。日本と中国の違いの一つです。
 類似の光景として思い浮かぶのは、「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」の歌です。両者は一見よく似ているように見えますが、しかしわたしには日本と中国の違いを示す好例であるかに思われます。「緑 紅に映ず」、緑は植物の葉、紅は花の色なのでしょうが、緑と紅の色が互いに映えている、補色の色どうしであることから互いをよりいっそう際立てている、ということだろうと思います。その時、緑と紅とは対立する関係にあります。相容れることがないからこそ、それぞれが自分をいっそう強く主張しています。一方、「柳桜をこきまぜて」は緑が柳、紅が桜と植物名に入れ替わっていますが、より大きな差異は柳と桜が対比的、対立的関係ではなく、両者が混じり合い、一つに化した光景を捉えていることです。つまり中国の詩は鮮明な対比を好み、日本の短歌は柳と桜が混然一体となった映像を好む、そうした違いを指摘できそうです。間色を中国では嫌い、日本ではむしろ好むという色彩感覚の違いも作用しているかも知れません。「見渡せば」の和歌は『古今集』の歌です。やはり『万葉集』とは違って、日本的感性のあらわれでしょうか。
 わたしが違和感を覚えるのは、色彩だけではありません。「緑 紅に映ず」が春景色であることは確かでも、日本人としては春のうちのいつ頃の時期かが気になってしまうのです。春といえばまず「緑なすはこべは萌えず、若草も藉くによしなし」の春の兆しの時期。次はサクラの登場。つぼみふくらみ、ほころび、開花し、三分咲きを経て、ついに満開、やがて散り初[そ]め、落花盛ん、そして葉桜。花のあとで葉があらわれ、新緑の初夏へと変わってゆきます。こうした日本人の細かく分節された季節感を中国の詩に押し付けるのは当を得ないと思うのですが、ついつい気になってしまう。「城春にして草木深し」(杜甫「春望」)にもいつも戸惑います。「草木深し」は日本だったらむしろ初夏ではないかと。外国の文学を読む時にまで季節を気にしすぎるのは、日本人の悪い癖と分かってはいるのですが。
 季節の捉え方にはもう一つ大きな問題があります。詩のなかではどこの地を基準とするか、です。詩は実際にいる場所と関わりなく、詩的規範に合わせて季節がうたわれるものですが、和歌の場合は京都を中心とすると考えて問題はない。しかし中国では古くは中原を基準としていたのが、晋の南渡以後、江南の風土が入ってきたのではないだろうか。この問題は今後の課題の一つです。
 このように「千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず」の一句は、自分の感覚にすっと入ってくる即物的な春ではなく、抽象的に創り上げられた春のように思われます。かといってそれは「素直な」叙景に劣るわけではありません。むしろここに現実とは位相を異にする春の到来を、聴覚と視覚を通して表現しえていると言えましょう。
 次の句は「水村 山郭 酒旗の風」。ここにも一句目の「千里」が響いています。水辺の村落も山辺の集落もどこもかしこも酒ののぼりが春風にはためく。「風」はもちろん春風ですが、「酒旗」も新酒ができたことを知らせる、これも春の到来と結びつく旗のはずです。一句目と違って、「水村山郭」にはそこに暮らす人々の息吹、春を迎えた庶民の明るい表情が伝わってくるかのようです。
 そして後半の二句、「南朝 四百八十寺[しひゃくはっしんじ]、多少の楼台 煙雨の中」。短詩型文学では時点は一つに固定するのがふつうでしょうが、この詩では前半二句は明らかに麗らかに晴れた天気、後半二句は小雨がけぶっています。しかしどちらも現実の報告ではないのですから、後半が煙霧がかかってもかまいません。かつてこの地にあったであろう多くの仏寺、そのどれほどの楼台が今、春の雨のなかにけぶっていることだろう。細雨のヴェールを隔ててその向こうに昔の光景が幻出する、そこに現在と過去、現実と想像が重なり合う、というのは荒井健先生の『杜牧』(筑摩書房)の解釈です。このように読むことによって、わたしは「素直な感動」をいたします。
 以上、「正しい」読み方ではないかも知れませんが、「楽しい」読み方だと思われませんか。

2023年11月16日

川合康三


(c) Kozo,Kawai 2023

 

 

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