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 「漢文教育は必要なのか。」インターネットでもしばしば盛り上がるこの話題、みなさんはどう考えますか?
 研究者や学校の先生の間でもさまざまな意見や立場がありますが、必要、不要、どちらの考えの人も、漢文が古くから日本の文学や私たちの生活に大きな影響を与えてきたことは認めているのではないでしょうか。
 この連載では、漢詩文の研究者である川合康三先生(京都大学名誉教授)、松原朗先生(専修大学教授)に、ご自身の研究活動や大学での指導をとおして感じた「漢文教育」や「漢文」についてお手紙を交わしていただきます。
 松原先生の「いま、漢文を学ぶことの意義」(「漢文教室」208号,2022)をきっかけにはじまった、知識や話題が豊富なお二人ならではのやりとりを楽しみつつ、漢文教育や日本文化について考えてみませんか。


#1 漢詩漢文は、はたして日本文化なのか

 

 これから川合さんと、漢文の面白さとか、日本文化の中にある漢文の意味とか、日本と中国の伝統文化の比較とか、いろいろなことについて意見を交わしていきたいと思っています。川合さんは最近『中国の詩学』(研文出版、2022年、620頁)という大きな著作を出されて、これまでのご研究を踏まえながら、中国古典文学について巨視的な視点から体系的な論述をされています。川合さんを相手に、私の年来考えてきたことをぶつけながら、私自身の考えも深めていければと思っております。そこで初回ということもあるので、私のささやかな思い出も交えて、話の糸口を見つけてみたいと思います。

 私がこの頃よく考えるのは、漢文ははたして日本文化なのかということなのです。実に陳腐な問ではあるのですが、ここで敢えて私は「日本の文化の一部」という慎重な言い方を避けて、ストレートに漢文は日本文化かと問うことで、覚悟のほどを示したいと思います。漢文は日本文化であるとすれば、一時の気紛れとか、時々の都合で止めてしまうわけにはいかない。逆に日本文化のオプションであるならば、今の私たちは身の回りに何かとやることが増えているので、思い切って忘れることを考えてもよい。全員が捨てる必要はないとしても、好きな人だけやればよいということになります。

 このようなことを私がしきりに考えるようになったのは、漢詩漢文について社会の議論が高揚して、その熱気に鼓舞されたためではありません。その反対に、知らぬ間になし崩し的に日本から姿を消そうとしている現状に対する危機感のためなのです。文化と知識は、根本的に違う。文化は生きて継承されるものです。いったん途切れたものは、知識として復元することはできても、二度と生きて鼓動する文化となることはできないのです。大袈裟に言えばそのような「重大関頭」に居合わせた者として、今の事態は、見過ごしにはできないというのが私の思いなのです。

 日本の近い過去には、自分の楽しみとして漢文を当たり前のように読む人がいました。二つのことを思い出します。私が高校生だった頃、いつの間にか50年前のことになってしまいましたが、当時の日本はパソコンやスマホこそないけれど、欲張りを言わなければ十分に豊かな時代になっていたように思います。(しかし東京も地下鉄はまだ少なく)通学で山手線に乗っていた時に、四十代のサラリーマンが、鞄から読み込んで少し変色した岩波文庫の唐詩選を取り出して読み始めました。社会の漢詩文への関心は薄れつつあっただけに、当たり前の読書生活の中にまだ漢詩がある光景を目にして、不思議な感銘を覚えたものです。
 もう一つは、大学生になってからのこと、神田の古本屋で冨山房の漢文体系で唐宋八家文(上・下)を買いました。漢文体系は、書下し文なしで、原文に返り点と送り仮名が付され、頭注があって難語の説明がある程度のものです。明治の終わりの頃に刊行されたシリーズ物で、当時は人気を博したらしく何度も重版されており、私が買ったものは昭和の初めの、天金を施した薄手のインディアンペーパーのものでした。驚くべきは、巻末に読了の日付が書かれており、上巻は5回、下巻は4回通読されていました。合わせれば1500頁近い大冊ですが、本文には至る所に万年筆の書き込みがあって丹念に読まれていました。漢文が日本人を造ってきたのは嘘ではなかったと思ってしまいます。

 そして今の日本です。漢文の重要性を倦まずたゆまずに唱えていたのは石川忠久先生でした。石川先生は先頃90歲の天寿を全うされましたが、生前、漢文は日本文化であることを主張し、全国漢文教育学会(のち改称されて日本漢字漢文教育学会)を創設されました。漢文は日本文化だという力強い主張もさることながら、その文化の支え手はごく普通の国民だと看破していたことが見事だと思います。漢文は、大学あたりにいる少数の研究者ではなく、国民全体が共有するものとして継承しなければならないということです。そこで石川先生は、高校生に向かって漢文を教えなければならないと考えた。日本の高校進学率は97%を超えていて、ほとんど国民全入に近い状態です。その津々浦々にある高校で、多少のでこぼこはあるとしても漢文が教えられている、この場が大事だと考えたわけです。高校における漢文教育の充実を目標に設立された全国漢文教育学会はすこし珍しい学会で、学会というと普通は学者の集まりとなるのですが、過半数が高校の先生だとうことにこの学会の趣旨が現れていると思います。
 何も漢文に限った話ではないのですが、この思春期後期の高校時代というのがとても大事だと思います。大学に入る前に、人格の根本というか、その人の関心や興味のあり方は決まってしまっていて、大学ではその関心を深める手伝いはできても、新しい関心を育てるにはもはや手遅れの感があります。そもそも漢文が大学で学ばれるとき、中国文学、中国哲学、東洋史、日本漢文学などに関連科目があるのですが、ここで漢文を熱心に学ぼうとする学生の多くは、すでに高校時代から漢文が好きになっていた人たちなのです。だから私は石川先生と共に、漢文に深く馴染んだ先生が、生徒たちに向かって漢文の魅力を語っているそんな教室の風景を想像したくなります。そこでは確実に、漢文好きの生徒が生まれているに違いありません。

 とはいえ、日本で漢文のおかれた状況は決して牧歌的なものではないことぐらいは承知しています。そして、この状況の背後に何が働いているのかを様々な角度から考えてみなければならないと思っています。
 私が往復書簡を始めるときに当たって、もやもやしていることのあらましは以上となります。

2023年3月18日

松原 朗

  川合康三様


Akira,Matsubara 2023

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