通りすがりの「飛び込み営業」から、本書は誕生しました。
のちに先生から伺った話によると、その日、先生はつてのある別の出版社へ、この本の企画書を持ち込みにいらっしゃるところでした。その途中でたまたま大修館書店の前を通られ、「ついでにここにも声をかけてみよう」と、小社に足を踏み入れてくださったのです。この偶然の出会いと先生の行動力によって生まれたのが、『一席二聴 落語で楽しむ古典文学』だと言えるでしょう。
さて、そんな経緯で持ち込まれた企画書を見たとき、「これはなかなか面白そうだ」という感触が、私の中にありました。著者が中高一貫校の国語科の先生であること、内容が古典の教材を落語化したものであること、これらは高等学校国語の教科書を出している小社にとって、好条件であったことも確かです。しかしそれだけでなく、むかし愛読していた子ども向けの落語全集や、中学時代に学校行事で聞いた桂ざこば師の落語のことが思い出され、落語という題材が、子どもにとって、とても魅力的なものになりうるという実感が私の中にあったことも、大きな理由でした。
企画書の段階では、作品のごく一部が添付されていただけで、本当にこの落語作品が面白いのかは未知数でした。そこでまず、井口先生にご連絡して、その時点で出来ていた作品をすべて送っていただきました。読んでみると、これが面白い! このあと、本が出来上がるまでに、担当編集者として校正のたびに何度も同じ文章を読むことになるのですが、何度読んでも面白い。知っているのに、同じくすぐりで笑ってしまう。これって、落語の特長ですよね。知っている話の方が、より笑えるという。落語に限らず、古典作品ってそういうものなのかもしれません。歌舞伎でも、クラシック音楽でも、同じ作品を何度も繰り返し上演するわけですが、何度見ても聞いてもわくわくしたり、感動したり。そういう意味で、本書も立派な「古典」になっていると、私には思えます。
本書には十の落語作品が収められています。それぞれ、『古事記』『竹取物語』『伊勢物語』『枕草子』『大鏡』『源氏物語』『十訓抄』『老子・荘子』『十八史略』『史記』を題材にしたものです。どの話も見事に落語化されていて、どれも面白いのですが、敢えて私のお気に入りを挙げるとすれば……『大鏡』を元にした「花山天皇の出家」でしょうか。政略のため、なんとか帝を出家させようとする藤原道兼と、嫌がってぐずぐずする帝とのやりとりが秀逸です。上の「大修館書店HP商品ページへ」のボタンをクリックしていただくと、その一部が読めます。
もう一作品、『史記』から「鴻門の会」をご紹介。この作品は、もともと先生が準備されていた原稿の中にはなく、本書のために書き下ろしていただいたものです。話の中では、項羽の腹心・范増が、宴の剣舞にまぎれて劉邦を殺してしまおうと、項羽の従弟・項荘に策をさずけます。項荘が劉邦を斬ったあとどうやって逃げようか考えた末、「カニみたいに横に逃げよう」と決め、「斬ったらカニ、斬ったらカニ」とつぶやきながら宴に乗り込むシーンは、思わず笑ってしまいます。また、この話は項羽の叔父・項梁が、羊飼いをしていた楚王の末裔を王に祭り上げようと迎えにいくところから始まるのですが、この場面の羊のイラストが、なんとも良い味を出していて大好きです。消しゴムはんこ作家「とみこはん」さんの作品です。ぜひ書籍でお確かめください。(吉村未知)