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『古代日本と古代朝鮮の文字文化交流』

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 私はいま、「自分の言葉の表記」として何の違和感もなく、漢字かなまじり文でこの原稿を書いている。が、元々、日本人は自国語表記を(というか、文字すら)持たなかった。中国で中国語を表記するためのシステムを、何とか日本語にはめ込んだのが、現在の表記だ。その経過を、「漢字からひらがなとカタカナができた」「それ以前は万葉仮名を使っていた」という以上に説明できる人は、意外と少ないのではなかろうか。
 実は、漢文表記から日本語表記に到る初期段階について、はっきりしたことはわかっていなかった。あるべき「試行錯誤」の痕が、あまり見つからないのである。
 最近になって韓国での発掘調査が進展し、そのナゾが明らかになってきた。どうやら、日本人が漢字漢文を直接アレンジしたわけでなく、朝鮮半島でかなりの四苦八苦があり、ある程度整理されたかたちで日本に伝わったようなのだ(ご存知のように、朝鮮半島の言語は日本語と同じSOV型語順&膠着語である)。
 当時は、言葉や文化の違いはあれど、朝鮮半島と日本の間での往来はもっとずっと自由だったし、政治的な理由で朝鮮半島から人々が大量に渡来してくることも何度かあった。本書は10年に及ぶ日韓共同研究によって、その交流の一端を明らかにした成果である。 
 本書の編者、平川先生とのご縁は1998年に遡る。大修館は創業80周年を迎えていた(Wikiによれば、「郵便番号7桁」「長野五輪」「和歌山毒物カレー事件」、それから、「Kiroro」「モー娘。」「ゆず」「宇多田ヒカル」etc.のメジャーデビュー年)。その前年の97年から出版業界はマイナス成長に入ったが、深刻な雰囲気もなく、「盛大にイベントでもやろう!」ということで、私(入社二年目)が所属していた宣伝部門がイベントの主管となった。
 大修館の看板ジャンルと言えば、「漢字漢文」「英語辞書」「保健体育」である。その頃、全国の弥生~古墳時代の遺跡から、文字(らしきもの)が書かれた遺物が相次いで発見され、「日本最古の文字か!?」の見出しで新聞の1面を賑わしていた。ならば「古代日本の文字世界」をテーマに、当時はやりの学際的シンポジウムがよかろう…ということで、考古学・歴史学・国語学・古典文学の各ジャンルから第一線の先生をお招きしようと考えた(ジャンルをまたぐことで幅広い層の参加者が見込めることもあり)。
 座長は、新聞記事にいつもコメントしていた国立歴史民俗博物館の平川先生にぜひお願いしたいということで、部長と共に佐倉を訪ねた。初めて間近でお会いした平川先生は、考古歴史畑には希なる(?)オシャレかつ若々しい方で、「う~ん、忙しいからねぇ…」とおっしゃりつつも、企画の趣旨に興味を持って下さり、座長をお引き受けいただいた。
 そのシンポをまとめたのが、私の担当した書籍第1号『古代日本の文字世界』(1998年)である。

  その後も平川先生は「日本国内での文字文化受容」「東アジアの中での日本の文字文化」というミクロ・マクロの両視点から精力的に研究を進められた。研究プロジェクトには若手から重鎮、国籍の隔てなく優れた人材が集まり、成果が積み上げられていった。研究が節目を迎えると、平川先生は成果発表としてフォーラムやシンポジウムを開催される。ありがたいことにそのたびに書籍化を担当させていただいている(2冊目が『歴博フォーラム 古代日本 文字の来た道―古代中国・朝鮮から列島へ』〔2005年〕、そして3冊目が本書)。
 歴史系の版元でなくなぜ当社に?…とも思うが、平川先生がこの三冊を「シリーズ」と捉えておられ、また、言語・ことばに関わる内容なので当社の読者も興味をもたれると考えてくださったのだろう。そしてもうひとつには、図版・脚注・キャプションの類を、私が大量に入れるためのようだ。実際は私の理解のためにこれらが必要なのであるが、それはここだけの話にしておいて、その期待に応えるべく、今回も図版・脚注・キャプションは惜しみなく盛り込んだので、図録好きの方はぜひ見ていただきたい。
 また、韓国の地名・遺跡名・地図・遺物をわかりやすく網羅した書籍は展覧会の図録以外にあまりないはずだ。今回は著者の半分が韓国の研究者なので、本文の右に日本語、左に韓国語よみのルビがふってあるのも、ひそかな見どころである(このあたり、早稲田大学の橋本繁先生に全面的に助けていただき、なんとか体裁を整えることができた)。

 日韓の古文書や木簡を眺めると、「漢字文化圏」というフレームがとてつもなく大きな意味をもっていたこと、当時の日本が「文字を使って早く国家の体制を整えなくては」と急ピッチで頑張っていたことが実感される。また、海を渡ってきた朝鮮半島の人々の子孫が日本の地方で活躍していたことも胸を打つ。
 明治以降、急速に太平洋指向となった日本だが、その相対的な把握・評価は本当にできているだろうか。「文系の研究が現代社会において何の役に立つのか?」という問いへの答えとしても、多くの方に読んでいただきたい1冊である。(北村尚子)

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