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中国文学館―詩経から巴金

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 本館は、もともと中国語学習誌の月刊『中国語』に「故紙新筆」と題して、1977年4月から81年3月までの4年間、48回にわたって連載したものに「序説」と最後の1章「巴金」を加えて打ち建てられたものである。文字通りの中国文学の≪館≫(やかた)である。この館の主人・黎波さんは日本語・日本文学、西洋文学にも精通した中国人文学者。もちろん日本の中国文学研究についても造詣が深い。

 本館は八つの部屋(春秋戦国時代、漢魏六朝時代、唐代、宋代、元代、明代、清代、現代)にわかれていて、一応「詩経から巴金」の副題の通り時代順に並んでいるが、平板な中国文学史の館ではない。どの部屋から参観してもよい。いずれの部屋でも一歩入るや、黎波さんという驚くべき日本語の使い手の簡勁な筆致による、人間味あふれる「いざない」の「虜」になってしまうだろう。どの部屋も興趣が尽きない。ただ押さえておきたいのはおもしろい語りから単なる入門者向け案内と勘違いしてはいけないことだ。日本人が親しんできた中国文学ではなく「外国文学である中国文学」との視点に立脚し、紹介する作家・作品についてそれまでの論文、版本、伝記研究のいずれをも精査、考証し、そのうえで黎波さん自身の見かた、文学観が提示されているのだ。どの部屋でも中国文学の作家・作品の世界に一気に引き込まれ圧倒されるだろう。

 すべての篇頭に掲げられた「篇首引文」は一種の「牌子」といえるだろう。「たった20字前後のものだが、(当該作品をどこまで読み込めているのか厳しく問われるゆえに)採録部分を選定する作業はたのしい反面、たいへん緊張し苦しくもあったね」と、単行本むけの脱稿時に黎波さんが紹介子に苦笑しつつつぶやかれたのを覚えている。二、三点紹介しよう。「屈原:国には人物がいず 私をわかってくれない」、「司馬遷の『史記』:廁の中におしこめて、人豚と呼ばせた」、「杜甫の戦乱詩:日暮れて石壕村に宿をとると」、「老舎:わたしは国を愛したよ、だが誰が私を愛してくれた?」。いま再読して、この「篇首引文」は京劇に通じる黎波さんが日本人「来館者」に向けて切った一流の「大見得」ではなかったかとも思えてくる。各引文はその篇を象徴する節が選ばれていて、声を出して読んでみると魅惑的な響きとなり、作品中の登場人物が時空を超えて語りかけてくるようだ。その延長線上で、作品の「髄」にあたる中国語原文、対応する(書き下し文でない)みがかれた日本語訳が掲示される。

 巻頭「序説」の一行目に、「留保することなく、中国文学は、中国人によって中国語で書かれた約三千年のあいだの文学と定義できる」と述べられ、「中国人とは」、「中国文学とは」、「中国語とは」という黎波さんの「思い」が記される。日本人講師による一般の「漢文講座」「漢詩講座」とは異なることを強く意識したことばであろう。黎波さんは本館の随所で「イメージが不鮮明になりがちな書き下しにくらべ、訳詩(文)ではイメージを濃密に伝えることができる」と、日本文化の伝統としての「漢文訓読」の弊害を説いている。いうまでもなく、現代中国語と古典中国語は大きく異なる。現代中国語で直読すれば意味が取れるというわけにはいかない。現代中国語を学習し、さらに進んで古典中国語の学習が不可欠となる。中国人にとっても古典中国語の読解は容易ではない。ただ、中国語を媒介としないで直接日本語で読んでいく日本独特の訓読法には当然無理があり、誤読という落とし穴にはまる恐れがつねにつきまとう。古典読解がむずかしいとはいっても、あくまで外国語の文章である。外国語としてそれに正面対峙することの重要性が説かれるゆえんである。漢文訓読法は、むしろ日本の歴史や文化を研究し理解しようとするときに必須の知識となろう。

 ともあれ、黎波さんは中国文学史を平板に講義するのではなく、中国文学の基本的読み方を実践、披露してくれているのである。対訳形式で示された訳文をよむだけでも興味深い。いままで読んできた中国文学への印象がすべてとはいかないまでも相当な部分が覆されることだろう。

 黎波さんの文学観は実際に本館に足を踏み入れて堪能していただきたいが、ここで紹介子が感銘を受けた一段落を引用する。「一九四九年以来、もう少し詳しく言えば建国後から文化大革命までの十七年間と、文革派の文壇独占の十年間と、毛周以後の数年間というこの三十余年来、人民文学の肯定形象の殆どは説得力が弱く、蒼ざめて影がうすかった。章回小説における肯定人物の造形の失敗という歴史的経験から何を学んだのであろうか。文学はうそを嫌う。うそはやがて作品に対して復讐するものである。ありもしない完全な人間が文学の中に存在すれば、その存在感は希薄なものでしかあり得ないことは自明のことであろう。うその外に、ほら吹きとおべんちゃらもまた作品を腐敗させずにおかない細菌である」(明代「西遊記」より)。

 ちなみに、本館の「現代」の部屋で紹介される老舎の戯曲、『茶館』、『龍鬚溝』、『西望長安』は黎波さんによる名翻訳収録の『老舎珠玉』(大修館書店、1982年12月)<*>で味読できる。

 なお、紹介子が最後にふれておきたいのは、黎波さんの友人の杉浦康平さんと補佐役(当時)の鈴木一誌さんの両氏による、カバー、表紙、見返し、扉、各篇首タイトルの様式(含原書版本提示)、本文レイアウトなど、幽玄な中国文学の世界を表象する造本である。刷り上がった本書の装丁をご覧になったときにうれしそうに笑みを浮かべられた、いまは亡き黎波さんの顔が忘れられない。
(舩越國昭)

<*> 現在、品切れ。

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