たとえば「封印」という言葉、現金書留のように大切なものに封をして封じ目や貼った証紙にハンコを押すことだが、これは紙ができてからのこと。漢の時代ではある文書の木簡をまとめ(時に袋にいれて)、その上に厚い木片(検という)を置き、切り込みのところで束ねた紐を結び、その上から粘土をつめて柔らかいうちに印を押しつけて「封印」する。印は太字の陰文(文字部が凹んでいる)なので、粘土側は陽文(文字が浮き出たもの)となる。文書を受け取ったほうは、未開封を確認したら綴じ紐を切るので、粘土の封自体は壊れないで結構残る。これが「封泥(ふうでい)」といわれるものだ。
封泥のついた検の写真。「軑侯家丞」とあり、馬王堆の被葬者を断定する決め手の一つとなった。
(阿辻哲次著『図説 漢字の歴史』より)
私が中国古代の「封印」の実際について最初に知ったのは、藤枝晃著『文字の文化史』(岩波書店)という本においてだった。小型の本でモノクロであったが、その字はどんな道具で書かれたのか、あるいは何のために書かれたのか、について多くの図版をみせつつ分かりやすく述べてあり、まさに「目からうろこ」の感を強くしたことを覚えている。
その後、中国で発行された月刊の『文物』誌上で新中国成立後、発掘された貴重な文物が紹介されるのを読んだり、月刊誌『墨』に文房四宝のカラー写真が載ったりするのをみるたびに、人間がどのようにして文字=漢字を書いたのか、に対する興味が深くなる一方だった。ところがこういうことについて、ちゃんと書いた本が探してもみつからなかった。あれだけ漢文や書道についての本が多い日本において、である。
たとえば以下のような疑問を抱いたとして、何を読んだらいいのだろう。
○甲骨文字は硬い亀の甲羅や獣骨に何を使って書いたのか? ○青銅器の銘文は誰が何のために、どうやって書いたのか? ○書道でよくみる篆書や隷書はいつから、なぜ始まったか? 楷書って何? ○拓本ってどうやって取るの? ○紙はいつ作られ、印刷はどのようにして始まったのか?
漢字といえばどうしても字の意味や形に目がいってしまうが、人間が文字を書くという営為の歴史、つまり「文化史」として漢字を見直すような本ができないものだろうか? そのためには、従来の漢文や中国文学、あるいは書道の専門家というより、言語学あるいは文化全般という視点から「漢字の歴史」をふり返ることのできる人が必要だった。幸い社のイベント企画として国際シンポジウム「漢字文化の歴史と将来」を開催(1986年5月)したばかりであり、そのコーディネーターをお願いした言語学者・橋本萬太郎氏に相談したところ、非常におもしろい企画だとの評価をいただき、何回か編集会議をもった。が、まことに残念なことに氏はまもなく不治の病にかかり、執筆資料を残したまま帰らぬ人となってしまわれた。
橋本氏の代わりの著者といっても、なかなか思いつかず、その後呆然たる状態のまま日を過ごしていた私は、ある日書店の棚で『漢字学―『説文解字』の世界』(東海大学出版会)という本を見つけた。読み始めてみるとこれが非常におもしろい。それに著者の阿辻哲次氏は、従来にない言語学的視点からも書いておられ、私の考える「漢字の文化史」を理解していただけそうに思えた。とりあえずお会いしてみようと勤務先の静岡大学に電話したが、すでに京都産業大学(当時)に転勤された後。改めて転勤先に電話して自宅の電話番号を聞き出し、やっと大阪は梅田の旭屋書店の喫茶店で会うことになった。私は初めての著者に外で会う時は、映画「第三の男」のまねをして、その方の著書をもっていくことにしている。で『漢字学』の本をもって喫茶店に入り、首尾よくお会いすることができた。阿辻氏は、私が企画の主旨を伝えるや「藤枝先生の『文字の文化史』を読まれたんですね」とおっしゃった。そして「若い身だが、きわめて挑戦的な仕事であり、やってみたい」とも。お話から明るいお人柄と深い学殖がうかがわれるとともに、最近の中国の考古学の雑誌などにも目を通しておられることが分かり心強く思った。
阿辻氏は仕事が早いだけでなく、勘どころをよくわきまえておられ、当時はやりだしたワープロを使って、きわめて意欲的で興味深い文章原稿と、使用する図版とその所在を記した周到なリストを送ってくださった。
あとは、写真・図版の所有者と権利関係の交渉をし、収集するというのが、編集者たる私の大きな仕事となった。著者の紹介に頼ったり、一緒に北京の文物出版社にいったり、新規撮り下ろししたりして、総数300点におよぶ写真・図版を使用した大型企画となった。
日本の読者がこれまで見たこともない文物の写真を大型のカラー版で、というのはいいとして、社としてはコスト的に大きな冒険だし、定価も高くなるため読者の負担もおおきくなる。が、私は譲らなかった。数はつかめないが、必ずおもしろいと思ってくださる読者がいると……。
とうとう装丁も豪華な『図説 漢字の歴史』が誕生した。幸い発行後すぐに大手の新聞に写真つきで大きく書評がでた。とともに書店からの注文も増え、早い時期に再版がかかるという幸運に恵まれた。素人といっていい編集者だった私にとって忘れられない大きな仕事となった。
私は、本来この本の著者になるはずだった橋本萬太郎氏のお墓に、できあがった本をもって報告に行こうと思った。氏に学恩があるとおっしゃる阿辻氏も群馬県太田市にあるお墓に同行してくださった。(森田六朗)
*同じ年に『図説 漢字の歴史 普及版』も刊行されました。写真をモノクロにした普及版ながら、本文の叙述はほとんどそのまま読むことができます。