今から140年余り前、時の明治政府は、明治5年(1872)12月2日をもって、それまでの太陰太陽暦(いわゆる旧暦)を廃止し、翌3日を太陽暦(新暦)による明治6年1月1日としました。同時に時刻制度や週休制、祝祭日等、一連の〈「時」の文明開化〉を断行したのです。
本書は、筆者の岡田芳朗先生が大学の卒業論文に補足して刊行なさった『グレゴリー暦の文化史的研究』(昭和34年) や、〈明治の改暦〉にテーマを絞った大学院修士論文「明治改暦の歴史的意義」(昭和31年) などが土台となっていることは申すまでもありません。すなわち本書は、「文明開化」という近代国家形成の過程で、千年以上も継続してきた太陰太陽暦を廃止し、新しい「時」のシステムの導入を行なった事実に改めてスポットを当て、豊富な資料やエピソードを駆使しながら、明治の改暦断行の全貌をわかりやすく語ってくれているのです。
もう、30数年前のことですが、昭和56年(1981)5月23日(土)の昼下がり、私は、御徒町の昭和通りに面したとあるビルの会議室のドアを恐る恐る叩いていました。そこは、改暦後100年の昭和48年に設立された「暦の会」第70回月例会の会場でした。と言いますのも、その頃、勤務先では新しいジャンルの企画開発を目的とした新部門に異動していたせいでしょうか、たまたま書店で手にした『図説百科 日本の暦大図鑑』(1978) の内容に興味をそそられて購入し、「暦の会」の存在を知ったのでした。そして、暦や歴史、天文学等々に詳しい研究者が混じったこの会場で、初めて岡田芳朗会長におめにかかりました。同じ大学、同じ学部出身というよしみもあってか、以来、先生とのお付き合いは、昨秋に先生が急逝なさるまで33年の長きに亘りました。その間、先生に初めて原稿執筆をお願いしたのは、平成2年(1990)4月創刊の『月刊しにか』での連載「アジアの暦」でしたが、その後も同誌や『月刊言語』、『国語教室』等にもいろいろとご執筆戴くことになりました。
こうして、先生と大学の研究室や会社の会議室、そして「暦の会」月例会等での打ち合わせを繰り返しているうちに、時々話題に上る〈明治の改暦〉のことが気になって、どうしても単行本として世に残したい旨を申し上げた結果、平成6年(1994)6月10日の時の記念日に、ついに、『明治改暦―「時」の文明開化』の刊行が実現したのでした。そして、その5年後の平成11年(1999)5月1日付『産経新聞』の特集では、〈21世紀へ残す本残る本〉の一冊に選ばれるという栄誉にも輝きました。
その後も『アジアの暦』(2002年、あじあブックス049)、『南部絵暦を読む』(2004年、あじあブックス057)、『江戸の絵暦』(オールカラー版、2006年)、『春夏秋冬 暦のことば』(2009年)と、ほぼ2年おきに暦に関わる単行本をご執筆戴きました。
中でも『江戸の絵暦』は、後の「錦絵」誕生の契機ともなったといわれる「大小暦」234点を厳選し、オールカラーで紹介したものです。江戸時代に使われていた太陰太陽暦では月の満ち欠けを基にしているため、一年を30日の大の月と29日の小の月とを組み合わせて調整をしました。しかし月の運動は複雑で、平均の29.53日に対し、冬から春にかけてはこれより長く、夏から秋にかけてはこれより短いため、月の運行を正確に反映させるためには、毎年、大の月と小の月の組み合わせを変える必要がありました。実際、寛文元年(1661)~明治6年(1873)までの213年間にその組み合わせは157種類にも及んでいます。そこで、毎年、異なる月の大小の組み合わせを覚えやすくするために、月々の大小を折り込んだ絵や文を記した暦を作ったり、また絵解きや謎解きが楽しめるような工夫をしたりしました。そうした「大小暦」を戦前から収蔵・研究してこられた長谷部言人博士をはじめとする長谷部家より、コレクション寄託先の博物館からの持ち出しご許可を戴いて、岡田先生の大学研究室への運び込みと館への返却を繰り返しつつ、膨大な資料の点検・絵解き・分類整理作業等を行ない、ついに本書『江戸の絵暦』の完成に至ったという次第です。
大修館書店を退職して後、平成23年(2011)の夏、私は岡田先生とともに、新設された「㈳ 日本カレンダー暦文化振興協会」(略称=暦文協) に関与することとなりました。主な仕事は監査役の他に、最高学術顧問というお立場の岡田先生の指導のもとでカレンダー業界の底本である「暦原本」の作成と、会員向け文化活動の一環としての「暦文協オリジナルカレンダー」の製作です。後者では、江戸から明治にかけての絵暦を選択しては、月々の頁への図版のあしらいと解説文作成が主な役割でした。とりわけ2012年版と現在進行中の2016年版では、上記の長谷部家及び大修館書店の承諾のもと、『江戸の絵暦』から大小暦図版を転載しましたが、昨秋、その図版選定を前に先生はご逝去されてしまいました。2015年8月現在、色校正を済ませ、まもなく出来上がる予定ですが、その折には、完成見本をご霊前にお供え申し上げる所存です。
翻ってみますと、小生にとりまして、岡田芳朗先生は原稿用紙使用の、いわゆるアナログタイプの最後の著者でした。お陰で、会社や先生の研究室でお目にかかっての原稿等の授受は300回を超えていました。しかし、同時に、電子メールやデジタルデータで戴く場合とは比べようもない程の恩恵をも頂戴しました。つまり、先生との33年間では「暦の奥深さ」に加えて、「人の生き方」をもじっくりとお教え戴いたのです。この場をお借りして、あらためて御礼を申し上げます。(小川益男)