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芳華鮮美にして、落英繽紛たり――陶淵明「桃花源記」

 数年前の早春のころ、倉敷の大原美術館に行ったことがある。入ったとたん、正面に掲げられた大作に目が釘付けになった。「桃花の谷」「隠れ里」と題された、奥村美佳画伯の作だった。もともと絵画を見る目などまったくないのだが、たまたまその直前、『桃源郷――中国の楽園思想』(講談社、選書メチエ)という本を書いたばかりだったためだろう、とても共感を覚えた。その印象が強烈だったので、館内の展示はほとんど上の空のまま出てきてしまった。
 絵には山や水や花や木や、そんな自然の景物が丸みを帯びた柔らかなかたちで、そしてシルクのヴエールを通して見たような淡い乳白色を帯びて描かれていた。実景のリアルな描写ではなく、意識の底から浮かび上がってきた幻想の世界のように。
 人々の間に伝えられてきた桃源郷や隠れ里のイメージ、それを画家ご自身の風景観を通して昇華して描かれたものだろう。しかし中国のいわゆる山水画とはまるで違う。違いの一つは、絵のなかに人がいないことだ。少なくとも人物の存在は印象にのこっていない。ところが中国の山水画には、切り立った山、その間を流れる水、そんな風景の片隅に小さな庵があり、まるで生活感はないけれども、そこに読書人らしい人物が描かれていることが多い。それは全体の一部分に過ぎないのに、気になって仕方がない。風景のなかになぜ人を描き込むのか、そのことが以前から不思議でならなかった。人物を配置するのは、幽邃な自然の邪魔になりはしないのか。
 この疑問を中国芸術論の宇佐美文理さんにお尋ねしたところ、唐代には人物と山水がともに描かれていた、五代北宋に出現した「行旅図」(旅の絵)では目に見えるものとして風景とともに庶民、そして士大夫が描かれるようになり、やがて理想的な山水のなかに自分も居るべきものとして士大夫が山水画のなかに定着する、元末になると人物は描かれなくなるが、するとなぜ描かないのかという問題が提起される、そんな問いが生じること自体、人を描くのが当然だと考えられていたことを示す――というようなことを教えていただいた(自分の理解した所を記してみたけれど、間違っていたらごめんなさい)。
 山水画に人物が描かれるにはそうした流れがあることがわかったが、しかし日本人としては奥村氏の絵のように、自然の景物だけのほうが納得できる。この連載の第14回、「空山 人を見ず」のなかに引いた夏目漱石『草枕』には、「東洋」的な「出世間」の境地が、陶淵明と王維の詩句を挙げながら語られていたが、「垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない」、つまりまわりに人がいないことを漱石は強調していた。「隣りの娘」や「南山に奉職している親友」がいたら、人間くさくなって世塵が紛れ込んできてしまうからだ。乾坤のなかにたたずむのは自分ただ一人、ほかに誰もいない、それが日本人がいだく隠逸の世界である。隠者の空間・桃源郷・隠れ里、それらは同一ではないけれども、世俗を離れた心地よい世界という点では共通する。
 小著『桃源郷』では、古代中国人の夢想した理想郷、現実に構築を目指した人もあった隠れ里、陶淵明の手になる桃花源、そして桃花源のその後の受け止め方の変遷などをたどってみた。それはいずれも無人の境地どころか、人間だらけなのだ。世間を離れた場で人々はいかに満たされて暮らしているか、それを語っている。現世の不条理や不平等など、人を不幸にする様々な要因を拭い去った世界である。その典型は、陶淵明「桃花源記」に見ることができる。
 「桃花源記」は志怪小説を集めた『捜神後記』のなかの一篇として収められている。「志怪」とは六朝期、不可思議な話をあらすじだけ記した短い記録を総称したもので、唐代に出現する「伝奇」が「奇を伝える」と言いながら、怪異はしだいに姿を潜め、人間の物語にすり替わっていく前の段階に位置する。六朝の人々にも事実かそうでないかの区別は確かにあったというべきで、正史などの史書では非現実的な話柄は極力排除され、それらはもっぱら志怪のなかで語られるという棲み分けが見られる。
 志怪小説集に入っているとはいえ、「桃花源記」の文学としての質は他の志怪とまるで異なる。明らかにこれだけは確かな文学作品と成り得ているのである。しかしそれをかび臭い漢文のままにしておくか、今も我々をときめかせる文学としてよみがえらせるかは、ひとえにいかに読み解くかにかかっている。
 漁夫の体験として語られる話に、読み手は漁夫の視点に同化して、この先何が起こるか、ミステリアスな興味を掻き立てられながら読み進む工夫が施されている。「魚を捕りて業と成す」武陵の漁夫が、渓流に沿ってさかのぼって行くと、突如として不思議な光景が出現する。

忽として桃花の林に逢う。岸を夾みて数百歩、中に雑樹無し。芳華鮮美にして、落英繽紛[ひんぷん]たり。漁人 甚だ之を異[い]とす。

 生命の象徴である桃、その花だけがあたり一面に咲き誇り、且つ舞い散る。生と死の狂宴のなかに読者もいきなり巻き込まれる。鮮やかな映像でありながら、まるで能舞台のように抽象的でもある。夢幻のごとき光景は、実は桃花源に入る前に遭遇したもので、その予兆に過ぎない。しかし桃源郷の視覚的なイメージはここに集約している。ここには風景のなかに漁夫以外の人はいない。が、村に入ったあとに風景描写は消え、もっぱら村人の暮らしが語られる。
 桃花源に行き着くまでには、神話的なモチーフが施されている。一つは川をさかのぼるモチーフ。これは中国では漢の張騫[ちょうけん]が黄河をさかのぼって天の川に行き着いた話が想起される。川の遡行は未知の世界に行き着くために必要な行程なのだ。
 川をさかのぼって桃花乱舞する林に出会い、さらに進んでいくと川が尽きた所に山があり、舟を棄てた漁夫は山の洞窟に入る。洞窟をくぐり抜けることによって別世界に入り込むのが第二のモチーフ。洞窟はシンボリックな意味が豊かであるが、漁夫が暗い空間をくぐり抜けることは別世界へ入るために必要な過程なのである。杜甫「諸公の慈恩寺の塔に登るに同ず」詩のなかで、慈恩寺塔の内部の「龍蛇の窟」のような暗い木組みをくぐり抜けて塔の上に出るのも、地上の世界から天上の世界へと移行するために必要な通過儀礼である(同時に作られた他の詩人の詩には、登頂への過程が書かれていない)。わたしたちにもなじみがある「胎内くぐり」も、洞窟をくぐり抜けることが死と再生の過程であることを示している。そういえば、川端康成の『伊豆の踊子』『雪国』、いずれもトンネルを出たところから物語が始まっていた。
 こうして漁夫は意図せずして桃花源に足を踏み入れることになった。漁夫はなぜ桃花源に向かって進み続けたのか、近代文学ならばその動機を書かねばならないところだが、説話の文法では動機がなくてもかまわない。むしろ動機があったら後続の人たちが行き着けなかったのと同じように桃花源に入れはしなかったことになる。
 偶然迷い込んだ集落がどんな所なのか、漁夫も読み手も知りたくなるところであるが、それより先に漁夫のほうが村人たちから質問攻めに遭う。なにしろ秦の時代に人知れぬ地に移ってきた人たちの子孫なのだから、世の中がどのようになっているか、彼らはしきりに知りたがる。そのことは村人が恬然[てんぜん]とした仙人ではなく、好奇心あふれる人間くさい人たちであったことを示す。代わる代わるに村人に接待されたあと、漁師は帰還するとその足で太守に報告、太守はすぐさま探索の使者を派遣するが二度と桃花源には行き着けなかった、と話は結ばれる。
 さて漁夫の見た桃花源は、いったいどんな所か――実は何も特別なことはない、ごく平凡な村落に過ぎない。ただ、そんな村を行き交う人々は、「黄髪垂髫[すいちょう]、並びに怡然[いぜん]として自ら楽しむ(老人も子供も、みなにこやかで楽しそうだ)」、世間の村と違うといえば村人たちが幸福に暮らしていることだけ。そのことが実は桃源郷であるために最も大切な点なのである。

桃源勝概図(メトロポリタン美術館蔵)

 なぜ彼らは幸せな暮らしが可能なのか。一つはこの村には長[おさ]に当たる人がいないことである。町に戻った漁夫がすぐ「太守」のもとに駆けつけたのと対比的に、村に入った彼はあちこちの家で平等に饗応を受ける。つまりこの村には上下の身分差がない。
 「桃花源記」には散文のあとに三十二句に及ぶ詩が付載されているが、そこには散文にはない事柄が二つ記されている。一つは、税を取り立てられることがないこと。

 春蚕収長糸  春蚕 長糸を収め
 秋熟靡王税  秋熟 王税靡[な]し

もう一つは暦がないこと。

 雖無紀暦誌  紀暦の誌無しと雖も
 四時自成歳  四時 自[おのずか]ら歳を成す

 暦は皇帝が制定するものである。暦がないことは皇帝がいないことを示す。皇帝という人為的秩序がないのみならず、人は暦という人為的な時間に縛られることなく、自然のリズムに合わせて農耕すればよい。ミヒャエル・エンデ『モモ』が時間をテーマとしているように、時間は金銭(ここでは「王税」)とともに、社会を機能させるのに肝要な、しかし同時に厄介な二つの要素である。その両者がないところに桃花源は成立している。
 こうした共同体であるからこそ、老人や子供といった弱者までもが幸せに暮らすことができる。散文の「黄髪垂髫、並びに怡然として自ら楽しむ」が、詩のなかにも繰り返しうたわれている。

 童孺縦行歌  童孺は縦[ほしいまま]に行くゆく歌い
 斑白歓遊詣  斑白は歓びて遊び詣[いた]る

 幼い子どもたちは思う存分、歩きながら歌を口ずさみ、ごま塩頭の老人たちは喜んで出歩いている。

 社会の幸福度は最も弱い立場の人たちの暮らしによって測られる。子供と老人が楽しく暮らしていることによって、村人がのこらずそうであろうと類推できる、にしても、直接の叙述が欠けている点が一つある。それは村の女性の暮らしぶりが書かれていないことである。散文のなかに、「男女の衣著は、悉く外人の如し」と、彼らの衣服が世間一般と違うことを語る一箇所に「女」が登場するに過ぎない。女性に関する記述がほかにないことは、やはり男性社会を反映しているものだろうか。

 桃花源が桃花源たりうるゆえんは、村人の暮らしにあるのだから、当然人々を書かねばならない。人々がどのように生活しているかという個々の事象を捨象して、一つの映像として描き出したのが、桃花源に行き着く前に遭遇した桃花の乱舞する光景である。その光景は冒頭に記した「桃花の谷」「隠れ里」と題された日本画にも通じている。時間も金銭もなく、誰もが心伸びやかに暮らす桃花源は、実際にはありえない。どんな時代にあっても人々は生きることに打ちひしがれ、だからこそこうした夢想を懐き続けてきたのである。

 


(c)Kawai Kozo, 2021

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