以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0373
意味のない漢字って、あるんですか?
A
漢字は「表意文字」と言われることがあるように、原則として1字1字が特定の意味を持っているとされています。しかし、よく考えてみると、必ずしもそうは言えない漢字も中にはあります。
漢文の世界で伝統的に「意味がない」とされてきたのは、「助字(じょじ)」と呼ばれる漢字です。たとえば、『論語』の一番最初で孔子は
「学而時習之」
と言うのですが、これを訓読では
「学びて時に之(これ)を習う」
と読みます。注意深く見るとおわかりの通り、「而(音読みはジ)」という漢字は飛ばされていますよね。「而」には意味がないから、訓読では読まない、というわけです。
しかし実際には、この「而」は「学」と「時習之」を接続する働きをしています。たしかに「山」や「川」のような意味での意味(ヤヤコシイ!)はありませんが、「而」にだって接続の意味がある、ということもできるでしょう。
また、『史記』の中の有名な「四面楚歌」の場面で、一代の英雄・項羽(こうう)は「力抜山兮気蓋世」と歌います。これを訓読するときには、「力は山を抜き、気は世を蓋(おお)う」と読みます。ここでも、「兮(音読みはケイ)」という漢字は飛ばされてしまっていますよね。
この漢字は一般に、リズムを整えるための漢字で、特に意味はない、と説明されています。「リズムを整える」というのがどういうことを指すのか、私にはよくわからないのですが、息継ぎのようなもの、あるいは相の手のようなものなのでしょうか。こうなってくると、先ほどの「而」よりもさらに「意味がない」と言えるでしょうが、それでも「リズムを整える」という意味があるんだ、と言い張ることも可能は可能です。
以上のような例とは異なりますが、単独では意味を持たない漢字というものもあります。たとえば「葡萄」は2文字でブドウを表すのであって、「葡」と「萄」の1文字ごとに独立させて使われることはありません。「林檎」も2文字でリンゴであって、「檎」だけを単独で用いることはないのです。
このような漢字も、「意味がない」と言うこともできるでしょう。もちろんそれは、「意味がない」の「意味」とはどういう意味の「意味」なのか(!)によって変わってくる問題で、「葡」には「ブドウのブ」っていう意味があるじゃない、と反論することもできますが……。