以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0254
「応」の部首は、「广(まだれ)」ですか、それとも「心」ですか?
A
このQ&Aコーナーを始めて読者のみなさまの生の疑問に接するようになって、一番新鮮に感じたのは、「この漢字の部首はこれでいいんですか?」といった類のご質問が多いことです。それほどに、漢字教育の中では部首が重要視されているのでしょう。漢和辞典編集者としては、うれしい限りです。
しかし、社会人になってみて、部首に関する知識がどんな場面で役に立つかを考えてみると、ちょっとさみしくなります。なんどか触れてきたとおり、部首とは漢字を意味によって分類する方法です。それが役に立つのは、基本的には、漢字を分類して考えなければならない場面に限られます。具体的に言ってしまうと、一般の社会生活の中では、それは漢和辞典を引くときくらいのものなのです。
もちろん、部首を知ることによって、漢字を分類して捉えることができるので、漢字の理解は深まります。しかし、「正しい部首」にあまりこだわりすぎると、後々の人生ではあまり役に立たない知識ばかり教え込むことになるような気がしてなりません。
前置きが長くなりました。「応」の部首は、漢和辞典的には「心」です。「广」は、本来は家に関係する意味を表す記号でした。「床」「庭」「庵」などの漢字には、そのことが色濃く残っています。そこで、「応」の部首を考える場合には、この字が心に関係する意味を持っているのか、家に関係する意味を持っているのかを判断すればよいのです。「応接」「応対」などの「こたえる」という意味は、家よりは心に近いでしょう。
実際には、「応」は「應」の新字体ですので、「應」に戻って考えないと、正しい結論は得られません。しかし、大多数の人にとっては、部首は漢和辞典を引くときにしか使わないのですから、正しいことよりも、わかりやすいことの方が重要でしょう。以上のように理解をしていただいてかまわないと思います。
なお、最近の漢和辞典では、引きやすさを重視して、複数の部首を立てたり、一見してわかりやすいものへと部首を変更したりする例も見られます。事実、「応」の部首を「广」にしているものもあるようです。こうなってくると、「正しい部首は何か」という問題にこだわるのは、ますます意味がなくなっているのかもしれません。