以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0176
東京のことを「東亰」と書いてあるのを見たことがあるのですが、この「亰」は「京」とどう違うのですか?
A
結論から申しますと、この「亰」の字は、「京」の異体字である、とされています。つまり、読みも意味も、「京」と同じである、ということです。
ただ、異体字とはいってもこの字体はかなり古くからある由緒正しい字体です。角川書店の『書道大字典』を調べてみると、漢王朝や唐王朝のころの中国の書家の筆跡は、ほとんど、この字体を用いています。ここからすると、少なくともそのころの書写の字体としては、こちらの方が一般的であったように想像されます。
その傾向は、明治時代の日本にまで続いていて、このころに刊行された書籍の表紙や扉などには、「東亰」と書いてあるものをよく見かけます。有名な例として、『東京朝日新聞』の例があります。同紙は、1888(明治21)年に創刊されて以来、1940(昭和15)年に名称が『朝日新聞』に変わるまでの間、その題字にはずっと「東亰」の字を用いていました。のみならず、復刻版を調べてみると、少なくとも初期の間は、本文でも「亰」を用いていますから、明治の中ごろの段階では、「京」ではなく「亰」の字を用いることが奇異ではなかったのでしょう。
その状況が変化してくるのは、おそらく、明治も終わり近くになって、国定教科書において「京」の字体が採用されたことによるのではないでしょうか。その後、現在の『常用漢字表』に至るまで、公にされた種々の漢字表の中に、「亰」の字を見いだすことはできなくなります。
このように、今日、私たちが当然と思っている字体も、調べてみると、その「当然」の歴史は意外と浅いことが多いのです。そこに、さまざまな字体が乱立していた状況を少しずつ整理してきた、近代日本人の努力の歴史を見るべきではないかと思います。