以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0425
「恥也」とかいて「としや」と読む名前の人がいるのですが、いったいどういう意図でこの漢字を使ったのでしょうか?
A
「恥」と書いて「とし」と読む、というのは、ふつうの漢和辞典に出ている読み方ではありません。さらにそれがお名前に使われているとなると、ナゾは深まるばかりです。
これはお名前に関する問題ですから、結局のところ、名付けをした人に聞いてみる以外、その意図を確かめるすべはありません。ただ、そう言ってしまってはQ&Aが成り立ちませんから、ここではある意味無責任に、いろいろと想像をめぐらしてみることにいたしましょう。
まず、名前で「とし」と読む漢字には、他にどんなものがあるか、考えてみましょう。すぐに思いつくのは、「敏」「俊」「利」などです。「鋭敏」「俊英」「利発」などといった熟語を思い浮かべるとよくわかるように、これらの漢字には「頭がいい」という意味があります。つまり、これらを名前で「とし」と読むのは、頭の働きが鋭いことを意味する古語「とし」から来ていると思われます。
では、「恥」にも、「頭がいい」という意味があるのでしょうか。
「恥」といえば、ふつうには「はずかしい」と思う気持ちのことです。私のような凡人は、何かヘマをしでかしてしまって「はずかしい」と思うことが圧倒的に多いわけですが、立派な人になると、道に外れたことをするのは「はずかしい」、だからそんなことは決してしない、という気持ちを持つことがあるらしいのです。
『論語』に「恥有りて且つ格(いた)る」ということばがあります。悪を恥じる気持ちを持つようになって、その結果、善に至る、という意味です。こういう場合の「恥」とは、してはいけないことを知っている、という意味で使われていると考えてよいでしょう。とすると、それは「頭がいい」ということに通じるのではないでしょうか。
振り返ってみれば、人生、はずかしいことばかり。というような私にはとうてい及ぶべくもない境地ですが、「恥」を「とし」と読むお名前には、そんな気持ちが込められているのかもしれません。