当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

漢字Q&A

漢字Q&A

以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。

Q0199
「透明」と「澄明」とは、どちらもすき通っているという意味ですが、違いがあるのでしょうか?

A

「透明」はトウメイ、「澄明」はチョウメイと読みますから、この2つの熟語は、一応、別のことばであると考えておくべきでしょう。しかし、国語辞典をいくつか調べてみましたが、たとえば小社の『明鏡国語辞典』では、「透明」は「すきとおっていて、濁りのないこと」、「澄明」は「水・空気などが澄みきっていること」となっていて、意味の上では、あまり違いがないようです。
しかし、辞書的な意味としては違いがなくても、いわゆるニュアンスのレベルで違いが出てくることがあります。そこで、ここでは「透」と「澄」という漢字の持つイメージの違いについて、少し考えてみることにしましょう。
「透」という字は、「しんにょう」がついていることからわかるとおり、「道」や「追」「逃」などと同様に、もともとは移動に関係する意味を持っていたと考えられます。「浸透」という熟語に見られるような、移動して向こう側へ突き抜けることができる、という意味が原義だったのでしょう。
これに対して、「澄」という字は、「さんずい」がついていることからわかるとおり、もともとは、濁りのない水の美しさを意味する漢字でした。水のイメージがありますから、清浄さを感じさせるところがあります。
この2つのイメージを踏まえて「透明」と「澄明」を見比べたとき、前者は「あるものを通して向こう側が見える」ということに重点があり、後者は「あるものそのものが汚れがなく美しい」ということに重点がある、と見ることができないでしょうか。
ここまで考えたところで、たとえば三島由紀夫の名作「潮騒」に出てくる次のような一節を読んでみましょう。物語の終わり近く、台風の中での試練を無事に終えた主人公が、疲れ切った若い体を一晩休めた後に、眠りから覚めるシーンです。

「寝台の丸窓から、彼は颱風(たいふう)の去ったあとの澄明な青空と、亜熱帯の太陽に照らされた禿山(はげやま)のけしきと、何事もない海の煌(きら)めきとを見るのであった。」

どうですか?イメージ、伝わりましたでしょうか?

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア