以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0086
「夏」の部首の「夊」は「すいにょう」といいますが、「にょう」とは、漢字の左側と下側を取り巻いている形をいうのではないのですか?
A
たしかに!ためしに小社の学習用漢和辞典『新漢語林』を見ますと、「繞(にょう)」の説明として「漢字の左方から下部をとりまく」とあります。これは別に小社だけの記載ではなく、一般に言われていることです。でも、「夊」の部を見てみると、そんな形をしている漢字はありません。これは、発見です。
そこで、「にょう」と名の付く部首を調べてみると、面白いことがわかってきました。「走」(そうにょう)や「廴」(えんにょう)など、「漢字の左方から下部をとりまく」形になっている「にょう」もあるのですが、そうでない「にょう」もたくさんあるのです。たとえば、次のようなものです。
・儿(にんにょう、ひとあし)・几(きにょう)・凵(かんにょう、うけばこ)・支(しにょう、えだにょう)・文(ぶんにょう)・攴(ぼくにょう、ぼくづくり)こうなってくると、「にょう=漢字の左方から下部をとりまく」ということそのものが、あやしくなってきてしまいます。
ものの本を調べて見ると、部首の名前がまとまって出現する最初の記録は、室町時代末期の辞書『運歩色葉集』(うんぽいろはしゅう)だそうです。そこで早速、神保町の古本屋へ出かけて、天正十七年本『運歩色葉集』の影印本を手に入れました。けっこうな値段でしたが、これも勉強のためです。
さて、会社に戻ってページをめくっていくと、「片尽」(へんづくし、とでも読むのでしょうか)というところに、60の部首の名前が掲載されているのが見つかりました。その中に「にょう」は3つありました。せっかくけっこうなお値段を出して買ったのですから、画像としてお見せしておきましょう。
画像の振り仮名の部分で、「子」と読めるのは変体仮名の一種で、「ネ」と読みます。そこで上から、「シネウ」「クネウ」「ヲツネウ」という名前で呼ばれていたことになります。現代の私たちの言い方からすれば、それぞれ「しんにょう」「すいにょう」「おつにょう」ということになります。名前こそ違いますが、どうやら、室町時代の昔から、「すいにょう」や「おつにょう」のようなものにも「にょう」という名前が使われていたようです。
結局のところ、ご質問の主旨に明快に答えることができなくて申し訳ないのですが、「にょう=漢字の左方から下部をとりまく」というのは、もしかしたら思い込みなのかもしれません。「にょう」と呼ばれるものの形だけを見ていると、むしろ、最終画を右に払っていくことの方が、共通性としては浮かび上がってきます。そのあたりに、なにか解決のカギが隠されているのかもしれません。