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▼酸性紙問題

 修訂版刊行時の内容見本を見ると、特色の一つに「本辞典では長期の保存に耐える中性紙を特別抄造した。」とある。今では上質紙のほとんどが中性紙化されて特に話題にならないが、当時は一部の辞典用紙(インディア紙)・裏カーボン紙・清涼飲料水の容器用原紙など、特殊な分野を除いて酸性紙が主流だった。
 書籍用紙を抄造する際には、印刷インキの滲み止めの役目をするサイズ剤を施す必要があり、そのサイズ剤にはロジン(松ヤニを精製したもの)が使われるが、それだけでは紙の繊維に付着しないために定着剤として硫酸バンド(硫酸アルミニウム)が加えられる。このバンド(礬土)が紙をボロボロにする元凶で、バンドは紙中の水分と出あうと分解して酸を生じ、それが紙の繊維を崩壊させて百年も経つと本は劣化してボロボロになってしまうというのである。
  1979(昭和54)年2月13日付の読売新聞は、「二十一世紀には読めなくなる?ボロボロ蔵書」という見出しで、米国議会図書館蔵書1800万冊の内、三分の一の600万冊が傷みが激しい状態にあるという報告を載せているが、広く日本で「酸性紙問題」が言われるようになったのは、1982(昭和57)年10月、日本書籍出版協会に勤務していた金谷博雄氏が『本を残す―用紙の酸性問題資料集』を自費出版、マスコミを通じて問題提起したことからはじまる。この小冊子によって、翌年には国立国会図書館でも実態調査が行われ、シンポジウムなどを通じてその調査結果が報告されると、《百年後、本はボロボロになる》《紙の崩壊》《酸性紙をやめて中性紙へ転換を》といった見出しが新聞・雑誌を賑わすようになった。
 紙は中性から弱アルカリ性に保っておくことが酸性紙に比べて劣化しにくく、長期保存(耐久性)という観点から望ましいことがわかってくると、従来の抄紙法から中性のサイズ剤と定着剤を使った中性抄紙のシステムに転換すること(その技術は70年代に入って実用化されたばかりだった)が製紙メーカーに求められた。中性抄紙法に転換した場合の大きな利点としては、紙の平滑度や白色度を高めるために安価で国内に豊富に産出する炭酸カルシウムを使用することができるということがあり、それによって水の回収再使用の割合を多くすることが可能となり、排水量を少なくすることができるとされた。しかし、それは製造工程を大きく変えることになり、メーカー側は技術面のみならず設備投資など新たな問題を抱えることになった。
 その後、様々な技術面での問題が改善されて中性紙化は急速に進んでいくことになるが、1874年の最初の抄紙機導入以来、日本の洋紙抄造の歴史は酸性紙の歴史そのものであったのである。
 当時、「何も百年も残る本をつくらなくても、いま売れればいい」という声もあった出版界にあって、酸性紙問題にいち早く対応した大漢和辞典用紙の中性紙化は、その先鞭をつけたといってよい。

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