以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0040
宮沢賢治の「永訣の朝」の中に出てくる「陰惨」という熟語は、「いんざん」とルビが振られていますが、「いんさん」が正しいのではないですか?
A
小社の学習漢和辞典『新漢語林』では、「陰惨」の読み方として「いんさん」「いんざん」の両方を挙げています。しかし、各種の辞典でこの熟語を調べてみると、読みを「いんさん」だけとしているのが圧倒的です。多数決によるとすれば、やはり、「いんさん」が正しいように思われます。
しかし、「惨」の字に「ザン」の音がないかというと、そうでもありません。「無惨」は「むざん」と読みますし、「惨敗」も「ざんぱい」と読むのが現在では一般的です。この漢字、「サン」と読むのが正しい音読みではあるのですが、「ザン」の方も一般に使われることが多く、いわゆる慣用音として認められているのです。そこで、『常用漢字表』でも、「サン」とともに「ザン」の読みが掲げられています。
また、「~んさん」という読みを持つ熟語が、慣用的に「~んざん」と読まれることは少なくありません。例を挙げれば、「安産」「暗算」「金山」「銀山」「検算」「見参」などです。
これらに、「さん」という澄んだ音よりも「ザン」という濁った音の方が響きが重いことを考え合わせると、「陰惨」という熟語を「いんざん」と読むのを間違いと言い切ってしまうのには、ちょっとためらいを感じるところです。将来、『新漢語林』を改訂する際には、この問題を再検討する必要がありそうですが、「いんざん」も残したいというのが、いまのところの正直な気持ちです。
宮沢賢治が「いんざん」とルビを振ったのは、東北弁をそのまま反映しているのだ、という説もあるそうです。『新漢語林』編者の中にも東北出身の先生がちらほら……。その影響がないとはいえなかったりして……。