以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0470
「育」には上の方を3画で書く旧字体があるみたいですが、常用漢字でない「轍」のような漢字も、「育」と同じように4画になっていることが多いのは、どうしてですか?
A
たしかに、多くの漢和辞典では、「育」の旧字体として、図の左側のような漢字を立てています。その理由ははっきりしていて、「育」は篆文(てんぶん。篆書)では図の右側のような形をしているからです。この篆文の上側の形は、「子」を上下逆にしたもので、子どもが頭を先にして生まれてくることを表しているとされています。そこで、「育」も本来は、上側の部分を3書くで書かなくてはならない、というわけです。
以上は、議論の上では何も問題もないのですが、ただ、「育」はもうずいぶんと長い間、上側を4画にして書かれてきた、という現実があります。実際のところ、漢字の字体の規範とされる『康熙字典(こうきじてん)』でも、4画の「育」を基本として説明がされていて、3画の字は、本来はこちらが正しいという意味で、「本字」として説明されています。実際のところ、『康熙字典』で「撤」「徹」「轍」などを調べてみても、すべて「育」は4画の形だけになっています。
そこで、漢和辞典としては2つの道があることになります。1つは、理論的な正しさを重視して、4画の「育」に対して、3画のものを旧字体として立てる道です。その場合、「撤」「徹」「轍」などにもこれを及ぼさなくては、筋は通りません。たとえば、常用漢字の「撤」「徹」にはやはり旧字体を立て、常用漢字でない「轍」は問題の部分を3画とした形を基本として、念のため4画も異体字として採用する、といった具合です。これは美しい道ですが、「育」を含む漢字がすべて2種類になってしまうという煩雑さがあります。
もう1つは、現実を重視して、「育」の上側の部分はすべて4画としてしまう、という道です。こちらは気楽ではありますが、「育」の本来の形を示すことはできない、という欠点があります。
結局のところ、多くの漢和辞典は、この両者の中間の道を採用しているようです。それは、「撤」「徹」「轍」などは全部4画の「育」だけにしてしまって、しかし「育」の本来の形だけは示す、という方法です。
妥協と言われればそれまでですが、人生には妥協はつきものです。そういう人間臭いものとして、漢和辞典を温かい目で見ていただければ、幸いです。