以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0348
「圧巻である」を「壮観である」と同じような意味で使っているのをよく見かけるのですが、正しい使い方なのでしょうか?
A
「圧巻」というのは、昔、中国で行われていた「科挙(かきょ)」という国家公務員試験に由来することばです。この試験では、最優秀の答案を他の答案の上に載せたところから、「巻を圧する」、つまり他の答案を押さえつけるという意味で「圧巻」ということばが生まれたのです。
この成り立ちからすると、「圧巻」とは、「他と比べて一番すばらしい」という意味であると考えられます。一方の「壮観」は、「すばらしい眺め」という意味ですから、「圧巻」と「壮観」とは違う意味のことばだということになります。
ところが、よくよく考えてみると、この両者の意味が限りなく近くなるケースがあることがわかってきます。たとえば、あるコンクールで「彼の演技は圧巻だった」と表現した場合、「彼の演技」は他の人の演技と比べて一番すばらしかった、ということが言いたいわけです。そして、「演技」とは見せるものですから、「彼の演技」は「一番すばらしい眺め」でもあったわけです。ここで、「一番」へのこだわりを捨てさえすれば、「彼の演技は壮観だった」と表現してもかまわないことになるのです。
このように、「見る」という行為が関係する場面では、「圧巻」を「壮観」と同じように使うことは可能です。ただし、「圧巻」はあくまでも「一番」なのですから、二番以下のものに用いるのは、明らかな誤りであると言えるでしょう。「圧巻」は、苛酷な競争社会の中から生まれた、ある意味で非情なことばでもあるのです。