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第3回 心のない愛なんて……

 毎年3月、中国では国会にあたる全国人民代表大会と全国人民政治協商会議という二つの大きな会議(両会といわれる)が開かれる。ことしも例年と同様3月に開かれたのだが、政治関連のことは別として、大きな話題を呼んだのが「繁体字」(旧字体の漢字)の復活問題だ。といっても現在通用している「簡体字」(略字体の漢字)のすべてを元にもどそうというわけではなく、一部の重要な字を旧字体にもどそうという主張である。

 今回、全国人民政治協商会議の場に繁体字復活の議案を提出したのは中国の庶民の間で絶大の人気をもつ映画監督・馮小剛(フォン・シャオガン)。彼が2008年につくった「非誠勿擾(誠実でなければお断りの意)」という映画は北海道の自然を舞台にした恋愛もので、中国人の間に北海道旅行のブームを作ったといわれている。

 贔屓の男優・葛優と舒淇の出演する映画とあって、私も北京で公開まもなく見たが、不実な不倫相手と誠実だがさえない独身中年男との間で、若く美しいスチュワーデスが揺れ、苦しむという筋に美しい北海道の大自然を絡ませた、なかなかいい映画だった。

 その馮小剛が、漢字と中国の伝統について発言したのだから、話題にならないわけはない。中国の人気サイト「騰訊網」によれば、彼の主張はこうだ。

 たとえば<亲爱>の2字。<亲>の繁体字「親」には右側に「見」の字がある。<爱>の繁体字「愛」には字の中心に「心」がある。「親に会うことは大事だし(注:中国語の「見」は「会う」の意)、愛には心がなければならない」。こう教えていけば、子どもたちの心に美しいものを植えつけることができる。簡体字では<亲>にも会わず、<爱>には心がないので、まったく内容のないものになってしまう。
 50字から200字ほどの、深い意味をもつ繁体字を選んで教科書の中にもどすことは、そう大きな負担にならないだろうし、子どもたちに中華文化のもっとも重要な部分を感じ取らせることにもなる。伝統を絶やしてはいけないのだ。

 このような馮小剛の見解は、決してその場の思いつきではなく、彼が昨年出版したエッセイ集『不省心』の中でも述べられているものだが、上記のような発言は全国政協会議の場で多くの委員の共感を得たという。たとえば、『纏足』などの著書(邦訳あり)で有名な天津の名士・馮驥才や、連続ドラマで乾隆帝を演じるなど、中国で知らない人はいない俳優・張国立など、錚々たるメンバーが賛同の論陣をはっている。

 簡体字を元にもどそうというような議論自体は以前からあった。だが今回、人気抜群の映画監督や俳優、それに著名文化人たちが、「両会」という、年に一度の大きなイベントを舞台にしてぶったために、このテーマに火がつき、大きな話題となったわけである。
 中国の旧字復活論は、だいたい次のようなポイントにまとめられるだろう。
 1)漢字は、内に秘めている文化が骨抜きになり、伝達の道具となり果てている
 2)多様な構造と味わいをもつ漢字の芸術性が稀薄になり、単なる記号でしかなくなっている
 3)その結果として、中国の伝統文化に断絶をもたらしている

 たしかに术(術)、龙(龍) 、几(幾)、阴阳(陰陽)など、あまりにも簡略化されすぎて、もとの字体との関係が分からないようなものも見られる。こうなると「六書」といわれる、それぞれの漢字の成り立ち(象形・指事・会意・形声・転注・仮借)を説明できなくなる。

 また、もともとは別の字なのに、簡略化して同じ字形としたために、間違えやすい場合もある。例えば<发>は、声調も意味も違う「發」「髮」の簡体字であり、<谷>は「谷」と「穀」の字を兼ね、<干>は「干」「幹」「乾」などの字を兼ねるといった具合である。

 それより何より、私の姓は「蘇」なのに簡体字の<苏>では、なんとなく軽い感じがする、という人だっているだろう。現に私が中国で教えた剣道の教え子たちの中には、防具の垂れに示す姓を繁体字で書くのを好むものもいる。さて写真の女性剣士、「劉」と<刘>の同姓だが、どちらが強そうにみえるだろうか?

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 旧字体には伝統、あるいはある種の重々しさ、権威などが感じられるせいか、中国では近ごろ人名や会社名など、部分的に繁体字が復活、通用している。この感覚は日本でもおなじだろう。たとえば国学院大学の公式サイトをみると、「國學院大學」となっていて、受ける感じはやはり違う。
 さらには、香港・台湾では依然として繁体字を使用しているので大陸の簡体字は不便だとか、日本は日本で独自の略字を使っているので、いっそのこと日中統一すれば分かりやすいのでは、というような意見まである。

  とはいえ、現実に中国の簡化字政策は大きな成果を収めてきたともいえる。清朝末期以来、漢字は中国の近代化にとって大きな障害と考えられ、ここに詳細は述べないが、ローマ字化を含めてその改革のためにさまざまな試みがなされてきた。
 新中国が成立して間もない1954年に中国文字改革委員会ができ、1956年に「漢字簡化方案」が正式に公布され、1958年には漢字音のローマ字による表記法「漢語拼音(ピンイン)方案」が公布されている。そして1986年には政府が正規の文字と認めた簡体字の全部をおさめた「簡化字総表」(新版)を発表。政府の指導の下、簡体字は中国社会のあらゆる場面で使用されるようになり現在に至っている。
 それを一部とはいえ、また旧に復するという意見が国会の場で出始めている。この点について、現在の中国政府の考えはどうであろうか? 

  実は2013年に、社会の各分野の必要に応じるための重要な漢字規範として、国務院の名前で、新しく「通用規範漢字表」が公布されたばかりである。前文の「通知」によれば、この表は中国で通用する文字の規範化、標準化、情報化のレベルを高め、国家の経済社会と文化教育事業の発展促進のための重要な意義をもつもので、公布後は社会一般の漢字はこの表を基準とし、過去の関連した表類は使用停止とする、としている。1級から3級まで、全部で8105字が示されたこの『通用規範漢字表』(語文出版社刊)自体は単純な表だが、その制定に深く関わった専門委員会の王寧女史(北京師範大学教授・中国言語学会副会長)の主編で、別に解説本が出ている。『「通用規範漢字表」解読』(商務印書館刊)。
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 その中に「簡体字と繁体字の関係」という一章があり、今回の表の制定にあたり個別の繁体字について旧に復することを検討し、各方面から意見を聞いたり、調査をしたりした結論として、次のように言っている。

 繁体字を復活させると、我が国の文化の普及や基礎教育の面において学習、弁別、記憶など負担を増加させるだろうし、文化教育の方面に変動をもたらし、社会における用字の安定という面でも利益をもたらさない。
 漢字の簡略化は半世紀にわたって行われ、数億人の識字と書写に便宜をあたえ、我が国の教育普及と成人の非識字者の一掃を促進し、すでに現代の情報伝達と国際交流の手段となり、伝統文化の現代化の方面でも充分積極的な作用をなしてきた。簡化漢字は、すでに国内外の大多数の漢字使用者の習慣となっている。文字使用の社会性という原則に基づき、簡略化の方向を堅持することはきわめて正当なことである。

 悠久の歴史と輝かしい文明をもつ中国は、過去2世紀にわたって、塗炭の苦しみを舐めてきた。その原因や経過についてはいろいろあるにしても、西欧の列強や日本によって植民地化されるという歴史をもっている。先の大戦において戦勝国となり、新中国に生まれ変わってからも厖大な人口と貧困に悩まされてきた。それが21世紀初頭になって、昔の栄光をとりもどしつつある。
 「衣食足れば則ち栄辱を知る」と『管子』にいう。簡体字の復旧運動は、中国が自信を取り戻し始めたことの現れと受け取るべきか。はたまた日本を含めた世界中の大学の中に多数併設されている中国の孔子学院や、伝統文化の研究を使命とした中国人民大学「国学院」の設置(2005年)などと軌を一にした「偉大なる中華文明」への回帰ととらえるべきか。中国の漢字の行方はこれからも目が離せない。

 (c)Morita Rokuro,2015

 

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