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第6回 礼に始まり……

 中国から引き揚げてきて、改めて新宿にある日本語学校に勤めだしたころ、学校が留学生のために、毎年夏に「日本文化体験」の催しをやっていることを知った。私は「文化交流」の一環として、中国各地の大学や団体で剣道の演武をしてきた経験があるので、今年の「出し物」に剣道演武を提案すると「それはおもしろい」ということになった。
 場所は新宿コズミックセンター。演武は同じ地域の誼(よしみ)で新宿区剣道連盟にお願いし、あとは「北京剣道同好会」のOB仲間に声をかけた。こうして去る7月30日木曜日、猛暑のなか、留学生の「日本文化体験」が実現した。

日本語学校の「日本文化体験」

 参加したのは10ヶ国からきた70人ほどの留学生、圧倒的に中国人が多い。その学生たちの前で、まず簡単に「剣道とはなにか」の講義。続いて仮想敵を一人で倒す居合(いあい)、打突の模範動作を二人で演じる日本剣道形、防具をつけての竹刀稽古。そして実際に学生に竹刀を持たせ、メン、コテ、ドウを打たせる「剣道体験」と、盛りだくさんの内容だ。


実際に竹刀で打ってみる

 最後は質疑応答と感想。「打つ時に“メン”と声を出すのはなぜか?」、「ケガをしたことはないか?」などの質問の後、ある一人の学生がいった。
「『礼』の大切さが分かりました。剣道はほんとうに相手を打つので、相手を思いやる、そしてお互いに尊敬する心が必要だと思いました」。
 この的を射た感想に、演武に参加したベテランの指導者たち全員がうなった。
「剣道は礼に始まり、礼に終わる」とは、剣道の入門書に必ず書かれていることだし、常日ごろ、指導者たちが強調するところであるのだが、実際は日本人の間でさえ、わきまえられていないことが多い。地元の稽古会に参加すると、中高校生など、試合に勝つことだけを教えられてきたのでは、というようなテアイにぶつかる。それだけに一人の留学生が、目の前で繰り広げられた日本の剣道の中から「礼の意味」について鋭く感じとったことに、驚かざるをえない。

  剣道には、さまざまな面において伝統的な日本人のものの考え方・感じ方がみられる。たとえば、『剣道試合・審判規則』に「何人(なんぴと)も、審判員の判定に対し、異議の申し立てをすることができない」とあるが、その裏には審判員に対する敬意があり、日本人が美徳と考える「いさぎよさ」がある。勝敗にこだわらないこと、負けたら謙虚に自分の至らなさを受け止めよ、ということである。
 また「審判員または相手に対し、非礼な言動をすること」は重大な禁止事項であり、これを犯すと負けとして相手に二本が与えられるのみでなく、退場を命じられる。既得本数、既得権も認められない。
 まだある。試合で一本取ったときガッツポーズをとったり、仲間の選手とあからさまに喜び合う態度をみせたりしたら、「見苦しい引きあげ」として、その一本は取り消しとなる。「勝って兜(かぶと)の緒(お)をしめよ」という。自ら驕慢になることを戒めるとともに、相手の心を慮(おもんぱか)る、つまり「礼」の精神を重視するからにほかならない。

 このような日本の剣道が、いま中国でおよそ一万人ほどの若者に学ばれている。全国の主要都市にはたいてい道場があり、中国人の指導者がいる。私が日本語教師として赴任した2003年ごろは、中国の若者はやっと剣道を始めたばかりで、有段者といっても初段が一人か二人、道場は北京と上海にあるだけ、といった状態だった。それが今や、中国国内で各種の大会や昇段審査が行われ、全中国剣道連盟が組織され、国際剣道連盟に加入し、今年5月、日本武道館で行われた第16回世界剣道選手権大会において、男子団体52チームの中からベスト8に入っている。

中国国家代表チーム

 なぜこのような急速な発展をとげたのだろうか?
 中国剣道が急速に発展した背景には、もちろん近年の中国経済の急速な発展がある。まず竹刀や稽古着、防具を買ったり、毎回稽古にいったり、各種の大会に参加したりするだけの、経済的裏づけがなければいけない。
 そして日本企業の駐在員として中国各地に赴任し、現地で熱心に指導に当たってきた日本人剣道家の努力がなければ、いまの中国剣道の隆盛はなかっただろう。
 さらには国際剣道連盟(本部は日本剣道連盟にある)が、現地駐在員の協力をえながら講習会・段位審査などを積極的に開催し、中国剣道を援助してきたことも大きい。

 それにしても中国の若者たちは、そもそも、なぜ剣道をやるのだろうか?
 一つは、日本のアニメや漫画で剣道を知って、カッコイイと思ったことが挙げられる。日本にいては気がつかないが、実は日本のアニメは、世界中の若者に歓迎され、きわめて大きな影響を与えている。日本語の勉強を始めたのも、アニメをみて日本的なものに関心をもったから、という若者が多いのである。
 剣道は実際に竹刀をもって相手を打つものである。このような武道は中国にはない。その気迫、精神性、礼儀を尊ぶ姿勢、面や防具という用具の特殊性、そして実際に剣道を始めて分かることだが、瞬発力、跳躍力といった体力と同時に、眼力(動体視力や相手の心を読み取る心眼)などの鍛錬は、中国の若者を引き寄せる大きな力をもっている。それは、剣道が人と人との命のやりとりという厳粛な営為から出発したものだからで、刀は自分の命をまもる大切なもの、従って竹刀は単なる棒ではない、と教えられる。

 ところが中国で剣道をやっていると、日本で稽古していてはまったく考えられないようなことにぶつかる。
 まず道場。道場といっても体育館なのだが、普通の体育館はみんな土足であがる。泥と砂で白っぽくなった床に正座するのだから、洗ったばかりの袴で床の掃除をすることになる。大学の道場は、ヨガやエアロビック・ダンスをやる「スタジオ」でもある。彼女たちは靴をはいたまま練習するので、その後、剣道部が稽古するときには、床は砂と長い髪の毛が漂っている。最初はモップで掃除していたが、学生の中に日本の剣道ビデオで道場の「雑巾がけ」をみた者がいて、やりたいと言い出したのを幸いに、稽古前にかならず雑巾がけをやるようにさせたこともある。

大学剣道部の「雑巾がけ」

  国際大会にでるほどの選手はともかく、中国ではまだまだ剣道が成熟しているとはいいがたい。審判の判定に不満たらたらのもの、竹刀をまたぐもの、杖のようにつくもの、試合しているそばで、次のチームのメンバーがおしゃべりしているなど、「礼」とはほど遠い光景が、まま見られる。
 試合を見にきた観客の態度にいたっては推して知るべし。自らすすんで日本の剣道を学ぼうとしている学生ならともかく、彼らは「スポーツ」を観戦にきたのだ。友だちに誘われてきただけの若者、息子の試合をみにきた親、彼氏の勇姿を写真に撮りたくて来た女の子、などの中国の観客に向かって、やれ帽子をとれ、静かにみろ、決勝戦では正座をしろ、などと剣道の「礼」をそのままおしつけていいものか、ここは指導者として正直いって迷うところだ。日本の剣道や「礼」の観念は、彼らの目からみれば、かなり特殊なものだからである。

 尖閣問題、珊瑚の密漁、爆買いなど、中国人のマナーが話題に上るようになったころ、新聞の川柳投稿欄に「秀逸」として、以下のような作品が載っているのを見つけた。
 「かの国にホント孔子が居たのかな」(毎日新聞)
 これが一般の日本人の感想なのかもしれないけれど、私は考え込んでしまった。どうやら日本人は、「中国には昔、孔子というエライ人がいて「礼」を説いた。だから中国人は、本来、礼儀正しいはずである」とでも思っているかのようではないか……。
 ある時、日本の剣道界のエライ人が北京に来られ、中国剣士を前に挨拶された。「日本の剣道は貴国の儒教の「礼」の精神をもとに発展したものです。『礼記』などは日本に大きな影響を与えました」と。まず『礼記』を「れいき」と言われた。普通は「らいき」である。
 それはともかく、困ったのは通訳氏である。現代中国語がそうとうできる人でも『礼記』は知らない。私が小声で教えてなんとか難をのがれたのだが、実をいうと、聞いていた中国のフツーの若者たちも『礼記』の何たるかを知らない。それに私にいわせれば、剣道の「礼」と、儒教の経典『礼記』は、ほとんど関係ないといっていい。
 日本人は、えてしてその実体をしらないまま中国を尊敬してきた嫌いがある。昔から文字を通してしか中国を理解してこなかったからだ。だが文字は中国の、ほんの一握りの為政者や士大夫のもの、したがって「礼」とか「儒教」といっても、大多数の、メシを喰うや喰わずの庶民には関係ないものだった。
 それに、日本人の目には礼儀を知らないように見えるかもしれないが、彼らは彼らなりのやり方、生活習慣の中で生きているにすぎない。中国は人口が多く、どうしても「ワレ先」の社会である。「公共意識」がそだちにくい環境にあったのは事実だろう。しかし、日本人のほうは、といえば、狭い国土に濃密な人間関係を築いていて、他人の目を意識しすぎる、つまりは他人を慮る「礼」の意識が強すぎる、場合によっては窮屈で、非寛容なところさえあるということもできるのではないか。

 ともあれ、いま中国では、「日本」の剣道を熱心に学び、日本の「礼」を身につけようとする、そういう若者が確実に増えている。
 先日、日本語の教室でおもしろいことがあった。最初の授業だったので、お互いに自己紹介をしたのだが、私が趣味は剣道だというと、中国から来た留学生が「私も剣道をやっていました」という。それで「ほう、どこでやっていたの?」と聞くと、「瀋陽(遼寧省)です」という。
 「瀋陽なら、君の先生は張新月だろう」と私がいうと、「どうして知っているんですか?」とビックリ。
 張新月は私のいた北京までよく剣道の稽古にきていた男だ。彼から段審査の要請があり、瀋陽まで出かけたこともある。

赴任当時の指導風景

 驚いたことに、別のクラスにも中国で剣道をやっていたという学生がいた。彼は蘇州(江蘇省)の楊敢峰の弟子であった。楊君は筑波大学留学後、中国に帰り蘇州で道場を開いているが、この5月の世界剣道大会にも選手として出場、アキレス腱を切っても試合を放棄しなかったことで、満場の拍手を浴びた男である。
 日本と中国で、そういうことが普通にある時代になってきている。安易にレッテルを貼らないで、相手の生きてきた背景、日常の生活習慣をよく知ることが、双方にとって必要ではあるまいか。

(c)Morita Rokuro,2015

 

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