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雲雨の風流 事終えて後、夢閨の私語 慈明を笑う。――一休「大燈忌宿忌以前、美人に対す」

 大学に入って中国の文学を学び始めてから、数えてみればもう五十年を超えている。半世紀もの間、飢え凍えることもなく、戦火に逃げ惑うこともなく、本に向き合う暮らしを続けることができた。人間の歴史のなかで、これほどの期間を平穏のうちに過ごせるなど、どれほどあったことだろう。まずは時代と場所に恵まれた僥倖に感謝しなければならない。
 しかし五十年を勉強に費やしたところで、向こうは三千年の歴史を有する強者[つわもの]、到底たちうちできそうにない。長い時間を掛けたことで問題が解決するどころか、時とともに疑問はいっそう増え、年とともに混迷はいよいよ深まる。
 先月この連載に書いた、詩の形式は唐代までに出揃ってしまった、それ以後の千年、新しい形は生まれない、という不思議な現象――こういう問題は誰も言わないので、学の浅い自分だけの疑問ではないかと思って、なかなか言い出せない。
 自分では不思議でならないのに誰もそれを問題としないという謎は、実はまだいくらでもある。ずっと気になっていた一つは、「寄託」の手法。中国の古典文学では、男女の関係を語りながら、本当に言いたいのは君臣の関係なのだという表現手法が当たり前のものとなっている。忠君の思いを言いたいならば、儒家思想が支配する伝統文化のなかにあって堂々と正面から表明できるはずなのに、なぜわざわざ好ましからざる男女の関係を借りて表わすのか。『楚辞』離騒に「美人の遅暮(老いてゆく)を恐る」と言う。「美人」というから麗しい女性を思い浮かべ、若さ・美しさを失っていく悲しみを言うのかと思うと、「美人は(楚の)懐王を謂うなり」(王逸)という注が付いている。美女がひげ面の王様に変わってしまった。
 寄託の問題に対しては、近々刊行される『中国の詩学』(研文出版)のなかで、一つの推測を記してみた。専門家にとってはあまりにも当然で、取り上げられもしない素朴な疑問、それを疑問として考え直してみないと、中国の古典文学は少数の「くろうと」の専有物になってしまう。普遍的な文学としてもっと広い場に出さないと、いよいよ先細りになってしまう。『中国の詩学』はそんな思いから書き下ろした本です。
 この連載も最終回になったことに甘えて、自分の本の紹介をさせていただいたが、身勝手のついでにもう一つ、沓掛良彦さんの著作も紹介したい。枯骨閑人こと沓掛良彦先生が当今に並びなきゆえんは、文字通りの古今東西、あらゆる詩に精通し、訳や論をものしておられる希代の文人であることだ。ギリシアの詩四五〇〇篇を訳された『ギリシア詞華集』(全三冊、京都大学学術出版会、二〇一五~二〇一六)の大著をはじめとして、陶淵明、和泉式部、西行など中国や日本の詩歌に関する専著もある。八〇歲を超えた今も酒杯を傾けながら、一休に関する著作を用意されているという。
 沓掛さんとの語らいがきっかけとなって、柳田聖山『一休 「狂雲集」の世界』(人文書院、一九八〇)を読んでいたら、目を見張る解釈に出会った。大徳寺の開山である大燈国師、その命日の法要の前夜に作られたという作にいう、

  大燈忌宿忌以前、対美人   大燈忌宿忌以前、美人に対す
 宿忌之開山諷経    宿忌の、開山諷経[ふぎん]、
 経呪逆耳衆僧声    経呪[きょうじゅ]耳に逆らう、衆僧の声。
 雲雨○流事終後」風  雲雨の風流、事終えて後、
 夢閨私語笑慈明    夢閨の私語[しご]、慈明を笑う。

 上に引いた原文・訓読、いずれも同書による。「雲雨」の後の「○」は、写本に欠けているのを柳田氏が「風」で補ったもの。ついでに柳田氏が「替え歌」と称する訳も掲げる。

  開山しのぶ、法事の前夜、
  お経がくどいぞ、ナマグサ坊主。
  雲か小雨か、情事のはては、
  慈明たまげる、夢閨[おいら]の内緒。

 「宿忌」は命日法要の前夜の行事という。その読経が「諷経」。日本で音読みすると呪文のようにわけがわからないから「経呪」というわけではなく、読経の声は中国でも「経呪」という。「忠言は耳に逆らうも行に利あり、毒薬は口に苦くとも病に利あり」(『史記』留侯世家)、ありがたいお経はためになるのかも知れないが、坊さんたちの声は耳障り。「雲雨の風流」はもちろん楚の懐王と巫山神女との情事そのもの。「夢閨」[むけい]は一休の号。その名は天龍寺の開山夢窓疎石を思わせるけれど、「夢」の字を借りながら「閨房を夢む」とはすでに茶化している。「私語」は柳田氏も指摘されるように、白居易「長恨歌」のクライマックス、「七月七日長生殿、夜半 人無く私語の時」の「私語」。すなわち玄宗と楊貴妃が密会した時の男女のむつごと。「慈明」というのは、柳田氏の説明によると、臨済宗の祖師の一人で、寺の門前で美女と逢い引きを重ねたことで有名な僧侶なのだという。色好みで知られるあの慈明すら愚僧には顔負け、というところか。


 詩は大燈国師の法事に際して自分は情事に勤しむということなのだが、「大燈忌宿忌以前、美人に対す」の「美人」について、柳田氏は「じつは大燈国師その人なのです」と言われる。そして「美人が大燈を指すという注釈をつけた人は誰もいません。この秘密を解いたのは、おそらく私がはじめてであります」とのことである。
 柳田氏はこの解釈を中国の手法から思いついたかのように言われる。「いったい、中国文学の作品で、美人という言葉が出てきても、必ずしも女性とは限りません。むしろ、男性を指す場合の方が多いのです」。
 しかしわたしには中国の寄託の手法とは同じでないように思われる。寄託ならば、美人とあってもそれを大燈国師のことと読み替えるのだ。
   美人→大燈国師
 しかし一休は、
   美人=大燈国師
と言っているのではないか。つまり法界と色界という、ふつうは対峙する両極と捉えられるのに対して、一休は両者を同一のものと言い切る。そのことによって両者の間に生じる迷いを超越する、そんな立場を言っているのではないだろうか。
 一休と森女[しんにょ]との情交について、柳田氏は深く踏み込まないように、慎重な態度を守っているように見える。わたしにとってはなはだ不案内な仏教、禅の世界の話なので、断定は控えなくてはならないけれど、森女との生々しい描写の数々は、やはりそれ自体を表現しているように思う。何かほかのことを言うために借りたものでもないし、また一方、情交そのものを書きたいためでもない。美人即大燈国師としたのと同じように、一休にとっては森女への愛も仏への愛も同一であることを言いたかったのではないだろうか。それこそわたしはつまみ食いしたに過ぎないので、沓掛さんがどのような一休論を展開されるのか、次の本を楽しみに待つことにしたい。
 今回学んだことは、中国の寄託の手法について、もう一度考え直さねばならないということだ。『中国の詩学』のなかに記したと称したのは、なぜ寄託が通行するかという問題に過ぎず、寄託によってどのような表現効果が生じるのか、詩の表現にいかなる働きをするのか、という問題には触れていない。一休の「美人」を契機として、また新たな問題が生まれた、といった具合で、耕せば耕すほど、目の前には未開拓の荒れ地が拡がっていく。

           *

 二年半余り、この連載にお付き合いくださったみなさまには、心からお礼申し上げます。この小文を読んで、中国の詩ってちょっとおもしろそうだな、と思っていただければ、とても嬉しく思います。
 この企画を立て、毎回魅力的な写真を用意してくださった、担当の佐藤悠さんにもお礼申し上げます。拙い原稿が写真のおかげでずいぶん引き立ちました。ありがとうございました。

 

*図版出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)


(c)Kawai Kozo, 2022

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