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故郷 今夜 千里を思う、霜鬢 明朝 又た一年       ――高適「除夜の作」

 今年も年の瀬が近づいてきた。新暦であれ旧暦であれ、一年の終わりは時間の流れに思いをいたす節目ではある。おおみそかをあらわすには、中国では「除夜」のほかに、「除夕[じょせき]」という言葉もよく使われる。「除夜」「除夕」の「除」とは、どんな意味なのだろう。
 ふつう、古い年が「除かれて」新しい年に変わるという意味だと説明される。官僚が新しいポストに任命されることを「除官」と言うのも同じだという。「凡そ除と言うは、故[もと]の官を除き新しき官に就くなり」(『漢書』景帝紀の如淳[じょじゅん]の注)。しかし「除は易[か]わるなり」――「除」とは替わることだという説もある。そして新旧の年の変わり目を「除」というのも年が替わるからであり、階段を「除」というのも下から上に段段が替わるからだという(宋・沈括[しんかつ]『夢渓[ぼうけい]筆談』巻四)。

 

 年の変わり目を「除」というのは、『詩経』唐風・蟋蟀[しっしゅつ]の詩から見える。

 蟋蟀[コオロギ]堂に在り、歳 聿[ここ]に其れ莫[く]れん。
 今 我れ楽しまざれば、日月 其れ除[さ]らん。

 最古の詩集『詩経』でもすでに、年の終わりに時間の切迫を覚えていることがわかる。『詩経』の古い注釈、「毛伝」には「除は去るなり」と言う。それによれば、「除」とは時が過ぎ去る意味になる。「除」一字にも「のぞく」「かわる」「すぎさる」など、さまざまに解釈されてきた。訓詁の学はややこしい。

 さて、除夜といえば、家族が一堂に集まって「過年guo4nian2」(年越し)をすることは昔も今も、中国も日本も変わらない。そんな晩をひとり異土に身を置いて過ごすのは、これまた昔も今も変わらぬ無聊の極み。みなが楽しんでいる時こそ、寂しさはいよいよ身にしみる。したがって故郷を離れた地で迎える除夜をかこつ詩はいくらでもある。そのなかでもよく知られた、盛唐・高適[こうせき]の詩を見よう。

  除夜作       除夜の作
旅館寒燈獨不眠  旅館の寒灯 独り眠らず 
客心何事轉悽然  客心 何事ぞ転[うた]た悽然たる
故郷今夜思千里  故郷 今夜 千里を思う
霜鬢明朝又一年  霜鬢 明朝 又た一年

 昔の旅は行楽のためではなく、公務であれ私事であれ、やむをえずにするものであった。左遷や出征、あるいは戦乱で故郷を離れるなど、旅には常に不本意な思いがつきまとう。見慣れぬ地は新奇な物に触れる楽しさよりも、違和感を覚えるものでしかなかっただろう。
 わびしい旅籠屋、一つぽつんとともるともしびも寒々として薄暗い。その明かりを詩人は見つめ、ともしびも詩人を見つめる。周囲はもう寝静まり、自分だけが眠れぬ夜を過ごしている。年越しの夜は「守歲」といって朝まで眠らずに過ごす習慣があったが、ここでは守歲をしているわけではない。眠れないのだ。

 旅人の心は「何事ぞ」、どうしたことなのか、いよいよ凄絶としてくる。寒燈に向き合っているうちに、なぜか悲しみは痛みを伴ってくる。
 自分でもわからないその気持ちは、後半二句で語られる。
 ほかならぬ除夜の今夜、ふるさとでは一族集い合って笑いさざめいている様子が目に浮かぶ。異郷にさすらうわびしさは、この特別な夜だからこそいっそう迫る。第三句は「故郷」「今夜」「千里を思う」という三つの言葉が投げ出されているだけで、その関係を明示する語がない。そのために「故郷」を主語ととって、故郷の人々は今夜、千里も遠く離れた自分のことを思っているだろう、という読み方もある。しかしきっちりと語法通りに読むよりも、投げ出された語が混在しているほうが味わいがあるように思う。
 懐郷の思いだけではない。明日になればまた一つ年をとり、霜が降りたように頭の白いものもさらに増える。加齢を悲しむのみならず、人生思うにまかせぬまま老いていくことがいっそう嘆かわしい。この旅もなんらかの不首尾の結果なのだろう、旅の身ゆえに不如意の思いがいっそう迫る。

 ふるさとを離れた地でひとり年越しを迎えるわびしさ、これはわたしたちにもそのまま共感できる。昔の人たちも同じ状況のなかで同じ思いをいだき、それゆえに除夜の索漠たる心情をうたった詩はあまたにのぼる。九月九日の重陽[ちょうよう]、その節句にも一人加われない寂しさをうたう詩が多い。
 中国の詩には世界を新たに捉えなおして日常の安定を揺るがす詩もあるが、実際には誰にも共感できる思いをうたう詩が多くを占める。孤独な除夜の思いをうたう詩もそのたぐいに属する。こうした詩を読むことによって、人は広くいだかれてきた情感を共有し、心の安らぎと慰撫を覚える。これも詩の働きの一つといえよう。

 新春を迎えるに際して、中国にもさまざまな風習がある。春聯[しゅんれん]というめでたい言葉を対[つい]にした赤い紙を門の両側に貼り、室内には桃の花を供える。魚の料理を用意するのは、「魚」yu2と同じ音の「余」yu2に掛けて、「年々有余」、毎年の豊饒を祈るもの。餃子を食べるのはもともと北方の習慣であったのが、今では南方にも拡がっているという。子供は「紅包」hong2bao1という赤い紙に包んだお年玉をもらう。テレビでは紅白歌合戦ならぬ「春節聯歓晩会」を家族そろってみる。ただし旧暦で祝うので、除夜は毎年変わる。ちなみに来年2020年の除夜は1月24日。
 しかしこうした風習も日本と同じようにしだいに薄れてきているらしい。春節も節句の行事よりも単なる長い休暇の色合いが強くなったという。一年が平準化し、年越しも特別な意味を失ってしまうと、除夜の寂寞をうたった詩も人々の共感から遠ざかってゆくかも知れない。

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