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雪は浄し 胡天 馬を牧して還る         ――高適「塞上 笛を吹くを聽く」

 詩によく詠まれる自然美を「雪月花」と称することがある。花は春、月は秋、そして雪は冬を代表する景物である。今回は雪を詠った詩を取り上げる。前回に引き続いて、高適[こうせき]に登場していただこう。
 高適は盛唐の詩人。盛唐の詩人というと、すぐに李白・杜甫の名が浮かぶけれど、二人はやはり特別な存在であって、時代を飛び越えた所がある。「典型的」な盛唐詩人としては、王維・高適・岑参[しんじん]、さらには孟浩然・王昌齢などのほうがふさわしい。
 盛唐には「辺塞詩」という、国境地帯を舞台とした短い詩が流行した一時期があった。玄宗皇帝の領土拡張政策によって、北西の異民族との角逐が続き、辺境の地に兵士が駆り出されたが、異土における彼らの哀感をうたうのが辺塞詩である。高適と親交の深かった杜甫の「兵車行」などはふつうの辺塞詩と違って、兵士・家族の悲痛な思いや出征を駆り立てる当局への批判を含むが、一般に辺塞詩は辺境のエキゾチックな風物と併せて、哀愁をロマンティックな情感に仕立ててうたう。当時の好戦的気分と結びついた、一種のムード歌謡といったところか。高適は岑参・王昌齢とならんで辺塞詩の代表的な詩人であった。三人とも実際に辺塞に赴いた経験がある。

 塞上聽吹笛     塞上 笛を吹くを聽く    高適
 雪浄胡天牧馬還   雪は浄し 胡天 馬を牧して還る
 月明羌笛戍楼閑   月は明らか 羌笛[きょうてき]戍楼[じゅろう]閑なり
 借問梅花何処落   借問[しゃもん]す 梅花 何処[いずこ]にか落つると
 風吹一夜満関山   風吹きて 一夜 関山に満つ

 この七言絶句は、盛唐辺塞詩のなかでもとりわけ人口に膾炙したもので、『唐詩選』にも採られている。しかし詩題をはじめとして文字の異同が多い。本文は文字の異同というより、別の詩といってよいくらいだ。ここでは通行するテクストにおおむね従うことにするが、文字を固定してみても解釈はさまざまに分かれる。煩わしいけれども、少しだけ違いを記そう。

 冒頭の「雪は浄し」、これを雪がきれいに消えて大地があらわれたとする説がある。実はわたしも以前、そのように解したことがあった(黒川洋一ほか編『中国文学歳時記 冬』同朋社、一九八六)。他人の解釈を読んで、違うんじゃないかと思うことはよくあるが、自分自身が過去の読み方は違うと思い直して解釈を変えるのは忸怩たるものがある。語るたびに別の読み方をしたら、人に信用されない。しかしここは恥を忍んで、三十数年前の自説を改めたいと思う。
 雪が消えたという解釈を生んだのは、「牧馬」、馬の放牧は雪が溶けて若草が芽生えてから始まるものだから、という実生活に即した(?)理由があった。しかし諸家の多くが説くように、「雪浄」はやはり雪が降り積もった清浄な光景をいうと捉えるべきだろう。南宋の例であるが、楊万里に「天は一雪を将(も)って乾坤[けんこん](天地)を浄[きよ]む」(「丁端叔の雪を喜ぶに和す」)という句もある。積雪と牧馬の齟齬は、春が近づいた時期に早々と放牧を始めたところへ、またぞろ雪が大地を白く覆ったと解しておくことにしよう。あとの句で梅の花を期待するように、この詩は冬も終わりの、春が待たれる時節を舞台としている。
 「馬を牧する」のは、春が近いだけでなく、戦闘がひとたび収まったこともあらわす。野外で放牧していた牛馬を日暮れに里に連れ戻すのは、『詩経』の「日の夕べに、羊牛下り来たる」(王風・君子于役)以来、王維の「斜光 墟落(集落)を照らし、窮巷に牛羊帰る」(「渭川田家」)など、静かな夕方の情景として詩によく見える。
 日暮れの光景に続いて、次の句では「月は明らか」、と夜に移る。「羌笛」は、中国西方の遊牧民族である羌族の笛、辺塞の地の哀愁を呼び起こす小道具として辺塞詩におなじみのもの。月光を浴びて笛を吹いているのは、この町に混在している異民族であろうか。「戍楼」は要塞の地ゆえの見張り台。「閑」にも問題がある。もとの「閒」の字は「間」にも「閑」にも読める。多くは「間」に従うが、「戍楼の間」では「戍楼の上」などというのと同じく場所を示すに過ぎず、押韻のために「間」を選んだだけのことになる。「閑」――ひっそり静まりかえっていると読んだほうが、夜のしじまに流れる笛の音色が際立つのではないだろうか。もっとも詩では情報量が多いほどよいとは限らないけれども。
 七言の詩は一句が四字・三字で分かれるのがふつうなのだが、この詩の初めの二句は二字・五字の句作りと考え、訓読もそれに従った。
 第三句は笛の曲名である「梅花落」と実際の梅の花を掛けた機知。羌笛は「梅花落」の曲を奏でているけれども、この春遠き辺境の地のいったいどこに梅の花があるというのか。
 そして最後の一句、風に吹かれて一夜のうちにあたりの山々に隈無く梅の花に埋め尽くされている。「満」ちている梅の花とは、もちろん雪の比喩である。梅の花はないけれども、その代わりに一面に降り積もった雪は、まるで梅の白い花が敷き詰めたかの光景を見せる。月明かりのもと、静寂のなかに拡がっていく「梅花落」の曲は、あたかも音色がそのまま雪と化したかのように、一晩でまわりを銀世界に変えてしまった。積もった雪を梅の花に見立てていることを、中国の注釈は明言していないけれども、それこそがこの詩の眼目である。眼前の雪景色と梅の花が敷き詰めた光景、二つの情景が重ね合わされている。そしてそこには春の訪れを心待ちにする思いが、眼を奪う雪景色と併せてうたわれている。

 雪の比喩といえば、『世説新語』(言語篇)に記された話が名高い。東晋の謝安は雪の日、一族の子どもたちにこう尋ねる、「白雪紛紛たるは何の似るところぞ(紛々と降る雪を何かにたとえてごらん)」。甥の謝朗が答える、「塩を空中に撒くはやや擬すべし(空に塩を撒いたというのが近いよ)」。のちに女性詩人としても知られるようになる姪の謝道蘊(しゃどううん)が答える、「未だ若[し]かず柳絮[りゅうじょ]の風に因りて起こるに(柳絮が風に舞う姿のほうが似ているわ)」。
 謝朗のいかにも子供らしい比喩と、謝道蘊のおとなびた比喩が対比される。問いかけた謝安は「大いに笑って楽しんだ」と結ばれているから、どちらが巧みとも語っていないのだが、『世説新語』の書き方は謝道蘊に軍配をあげているように見える。雪の白片を雪とかけ離れた、日常生活のなかの「塩」になぞらえたのは、風雅ではないが稚気に満ちるおもしろさがある。一方、柳絮(柳から飛ぶ白い綿毛)は南朝ではまださほど注目されないものの、唐詩になると晩春の景物として定着するもので、いかにも詩的な情景ではある。色や形状のほかに、運動感も空を舞う雪の動きは、ふわふわと漂う柳絮のほうがぱらぱらと落ちる塩に比べて、ふさわしいだろう。のみならず、謝道蘊の比喩は、眼前の雪の降る光景を柳絮舞う春景色に見立て、冬と春の景を二重に写しているのである。
 ちなみに謝安の問い、謝朗と謝道蘊の答え、その問答を原文で記すと、「白雪紛紛何所似」、「撒鹽空中差可擬」、「未若栁絮因風起」。いずれも七言の句で、句末に「似」「擬」「起」と韻も踏んでいる。南朝貴族の家庭ではこんな言葉遊びに興じていたものであろうか。

 謝道蘊が雪の降りしきるさまを風に漂う柳絮が春の空を埋め尽くす光景に見立てたように、高適の詩も雪景色のなかに梅の散り敷く光景をだぶらせている。詩の叙景は眼前の景を描写するにとどまらず、実際に眼に映るのとは別のもう一つの光景を現出させることによって、実景を超えた情景を言葉で表現することがある。

 

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