以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0483
広島県に三次市という市がありますが、「三次」と書いてどうして「みよし」と読むのですか?
A
広島県の三次という地名は、平安時代に作られた『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という辞書にも出ているので、かなり古くからある地名です。ただ、どうして「次」を「よし」と読むのか、県外の人からすれば、難読地名の1つでありましょう。
『倭名類聚抄』よりも1世紀ばかり遅れて作られた『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』という辞書を調べてみると、「次」という漢字にはいろいろな読み方があったことがわかります。まずは、「つぎ」「ついで」。これらは、現在でも使われる読み方です。続いて、「やどる」となると、ちょっと意外に感じるかもしれません。でも、「東海道五十三次」を思い出せば、納得できるのではないでしょうか。他にも、「たすく」とか「ならぶ」とか、どうしてそう読むのかちょっととまどうものが、たくさん載っています。
そんな中に、「よし」もあります。つまり、昔は「次」を「よし」と読むことがあったわけで、「三次」はそれに従っただけだ、という可能性が高いのです。
では、どうして昔は「次」を「よし」と読んだのか?
残念ながら、その答えはよくわかりません。『大漢和辞典』の「次」のところを何回読んでみても、「よし」に直接結びつくような意味は載っていないのです。
ひょっとすると、「○○する時」というような意味で用いる「次」が変化して、「○○する理由」というような意味となって「よし」と読まれたのか。あるいは、「二番目」という意味の「次」が、「二番目に良い」ということになって「よし」と読まれたのか。
私が思いつくのはこんな程度です。ただ、こういうふうに、ああでもないこうでもないと考えるのは、頭の体操になります。いい説明を思いついた方、ぜひともご一報ください。