以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0307
「日(ひ)」と「曰(ひらび)」の違いについて、教えてください。
A
一般に、「早」の部首は「日(ひ)」、「映」の部首も「日(ひ)」ですが、「曾」の部首は「曰(ひらび)」、「最」の部首も「曰(ひらび)」だとされています。これらは見た目には同じ「日」に見えるのに、どこに違いがあるのでしょうか。
「日」という漢字は、文字通り「お日様」を表しています。ですから、「日(ひ)」を部首とする漢字は、太陽や光、時間などに関係する意味を持っています。先ほど例に挙げた「早」「映」を初め、「昔」「昨」「昼」「晴」「暑」などなど、その例にはきりがないほどです。
しかし中には、「日」を含む漢字でありながら、実際にはお日様とは何の関係もない漢字もあるのです。「曾」はもともと、料理用の蒸し器のようなものを形どった象形文字ですし、「最」の「日」に見える部分は、本来は「ずきん」の象形で、お日様とは無関係です。
このように、見た目には同じ「日」を含んでいる漢字の中にも、お日様に関係するグループと、そうでないグループとがあるのです。そこで、前者の部首を「日(ひ)」と呼び、後者の部首を「曰(ひらび)」と呼んで区別するのです。これが、「日(ひ)」と「曰(ひらび)」の違いです。
「曰(ひらび)」に属する漢字は、そもそも寄せ集め軍団で、意味的に共通するものはありません。ですから、「ひらび」という名前も、単に「日(ひ)」と区別するために付けられたもので、「日(ひ)」の「平べったい」もの、というくらいの意味ですが、別に平べったくないと入れてもらえないわけではないのです。
部首とは本来、漢字を意味によって分類したものではあるのですが、その考え方をつきつめていくと、部首の数は膨大なものとなってしまいます。そこで「曰(ひらび)」のように、便宜的に部首を立てることもあるのです。
漢字の世界には、秩序だった部分とそうでない部分とが混在しています。「日(ひ)」と「曰(ひらび)」の関係は、そのことを象徴しているように思われます。そしてそれは、秩序や論理といったことばだけでは割り切れない、この世の中の反映でもあるのです。