Q0532
中国の福建省のアモイ市の漢字表記は、「廈門市」「厦門市」の二種がみられますが、いずれが正しいのでしょうか?
A
「广+夏」か「厂+夏」かということで、ネット上でも侃々諤々の議論が戦わされているようですが、結論からいいますと、どちらでも間違いではないとしかいいようがありません。
アモイの表記については、高校生向けの漢文の教科書に掲載されている中国地図でも両表記がみられますので、確かに戸惑われることでしょう。手元の高校生向けの地図帳を開いてみても「アモイ」の横にカッコで「厦門」と表記されていました。ところが、市販の漢和辞典をいくつか開いてみますと、いずれもアモイは「廈門」と表記されていますが、その附録の現代中国地図では本文とは異なって「厦門」と記されていたりします。国語辞典ではどうでしょうか。大型辞典でみますと、漢字表記は「廈門」だけのものと、「廈門・厦門」の両種併記のものがみられます。
一方、本家の中国ではどう表記されているのでしょうか。「厦門(门)」です(「門」は簡化されて“门”ですがここでは置きます)。どちらにするべきかという議論のなかに、「表記の現地主義」ということで「厦」とすべきという主張がみられますが、これは説得力を欠くといわざるをえません。その考えを延長させますと、たとえば遼寧省の省都の「瀋陽」は現代中国では「沈陽(阳)」と表記されます。これを、日本語にもちょうどあるからといって「瀋」をやめて「沈」をあてはめるのはいかがなものでしょうか。現代中国では「しずむ」の「チン」は「沉」、姓氏の「シン」は「沈」というように使いわけされ、そのうえ、「沈」(シン)は音通から、「墨汁」の意や地名用字としての「瀋」の簡化字ともなったのです。だからといって、日本でも「瀋」を「沈」として、「沈陽」と表記するのは、少し乱暴な議論といえましょう。日本の漢字使用は、中国の文字改革とは関係ありませんので、原則的として現地の簡体字を採用せずに「瀋陽」とされるのです。
さて「廈」と「厦」ですが、これは文字の簡化の問題ではありません。中国では文字改革の一環で、簡体字を正式決定する前の1955年末に異体字の整理がなされました。同一の音・義で字体が異なる2種以上の漢字があると文化、教育、社会生活全般面で混乱が生じかねないということで、810組のそれぞれを1字体に絞り込んだのです。そこで「廈・厦」のいずれかにするかが検討され、1画少ない「厦」が選定されたのでしょう。同じような例に「廁・厠」(⇒厠を選定)、「厨・廚・厂+尌」(⇒厨を選定)があります。これはあくまで中国の文字政策による規範です。日本の漢字表記は中国の簡化字、異体字整理とは関係ありません。
「廈」「廁」「廚」は「厂・がんだれ」にしたがう字体も古くからあります。しかしいずれも字源から考えれば「广・まだれ」(=家屋の象形で家屋や建物を表す文字に意符として使われる)が正字とされ、「厂・がんだれ」をもつ方は俗字とされます。康煕字典でも「厦」は「厂」に従うのは誤りだとの注がみられます。ただ、日本では「厠」「厨」のいわゆる俗字体が広く使われています。まして、「厨」は人名用漢字ともされていますので、『新漢語林』ではそれを新字体とし、「廚」を旧字体、「厂+尌」を俗字としています。
いずれにしても、常用漢字として字体をふくめて「規定」されれば、いずれかを選択する根拠の「起点」にはなりますが、ご質問の字は表外字ですので、やはり「どちらにすべき」とはいえません。ただ、字源を考えて「正字」の「廈」「廁」を優先するのが説得的だとは思います。そのために、『新漢語林』では、「正字」を見出し字として掲げていると思われます。(舩越國昭)