以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0296
「見」「視」「観」の意味は、どれも「見る」ですが、本来の意味の違いはあるのでしょうか?
A
Q0180でご説明したように、「聴」という漢字には「心を傾けて聞く」という意味があり、漫然と「聞く」ことを表す「聞」とは区別されています。しかし、「見る」の場合、「見」「視」「観」の区別は、「聞く」の場合ほど明瞭なものではありません。
「見」という漢字は、「目」と「儿」とから構成されています。「儿」は「人」の変形ですから、この字は目を強調した人の形を表した象形文字だとされています。ですから、この漢字によって「見る」という行為一般を表すことができます。
では、「視」「観」はどうかというと、これらの字源には諸説のあるところで、そちら方面から意味の違いを考えるのは、なかなか難しいのです。そこで、一般的には、これらの漢字を含む熟語から考えて、意味の違いを説明するのが普通です。
「視」の場合は、「視線」「注視」「凝視」などの熟語の意味を考えると、「まっすぐにものを見る」意味だということになります。「観」は、「観賞」「観覧」「景観」などから、「一歩下がってものをながめる」意味だと説明できます。
しかし、この方法にも限界があって、「視点」と「観点」はどうちがうのかとか、まっすぐに見てばかりだと「視野」は常に狭いということになりかねないとか、いろいろとイチャモンを付けることができるのです。
こう考えてくると、『常用漢字表』が「視」「観」に「みる」という訓読みを認めていないのも、いたしかたないと思えてきます。日常生活のレベルでは、「みる」の場合は漢字にあまりこだわらず、基本的に「見る」と書いておくのが自然だと思います。