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漢字Q&A

漢字Q&A

以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。

Q0278
「倫理観」と「倫理感」、「道徳観」と「道徳感」などは、「観」「感」のどちらを使うのが正しいのですか?

A

これはややこしいですよね。こういうややこしい問題について考える場合、まずはそれぞれの漢字の基本的な意味を押さえておくことから始まります。
「観」は、「見」が部首であることからわかるように、視覚に関係する意味を持つ漢字です。それに対して「感」の方は、「心」が部首であることからわかるように、心の状態に関係する意味を持つ漢字です。
そうすると、「倫理観」「道徳観」の方は、「倫理をどんなものだと見ているか」「道徳をどんなものだと見ているか」という意味だということになります。このように、あることがらに対する見方、考えを意味する場合には、「観」を使うのが一般的です。
同様に考えると、「感」は、あることがらに対する感じ方を意味する場合に用いられることになりそうですが、それだと「観」との違いはなかなか実感できないでしょう。こんなときに有効なのは、似たようなことばをいくつか思い浮かべて、比較してみることです。
「感」を含む似たような熟語を、いくつか考えてみましょう。「絶望感」「虚脱感」「挫折感」……。そんなマイナスイメージのことばばかりだと、縁起が悪いですね。「達成感」「幸福感」「絶頂感」なんてのもあります。
これらはみな、「絶望に対する感覚」「達成に対する感覚」ではありませんよね。「自分が絶望しているという感覚」「自分が達成したんだという感覚」なのです。
以上をまとめると、次のようになります。

○○観○○に対する見方、考え方
○○感自分が○○している(である)という感覚

このように考えると、「倫理感」「道徳感」は、「自分は倫理・道徳している(である)という感覚」ということになります。これはちょっとおかしな感じですよね。だから、このような「感」の使い方は間違っている、という人もいます。
でも、ちょっとがんばれば「自分が行っていることは倫理的・道徳的であるという感覚」と理解できないでもありません。実際、「道徳感の欠如」という場合は、その人の行っていることは道徳的ではないわけですから、「感」がぴったりはまります。そう考えると「倫理感」「道徳感」を間違いだということはできないと思います。

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