以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0480
「愈」という漢字には「いよいよ」という訓読みがありますが、この漢字に「いよいよ」という意味はあるのですか?
A
訓読みとは本来、中国語としてその漢字が表していた意味を、日本語に置き換えたものです。つまり、訓読みはそのまま、その漢字の意味を表しているわけですから、「愈」に「いよいよ」という意味があることは、言うまでもありません。
ただ、ややこしいのは、日本語の「いよいよ」にはいくつかの意味があって、その全てが「愈」の意味として当てはまるわけではない、ということです。たとえば小社『明鏡国語辞典』で「いよいよ」を調べると、次のように説明されています。
(1)よりいっそう程度が高ま(って最終的な段階に至)るさま。ますます。いっそう。「雨は―激しさを増してきた」
(2)時を経て、ついに重大な局面に至るさま。「―決断すべき時がきた」
(3)事が進んで、確かさが決定的になるさま。「交渉の決裂は―明らかとなってきた」
このうち、漢字の「愈」が本来持っている意味として当てはまるのは、(1)のうち、()を抜いた部分くらいのものでしょう。この漢字は、程度がだんだん高まっていくことを表してはいるのですが、それが「最終的」「重大な」「決定的」といったところにまで達して云々というニュアンスまでは、表してはいないのです。つまり、日本語の「いよいよ」と中国語の「愈」との間には、微妙なズレがあるのです。
では、(2)や(3)の意味の「いよいよ」を漢字で「愈」と書くと間違いかというと、そうでもありません。一度、「愈」に「いよいよ」という訓読みを与えてしまうと、あとは郷に入れば郷に従え、日本語の「いよいよ」と全く同じように使ってしまうのが、日本人の融通無碍なところです。
こういった現象は、漢字の世界ではよく見られます。もともと別の言語だったのものを借りてきているわけですから、微妙に違っていても当たり前と言えば、当たり前。その微妙さ加減を探っていくのも、漢字のおもしろさの1つなのです。