以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0315
「○○という○○」のような「いう」は、漢字で「言う」と書くのか、ひらがなで「いう」と書くのか、どっちがいいのですか?
A
これは編集者泣かせの問題ですねえ。
Q0190で、「おいておく」をどう書くかという問題を取り上げました。そこで申し上げたのは、具体的・実質的な意味が乏しい動詞については、ひらがなで書く傾向がある、ということでした。つまり、「置いて置く」ではなく「置いておく」の方がより一般的ではないか、ということです。
同様に、「○○という○○」についても、「いう」に実質的な意味があるのかどうか、という点から判断すればよさそうです。たとえば、「龍角散というのどの薬」の場合、別に口に出して「龍角散」と言っているわけではありませんから、この場合の「いう」には実質的な意味はなく、従ってひらがなで書くのがよさそうだ、というわけです。
しかし、実例に当たってみると、「いう」と「言う」の使い分けは、判断に迷うことも少なくありません。とくにむずかしいのは、「といえば」の形で出てくる場合です。
たとえば、「龍角散といえば有名なのどの薬だ」の場合、「龍角散」ということばが、話の流れでたまたま口をついて出て、そこで思い出したのだけれどあれは……、という状況であれば、「と言えば」と書いてもおかしくなさそうです。しかし、「ゴホンといえば龍角散」の場合は、「ゴホン」と口に出して言っているのでしょうか?
別に私は龍角散の回し者ではなく、この例を取り上げたかっただけなのですが、それはともかく、そんなわけで、「いう」と「言う」の使い分けについて悩み出すと、キリがありません。私の校正経験からいくと、この問題には深入りをしない方が身のためです。その場の雰囲気で適当に使う、くらいがいいと思います。
そんなことはない、それはオマエがいい加減だからだ、と言われてしまえばそれまでかもしれません。でも、ためしに何らかの方針を決めて使い分けてみてください。理論的な使い分けは決めることができたとしても、実際の文字面を見ると、どうも落ち着かないことが多いと思いますよ。