当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

漢字Q&A

漢字Q&A

Q0531
魯迅の作品「孔乙己」(クンイーチー) にでてくる酒場 「咸亨酒店」の「咸亨」は、「かんきょう」「かんこう」のどちらの読み方をするのでしょうか?

A

 「孔乙己」の咸亨酒店は紹興にあった酒場で、「孔乙己」のほか「風波」(波紋)、「明天」(明日)にも登場します。「咸亨」は、『易経・坤卦』「彖伝」の「含弘広大,品物咸亨」(がんこうこうだいニシテ、ひんぶつみなとおル)に出典をもつ語で、縁起のよさにあやかって「商売の隆盛を願い万事うまくいくように」との願いが込められているのです。現代中国の研究者によれば、「亨」は「美」の意であるとする説もあるようです。この縁起のよい意味から、唐の高宋期に、たった4年間ですが年号としても採られていました。

 ご質問の読み方ですが、中国江南の旅を紹介するガイドブックの紹興案内の項では「カンキョウシュテン」と振り仮名がありますし、東京の神田神保町にある中華料理店「咸亨酒店」の看板には、「KANKYOSHUTEN」のローマ字がつけられているのを見たことがあります。その一方で、中国にくわしい友人が「あれはカンコウ KANKOのまちがいだよ」といっているのを聞いたことがあります。

 これは漢字には同一字で異なる音を複数もつものがあるという「異読」という問題に関係します。たとえば『新漢語林』をご覧になると、親字見出しの下に□囲みで、一、二、三…とあり、それぞれに漢音・呉音が示されているのがわかると思います。この□囲みの数字に対応して字義欄に、その音に対応する意味が記されています。逆にいえば、意味に対応して音が異なるということです。ここでは、漢音・呉音についての説明ははぶきますが、一般の語は漢音で読むのが原則とされます。
   Q0531_kan   Q0531_kou
 「咸」 は「漢音カン・呉音ゲン」とあります。「みな;ことごとく」という意で、一般に漢音で読まれますので「カン」ですね。問題は「亨」です。「とおる」の意の場合は「漢音コウ・呉音キョウ」で、「万物すべて滞りなし」の意となります。「たてまつる」の場合は「享」に通じて「漢音キョウ・呉音コウ」、「煮る」の場合は「漢音ホウ・呉音ヒョウ」となります。上述の出典からいって、「咸亨」の「亨」は「とおる」の意ですから、「漢音コウ・呉音キョウ」で読むわけです。
 よって、一般の語は漢音で読むという原則からすると、「咸亨酒店」の「咸亨」は漢音で「カンコウ」と読むということになります。「カンキョウ」「KANKYO 」は「享」に引きずられての誤読なのか、慣用として広まっていますので、耳にすることが多いかもしれません。

 このような、いわゆる「同一字の異読」に発するミスと思われる例はときどきあって、ある新聞で、魯迅との交流の回想で知られる評論家「馮雪峰」に「ヒョウ・セッポウ」と仮名を振ってあるのを見て小首をかしげたことがあります。「暴虎馮河」の「ヒョウ」に引きずられたのでしょうか? 確かに「拠る;たのみとする」「川を徒歩で渡る」という意の場合は「ヒョウ」。ところが、姓の場合は「フウ」 なのです。ですから、「フウ・セッポウ」が一般的な読み方となります。

 音・義の対応で「読み」が異なる場合がけっこうありますので、漢和辞典で確認したいものです。(舩越國昭)

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