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漢字Q&A

漢字Q&A

以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。

Q0267
「大阪」は昔は「大坂」と書いていたそうですが、いつから、なぜ変わったのですか?

A

私は高校を卒業するまで、阪神間のある町で育ちましたが、子どものころ、「『大阪』は江戸時代には『大坂』と書いてたんやって」という話を聞いたことがあります。そして、「『土』がつくのは縁起が悪いから変えたんや」という話も聞いたことがあります。
この話がホンマだとすると、明治になって、「大坂」から「大阪」に変化したということになりますが、どうも、ことはそう単純ではないようです。
「大坂」という地名が文献に初めて登場するのは、戦国時代、15世紀の終わりごろです。それ以前は「小坂」「尾坂」などと書かれていたようです。ちなみにこのころは、「おざか」「おおざか」のように、「さか」を濁音で発音していたそうです。
一方、「坂」の異体字である「阪」を用いた「大阪」が初登場するのは、正確にはいつのことかわかりませんが、江戸時代の後半に書かれたものにときどき、存在しているようです。つまり、江戸時代の後半は、「大阪」と「大坂」が併用されていたのです。ただし、比率からいえば「大坂」の方が圧倒的に多かったようです。
それが変化するのは明治維新のときです。明治元(1968)年、といっても正確にいうと元号が明治に変わる前の慶応4年の5月2日、「大阪府」が初めて設置されますが、そのときの公印には「阪」の字が使われてたといいます。しかし、その後も「大阪」と「大坂」が併用される時期は続き、最終的に「大阪」に統一されるのは、明治20年ごろだとされています。
山川出版社の『大阪府の歴史』によれば、幕末のころに活躍した狂言作者、浜松歌国(はままつうたくに)の『摂陽落穂集(せつようおちぼしゅう)』の中に、「坂」の字は土に反(かえ)るという意味になるので「阪」と書くべきだ、という意味の一節があるそうです。「大阪」誕生の理由としてこれを信じてよいのかどうかはわかりませんが、最初に申し上げた「縁起が悪いから」というのはこのことでしょう。
以上にご説明したとおり、「大坂」から「大阪」への変化は、ある日一斉に起こったのではなく、おそらく200年くらいの時間をかけて、ゆっくりと起こったのだと思われます。その背景には、縁起の問題も含めて、きっといろいろな事情があったことでしょう。

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