以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。
Q0113
「成る」と「為る」はどちらも「なる」と読みますが、どのように使い分ければよいのですか?
A
ごくごく味気ない話からはじめますと、現在の『常用漢字表』では、「成」には「なる」という訓読みがありますが、「為」には「なる」という訓読みはありません。そこで、これに厳格に従うならば、「為る」という書き方はしない、ということになります。
すいませんね、無粋な話で。もちろん、国民が常に『常用漢字表』を意識して漢字生活を送っているわけではありませんし、『常用漢字表』の方だって、一般の社会生活での漢字使用の「目安」だよ、という位置づけですから、そう堅苦しく考える必要はありません。そこで、もう少し色気のある話をしましょう。
まずは、「成」「為」のそれぞれの漢字の成り立ちを見てみましょう。「成」の部首は「戈」(かのほこ)、この「戈」は音読みカ、訓読み「ほこ」で、武器の「ほこ」を表す漢字です。つまり「成」は、武器に関係する意味を表す漢字なのです。「為」の部首は現在では「れっか」ですが、旧字体では「爲」なので、「爪」(つめ)が部首となります。この「爪」は、手を表す象形文字で、そこから、この字は「手を使った作業」に関係する漢字だとわかります。
一方、小社刊・北原保雄編『明鏡国語辞典』によりますと、「なる」という日本語はもともと、「人為的でなく、自然のなりゆきで推移変化して別の状態が現れる意」だそうです。「成」や「為」の成り立ちのイメージとは、だいぶ違うと思いませんか?
以上見てきたことからすると、「なる」に「成」や「為」という漢字を当てるのは、あくまで慣用のように思われます。そういう意味では、「成る」と「為る」を使い分ける根拠は、あまり見あたらないと言えそうです。
ただし、「為」にはどうしても「ため」というイメージがつきまとう分、日本語の「なる」の自然発生的なイメージからはさらに遠くなります。そこで、『常用漢字表』のとおりに、「成る」を使う方がいくらかマシ、というふうに思うのですが、いかがでしょうか?