当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

読み物

連載記事

孤帆の遠影 碧空に尽き、唯だ見る 長江の天際に流るるを――李白「黄鶴楼に孟浩然の広陵に之くを送る」

 三月といえば別れの季節、というのは三月に年度が終わる日本に限られるが、日本の卒業式は桃の花と結びついている。五月・六月の交に卒業する台湾では、その時期に真っ赤な花をつける鳳凰樹が、「畢業典礼」(卒業式)の花だ。台湾の大学を卒業した陳俐君さんは、「鳳凰 花開き、離情 依依たり」といった卒業にお決まりの言葉を思い起こすという。人生の節目となる行事、それが季節と結びつき、季節が花と結びつき、かくして花と行事が重なり合う。
 卒業は別れには違いないが、次のプロセスの始まりでもある。「離情依依」――学校生活や同級生たちと別れがたい気持ち、青春の一時期が過ぎ去る感傷、それとともに、あとに続く新しい出会いへの期待もないではない。卒業よりも更に悲しい別れはこの世にいくらでもある。「人生 別離足る」(唐・于武陵[うぶりょう])――「さよならだけが人生だ」(井伏鱒二)、生きている限り、別れはいつでも、どこにでもある。
 人と人との交わりは別れの時に至って思いが昂ぶる。ふだんは会うのが当たり前で何も意識しなかったのに、別れの日を境に次はいつ会えるのか、再会の機会はあるのか、会うことの重さが別れの時に至って集約されるのである。
 とはいえ、今の時代、別れは以前ほどの重さをもっていない。コロナ禍のなかにいる現在の特殊な事情を別にすれば、地球上どこであろうと再会の機会はありうる。昔はそうでなかった。会うための移動がそもそも困難であったし危険も伴った。旅は旅をしたいからといってできるものではなかった。転任、左遷、流謫など、やむをえずしてするものであった。「会難別易(会うは難[かた]く別るるは易[やす]し)」――再会は容易でなかったし、やっと会えたと思えばあっけなく別れはやってくる。
 中国では人とのやりとりの詩(贈答詩)が多くを占め、そのなかでも別れの詩(送別詩)がことに多い。中国の送別詩の全体を考察した松原朗さんの『中国離別詩の成立』(研文出版、 2003)によると、送別に際して著明な詩人の詩を求めて、知己でもない詩人をわざわざ招いて詩を作ってもらうこともあったというから、送別が儀礼として定着していたことがわかる。詩が社会生活のなかで役割をもっていたのである。
 数知れずのこっている送別の詩のなかでも、とりわけ人口に膾炙している一つは、王維の「元二の安西に使いするを送る」と題された七言絶句だろう。

 渭城朝雨浥軽塵  渭城の朝雨は軽塵を浥[うるお]し
 客舎青青柳色新  客舎青青 柳色新たなり
 勧君更尽一杯酒  君に勧む 更に尽せ一杯の酒
 西出陽関無故人  西のかた陽関を出ずれば故人無からん

 渭城の朝の雨が細やかな土埃をしっとり濡らし、旅舎のまわりの青い柳がみずみずしい。
 さあ君、どうかもう一杯、飲み干してくれ。この先、西に進んで陽関を出たら、もう知る辺はないのだから。

 見送られる人は、元[げん]なにがし。一族の兄弟順をあらわす排行が「二」であることしか分からない。公務を帯びて、「安西」、唐王朝が西域への前線基地として設けた都護府のおかれた、今の新疆ウイグル自治区クチャ市へと旅立つ。王維ら見送る人々は長安近郊の渭城(陜西省咸陽市)まで同行し、そこで送別の宴を開き、一夜明けて旅人は出立する。
 朝がたの雨が塵埃を静め、宿のまわりの柳も洗い清められて青々としている。雨は街道の砂塵を静め、馬車を走らせるのに好ましい。のみならず、送別詩にしばしば雨上がりであることが記されるのは、それを旅のめでたい予兆とする伝承があったためかも知れない。雨に濡れていっそう青々と鮮やかになった柳は、部屋のなかまで青く染めて、清新の気配があふれる。「柳」は別れる人にたむけとして贈られるもので、よく聞く説明は、「柳」は音が「留」に通じる、そこで旅人を引き留めたい気持ちをあらわす、というのだが、なんだか後付けの説明のように思われる。それよりおそらく、柳は枝を切って土に挿せばそこから芽が吹き出すほどに生命力の強い植物、その呪術的な力を旅行く人に付与しようとしたことから発した習慣なのだろう。
 初めの二句、別れをうたうにしては、すがすがしくて気持ちがいい。後半二句に至って送別の思いが語られる。――いざ旅立ちの時、ここで最後にもう一杯、酒を飲み干してほしい。ここを立って中国と西域の境界にある陽関を越えたら、もはや酒杯を酌み交わす人はいないことだろう。
 玄宗が領土を拡張していた盛唐の時期は、西域との往来も盛んだった。高適・岑参[しんじん]といった著明な詩人も、そして王維自身もこの詩との先後はわからないが、行ったことがある。往来は頻繁であったとはいえ、その路程が辛いものであったことを王維は知っていたはずだが、旅の苦難よりも、知友がいない地に行くことを取り上げて、今この場の別れに焦点を絞る。
 よく知られた詩だから、ここまではどこにでも書かれていることだが、この詩の送別詩としての性格をもう少し考えてみよう。はなはだ整った詩ではあるけれども、短い詩であるためもあって、見送られる元二の顔が見えてこない。元二と王維がどんな関係にあるのか、どのような個人的な思いがあるのかも読み取れない。地名を織り込んで、西域という辺境の雰囲気を喚起するけれども、この詩には個別性が希薄なように思われる。極端に言えば相手は誰でもいい、どんな別れであってもいい。その一般性がこの詩が別れをうたった代表的な作として広く受け入れられたゆえんではなかったか。「陽関三畳」と言われるように、すでに唐代から別れの歌の定番として唱われたようだ。別れの歌として広まったのは、個人的な思いに限定されず、人との別れ一般に通じる普遍的な性格ゆえではないだろうか。

 王維の詩とは反対に、詩人個人の思いが色濃くあらわれた詩として、李白の「黄鶴楼に孟浩然の広陵に之くを送る」を読んでみよう。孟浩然は李白が深甚の敬慕を捧げた詩人である。「孟浩然に贈る」と題した詩では、至って直截に「吾は愛す孟夫子」とうたい起こし、世俗に染まらないその人品に手放しのオマージュを連ねる。李白より十二歳ほど年上にあたる孟浩然に対する敬慕の念は、李白より十一歲年下の杜甫に対するそっけない態度と好対照をなす。

 故人西辞黄鶴楼  故人 西のかた黄鶴楼を辞し
 煙花三月下揚州  煙花 三月 揚州に下る
 孤帆遠影碧空尽  孤帆の遠影 碧空に尽き
 唯見長江天際流  唯だ見る 長江の天際に流るるを

 友は西にある黄鶴楼に別れを告げ、空かすみ花煙る春三月に揚州へ下る。
 ぽつんと見えた帆影が蒼天に呑み込まれ、目にのこるのはただ水平線に奔る長江の流れ。

 別れの場、黄鶴楼は今も湖北省武漢市の、長江に臨む地にそそりたっている。黄鶴楼の名は、それにまつわる伝説に基づく。昔、酒をさんざん飲んだあげく、酒代の代わりに黄色い鶴を壁に画いて立ち去った道士がいた。その鶴は酒客が歌うのに合わせて壁のなかで舞う。それが評判となって店はおおいに繁盛したという。落語の「抜け雀」の元になった話である。そののち、再訪した道士は絵から抜け出した黄鶴に乗って飛び去ったという後日譚もある。盛唐・崔顥[さいこう]の「黄鶴楼」と題する詩には、「昔人 已に黄鶴に乗って去り、此の地 空しく余す黄鶴楼」とうたわれる。このように黄鶴楼の名そのものが、人が立ち去ったあと、空しくのこされるという空虚感と結びついている。脱俗の詩人孟浩然も、道士や黃鶴と同じようにこの地を去ってしまった。敬愛する人が立ち去り、ひとりぽつんとあとにのこされた空虚感、それがこの詩の全体に流れる。
 孟浩然の向かう先は、大都会の揚州(江蘇省揚州市)。時は春も盛りの三月、春霞のなかに花咲き誇る繁華の町、その華やぎは取り残された李白の寂寥をいっそう際立たせる。

 寂寞たる思いは、さらに後半二句の叙景にあらわされる。孟浩然を乗せた舟はしだいに遠ざかり、小さくなり、やがて水と空の境もない碧い空間に吸い込まれ消えてしまう。そしてのこるのは天空の果てに向かって流れ続ける長江のみ。景と情とがみごとに溶け合って形象化されている。
 別れの歌には離別の悲哀のさまざまな相がうたわれる。親しい人と別れること自体の辛さは言うまでもないが、道中の苦難を気遣ったり、僻遠の地で味わうであろう孤独を慰めようとしたりする。いずれも相手の身を思い遣ってのことだ。しかし李白の詩では、相手よりものこされた自分の寂しさが中心となる。旅人は華やいだ、愉悦に満ちた町へと去って行くのに対して、自分ひとりこのままこの地にのこされる。この詩では孤独なのは見送る自分のほうなのだ。盛唐詩によく描かれる無辺際の光景が、ここでは雄大さなどではなく、うつろな心情と重なるものとなっている。

 王維の詩にも李白の詩にも、見送られる人、見送る人の名が記されている。いずれも個人的な送別の場で作られている。しかし王維の場合は、より一般的、普遍的な別れに傾き、李白の詩は李白と孟浩然の個別的関係のなかで生じた思いに収束する。とはいえ、李白のうたう空しさ、寂しさは、個別を越えて人々に通じるものでもある。別れは親しい人と生木を裂くように離れることの辛さ、去って行く人の行く末を案ずる思い、それに加えて、あとにのこされた者の心に空洞を生むものでもある。
 この世に暮らすことは人と交わることであるとすれば、人との別れは暮らしのなかに生じる一つの出来事である。その体験を詩にうたうことによって、またそれを読むことによって、体験はより味わい深いものとなる。人生を味わうよすがとなるのも、詩のもつ意味の一つなのだろう。

 


(c)Kawai Kozo, 2021

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア

おすすめ記事

体感!痛感?中国文化

写真でたどる『大漢和辞典』編纂史

偏愛的漢詩電子帖

偏愛的漢詩電子帖