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第11回 タイラバヤシか、ヒラリンか

 漢字はひとつひとつ意味をもっていて、新しい意味・概念が生まれるたびに、新しい漢字が作られ、どんどん増えていった。中国のさまざまな時代や地域でいろいろに発音されたものの、共通した意味をもつ一つの文字体系として大きく変化することなく使われてきた。それがヨーロッパ全体ほどの広大な地に多様な言語バリエーションを有しながらも、「中国」という一つの文化ユニットとして意識されてきた大きな理由であろう。
 3000年以上にわたる中国の文化遺産も、この漢字の不変性、安定性、あるいは保守性といってもいい性質によって支えられ、伝えられてきたわけで、5万とも6万ともいわれる厖大な漢字の集積ができていった理由もまたここにある。
 そのような漢字に対して中国人が特別な愛着を抱いたとして何の不思議もない。権力者たちは漢字に特別の意義を見出し、文字に関わろうとした。甲骨に書かれた文字に始まり、青銅器にみえる銘、秦の始皇帝による文字統一、周(唐代)の武后が作った則天文字などはよく知られているし、歴代皇帝の多くは、自分の名前の文字を一般で使用することを禁じた(避諱)。そのために人々はその字の一画をはずしたり(欠筆)、同様の意味をもつ別の字で書いたりすることを余儀なくされた。なかにはその禁忌に触れて命を落とす人すらあったという。
 漢字を通して自らの権威を示そうとしたことは確かだが、一方で漢字にある種の霊性をも感じていたのではなかろうか。さらにいえば、ほとんど文字が読めなかった一般庶民でさえ、いや読めなかったからこそ、漢字の中により霊的なもの、呪的なものを感じとっていたはずである。
 中国人の、文字で書かれたものに対する信頼、文字をみて安堵するといった感性、性癖については、第5回の「義をみてせざるは……」で述べたところだが、文字をとおして縁起を担ぐ「吉祥」の感覚なども、なかなか根強いものがある。

 日本人になじみ深いのは「対聯」(ついれん)であろう。門の両側に、対(つい)になっためでたい文句を書いた札を貼り付けたもの。それもだいたい赤い地に金文字というのが多い。

北京・東四の、とある胡同で。「雪舞福地兆財年、虎踞門庭保平安(雪は福地に舞い財年を兆し、虎は門庭に踞り平安を保つ)」とある。

 これなどは分かりやすいほうだが、なんだか難しいことが書いてあって読めず、その家の人に意味をきいてみると、「よく知らないが、とにかく縁起がいいんだ」という答えが返ってきたりする。まあ、そんなものだろう。日本でもお寺などからもらう護符やお経の文句の意味をいちいち考える人はほとんどいない。大切なのは、めでたい文字や魔除けの文句がならんでいる、ということで、細かい穿鑿(せんさく)は無用。意味が分かったりすると、かえってありがたみがなくなってしまうものだ。
 中国人が好むのは、まず対をなしていること、双=2つあること、あるいは偶数であること。お酒や月餅など贈答品も2つのセットにするし、紅包(ホン・バオ)というお祝いに包む金額も偶数が単位である。しかし最近の若い人の感覚には多少変化がみられるようで、結婚式に招待され、偶数の800元か奇数の900元かで迷い、本人たちに聞くと、どちらでもかまわないが、当然ながら1000元のほうがいいと言われてしまった。

 下の写真を見ていただこう。ここには中国人にとってとにかく縁起がいいものが揃っている。まず赤という色が縁起がいい。それに上で紹介した対聯がいくつか貼ってある。
 そしてこういう場面で欠くことができないのが「福」の字である。めでたい字を書くことによって福を呼ぶことができるという確たる信念が表れているものだ。この「福」の字は家の玄関やドアなど、いたるところに貼り付けてある。中にはこの字を逆さにして貼り付けたものも見られる。「逆さ」は中国語で「倒」で、音が”dao”であることから「到」に通じ、「到福」つまり「福が来る!」という縁起のいい文字となるわけである。蝙蝠(こうもり)の絵が喜ばれるのも、音“bianfu”の“fu”が「福”fu”」と同じだからだ。

 

 上図の下のほうに並んでいる赤いクッション(枕?)にある「囍」の字もよく見られるものだ。これは双喜(シュアン・シー)といって「喜」を2つくっつけた字あるいは図案で、おめでたいことが重なる、という意味を表している。
 中国人には「金もうけ」をストレートに願い、縁起物にする感覚があって、北京のド真ン中でも「商売繁盛」を願うこの種の文字がよく見られる。
 大学のそばの狭い路地を入ったあたりに、あまりきれいとはいえない雑貨屋があった。そのガラス戸に変な文字が貼ってあって、通るたびに気になっていた。

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 写真を撮ってきて学生や同僚の先生に聞いてみたが、だれもよく分からないという。それで意を決してその店に入って聞いてみようと思ったのだが、オヤジがどうも愛想良さそうにみえない。やむをえず飲みたくもないコーラを一本買って飲みながら様子をみて、この文字は何だと聞くと、案に相違して「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりの表情をして説明を始めるではないか。その話によると、その道で有名な占い師に高い金を出して特別に書いてもらったものとのこと。とにかく最高に縁起のいい文字で、商売繁盛間違いなし、ドンドンお金が入ってくるというめでたい字だという。まず真ん中が「寶(宝)」で、両脇に「招」と「進」の字が入っている。「進」は中国語では「請進(=どうぞお入りください)」「進口(=輸入)」などというように「入」を意味する。つまりは「お宝をどんどん招き入れる」という意味の字だ。赤地に金文字もめでたいが、下の魚も中国人はめでたいとして喜ぶ。なぜなら「魚」の音は“yu”で「余」と通じるからだが、金の魚ならなお縁起がいい。だいたい横の対聯の大書された文句も、商売にぴったりだ。「福旺(さか)んにして、財旺ん、運気もまた旺んなり」。
 確かに、この文字のお陰で、その店は少なくともコーラが1本売れたわけだから、その霊験はあらたかといわねばなるまい。

 ところがこの文字、雑貨屋のオヤジだけでなく、私にも少なからぬ御利益をもたらしたことを報告しておかねばならない。というのは、私が変な文字を写真に撮って「いわれ」を聞いてまわったことから、学生が似たような文字があるといってもってきたのが、次の字である。

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 その学生がいうには、なんでも陝西省あたりの麺の名前で、発音は”biang”だそうだが、詳しいことは分からないとのこと。しかし”biang”などという音は、少なくとも現代普通話(共通語)にはないし、えらく複雑で、妖しげな文字だ。
 幸い私には、西安で道場を開いている剣道の弟子がいる。その男にメールで問い合わせると、ほどなく長い返事と、わざわざ撮ったらしい14枚の添付写真が届いた。なかなかおもしろい写真だが、まずはその中から2枚をご紹介しよう。

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おいしそうな幅広麺だが、ちょっと辛そう

 Biangbiang麺は、ズボンのベルトのように幅広い手打ちの麺で、肉のみじん切りとラー油を入れたスープで食べるもので、西安ではみんなが好んで食べるという。「こんど先生が来たら西安じゅうのbangbiang麺の店に連れてってあげる」というから嬉しいではないか。

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西安永興坊にある有名な店の前にたつ碑

 この”biang”という字は、一般の辞書になく、また携帯でも出せないようだが、その「いわれ」はいろいろあるようだ。まずおもしろいのは、土地柄、秦の始皇帝にまつわるもの。
 始皇帝は毎日の山海の珍味に食べ飽きて食欲不振に陥った。一人の太監(宦官)がとっさの知恵で、庶民が食べる麺を一碗買って帰って献上するともりもりと食べて、「これは何と申す? こんなうまいモノは食べたことがないぞ」。するとその宦官「Biangbiang麺にござりまする」。始皇帝はこれを皇帝専用の食べ物とし、しもじもの者どもが食べないように、また書けないように複雑な字を賜ったという。

 どこかで聞いたような話だが、もう一つは以下のようである。
 落ちぶれた貧乏秀才(科挙の地方試験に受かったインテリ)がお腹をすかして咸陽(秦・漢の都、西安の西北)に行き着き、一軒のうどん屋の前を通りかかると、中からbiang-biangと音がする。入ってみると幅の広いおいしそうな麺を作っていた。秀才は一碗注文すると一気に掻き込んで満足したが、勘定の段になって懐はとうにすっからかん、代わりに店のために書を書くこととなった。店の人がbiangbiang麺と言うのを聞いてイメージを膨らませ、いろいろ思案して筆を走らせながら歌うには、
「一点空を飛び、黄河の両岸彎曲す。八の字は口広げ、言の字は中にあり。左にねじねじ右にねじねじ、西に一長、東に一長。間にあるは馬大王。心の字を下に、月の字を傍らに、鉤にゴマ飴引っかけて、車を押し押し咸陽を行く」
 一字で山河の地理や人情の機微を語り尽くしており、それ以後、関中(陝西省)にその名を知らぬ者はないほど有名になったという。

 字形の「いわれ」を伝説風に言ったものだが、いかにも中国的でおもしろい。私はこの話を聞いて日本の落語を思い出した。
 ある商家の丁稚がお使いにでたが、手紙の宛名の「平林」という漢字がよめず、「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウのモークモク、ヒトツとヤッツでトッキッキ」と歌のように読む話だが、漢字のもつ構造性を象徴している点で似ている。雑貨屋の「寶招進」にしてもそうだが、文字ひとつひとつに意味があり、またそれが他の漢字の構成要素になって、無限に新しい文字を作ることができる、というところが漢字のおもしろさといえよう。

 次の写真も雑貨屋の文字の功徳といえるもの。私が日本に引き揚げてからのこと、大学の同僚だった中国人の先生が、私が変な漢字をおもしろがっているのを覚えていて、「先日、子どもを連れて天安門広場近くの国家博物館に行く途中、前門あたりで見かけた」と以下の写真を送ってくださった。

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 説明によると「前三門」という北京の地名を合体させた文字だ。「前三門」とは、北京城の南側にある前門、崇文門、宣武門のことを指していて、この字は2012年、前三門通りを整備した際に、そのシンボルマークとして創られたものだそうである。新しい、ユニークな文字の「開発」という中国の伝統は、現代の北京においても、脈々と息づいているのである。

(c)Morita Rokuro,2016

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