体感!痛感?中国文化
第7回 君の名は……
日本に帰ってきてからも、地元の小学校で以前と同じように剣道を教えている。初めて竹刀を握って緊張していた子どもたちが、私のいない間にぐんぐん成長し、剣道もうまくなっているのをみるのは楽しいものだ。ただ中国に滞在していた10年ほどの間に、日本では二つほど大きな変化があったように思う。一つは時代の少子化につれて、わが道場の子どもたちの人数がへってきたこと。もう一つは子どもたちの名前をよぶのに苦労することが多くなったことがあげられる。
上の写真は子どもたち同士の試合の結果を黒板に書いたものである。注目していただきたいのは、左側の名前の欄には、すべてふりがなが振ってあることだ。指導者が子どもたちの名前を読めないからだ。
ほかの道場の人に聞くとやはり事情は同じだという。曰く、
結麻(ゆま)、貴紫(たかし)、有宇生(ゆうき)、日寿生(かずき)、風水(ふみ)、芽生(めい)、茉琳(まりん)、紗花(すずか)、真有(ますみ)、新生(あらた)、輝(きらり)、麗(うらら)……。
なんとなく読めなくもないような気がするものもあるが、「輝(きらり)」や「麗(うらら)」に至ってはお手上げだ。見た目には簡単そうな漢字ながら、他人には予想できないような読みの名前が多い。どうも耳で聴いて心地よさそうな読み方が工夫されるようで、従来型の、たとえば漢和辞典の「名乗り」や「難読」欄を見ても見当がつけにくく、結局、本人あるいは保護者に聞くしか手がない。これでは小学校の先生方は大変だろう。生徒たちの個別の読み方をすべて覚えないといけないのだから……。
人の名前は基本的に親が自由につけていいものなのだろうが、一方では社会性という面もある。名前は自分のものだが、ヒトサマに読んで(呼んで)もらう必要のあるものでもある。大げさにいえばその人の人格、アイデンティティとも関わっていて、なかなかご自由に、ご勝手に、とはいかないところがある。
私が子どもたちの名前に敏感なのには、実はわけがある。中国で若者の名前の読み方についてさんざ苦労した経験を持っているからだ。教壇に立つ上で一番大事な仕事は、一クラス20人、二クラスで40人ほどの学生たちの顔と名前をいちはやく覚えることだというのは自明の理であろうが、その際、彼らの名前をどう呼ぶか(読むか)が大きな問題となる。
当然ながら中国では普段、人名を中国語の音で呼んでいるわけだが、日本語を教える以上、彼らの名前(当然漢字である)も日本語の音で呼ぶべきだ、というのは一応正論である。同僚の中国人の先生たちもそうしているし、私もそうしてきた。
ところが中国の学生の中には、
闫(閆。閻の異体字) 邹(鄒) 厉(厲) 邢 尹
など、日本人がふつう使わない字を苗字にもつものが結構いる。名前に至っては、
婷 喆 昳 昕 倩
など、日本では見たこともない漢字が無数にでてくる。これらを日本語の音でなんというか教えなければならない。したがって、最初の授業の前夜は、日本からもってきた漢和辞典を目が赤くなるほど引くことになる。
この難行苦行をなんとか逃れたいと考えたのが、自己紹介の機会。彼らは自分の名前を日本語の音でなんというか、すでに中国人の先生から聞いて知っている場合が多いので、自己紹介がてら、その名前を言わせることにした。我ながらうまいというか、ずるい方法を考えついたものだと思ったのも束の間、時々、彼らのいう日本語の音にいい加減なものがあることに気がついた。漢音の中に呉音が混じっていたり、中には聞き間違いや覚え間違いらしきものもある。結局話はふりだしに戻り、また漢和辞典を引くこととなった。
人間というものはどうも楽なほうに楽なほうにものを考える動物のようで、私は漢和辞典を引きながら、こんなめんどくさいことをやるくらいなら、彼らの名前をいっそ中国音で読めば問題ないのではないかと思い始めていた。第一、性別による「さん」も「くん」も不要、すべて呼び捨てですむ。聞き慣れた中国語で名前を呼ばれれば、彼らも親近感をもつのではないか? 私だって中国語辞典を引いた方が楽だし、中国人の名前を中国音でなんと読むか知ることのほうが勉強になる。しかしまあ、これは教師としては言ってはいけないことなのだが……。
日本に帰ってきてから、いざ日本の「日本語学校」に勤めて日本語を教え始めてみると、中国人の名前の問題は、中国で考えていた以上に難題であることがわかった。私の担当クラスにはイタリア人、アメリカ人、ベトナム人、モンゴル人、韓国人もいて、名簿を見るとみんな彼らの母語の音に近い音をカタカナ表記してある。ところが圧倒的に多いところの中国人の表記だけは、これが多様なのである。ほかの国の留学生と同じように母語(中国語)の音に近いカタカナ表記もあるが、漢字に日本の漢音、呉音のカタカナ併記、中には中国の簡体字そのままのものも混じっている。これはどうにか統一できないものか? 同僚の教師に聞いてみると、基本的に本人の申請どおりにしているとのこと。なるほど、それはそれで理はある。が、本人の好きなようにということになれば、母語の音が好きだ、簡体字に慣れている、ローマ字書きがかっこいい、本国ですでに日本語の読みを習ったなど、さまざまなパターンがでてくるに決まっている。
ちなみに入国管理局では、外国人に交付する「在留カード」の名前の表記はアルファベットが基準で、漢字は併記可、それも日本の正字で、なければ便宜的に類似の漢字使用も可という扱いである、とのこと。まあ入国管理と日本語教育を同列においてみても仕方のないことではあるが、漢字を基準にしないというのは合理的ではある。
日本語の教室ではこうはいかない。姓名を漢字で書く者が多いし、教師は中国語をやったことがなければ出席をとったり質問をしたりするのに、日本語音で読むしかない。たとえば「王易帆」という学生は「オウ・イハン」とルビが振ってあった。「易」は現代中国語では“yi”の音一つだが、日本語では意味によって「イ」と「エキ」の二つの音がある。容易のイか、貿易のエキか?
「お父さんは、どういう意味でこの字を君の名前に使ったんだろうね」と聞くと「知りません、聞いておきます」という。実際、後でわざわざ中国まで電話したらしく、「改める」という意味だというので「オウ・エキハン」君となった。
ある女子学生の名は「劉雨馨」だが、「リュウ・ウキョウ」と呼んでいるので、漢音で「ウケイ」と読むべきだというと、ほかの先生が教えてくれたのでそう読んでいるのにと迷惑そうだった。
さらに別の男子学生は「張汭」という。
汭
とは見慣れない漢字だ。本人は「リュウ」と読んでいたのだが、中国音は“rui”、漢和辞典には「ゼイ」という音しかない。
『新漢語林 第二版』
どうして「リュウ」というのか訊ねると、中国で最初に日本語を習った時に、先生が教えてくれたのだという。その先生は、いったいどうしてそんな音を教えたのだろうか。左のような漢和辞典のコピーをみせたのだが、もう慣れているから「リュウ」でいいとめんどくさそうにいう。私も、そこまでして日本の「正しい」漢字音に直させるべきか正直いって迷った。名前は人間のアイデンティティに関わるものだ。いったん覚えた日本語音を替えるのは、確かに気持ちいいものではないだろう。私はその時、中国で教えていて、途中で名前の読みを替えたために「別人になったみたいだ」といった女子学生のことを思い出していた。
その学生は姓を「翟」といった。
翟
は中国ではそれほど珍しい姓ではない。たまたま私は古代の思想家・墨子(ボクシ)の字(あざな)がこの「翟(テキ)」であるのを知っていたので「テキ」さんと呼んでいた。ところが、ある時中国語の辞書を引いていて、この字に音が二つあることに気がついた。ひとつは“di”で雉(きじ)の羽や墨子の字を意味し、もうひとつは“zhai”で人の姓に使う、とある。私はハッとした。中国語に音が二つあれば、日本語の漢字音も二つあるはずで、調べてみると“di”が「テキ」で、“zhai”は「タク」と読むことが分かった。
『広漢和辞典』
本人に名前を確かめると、果たして“zhai”だという。事情を話して、改めて「タクさん」と呼ぶことにした。本人は何だか別人になったみたいな気がすると笑っていたが、「別人になった」とはまことに言い得て妙だ。これほど人の名前というものが持つ意味を鋭くついた言葉はない。私は忸怩たる思いを禁じ得なかった。
この学生の話は、あまりにも典型的だったので、私は事あるごとに人に紹介しているのだが、タクさんはその後、優秀な成績で卒業し、日本に渡り宮崎県で国際交流の仕事についた。日本から近況報告のメールがきて、市役所の日中交流の行事に参加したり、中国語の講師をしたり、ときどきは地元のテレビに出演したりもしていると聞いて、私は冷や汗がでる思いをした。もしあの時、私がめんどくさがって名前の呼び方を直さなかったとしたら、彼女は宮崎で「テキです」と自己紹介したにちがいない。そして今は中国に帰り、日系の著名な精密機械の会社で働いている彼女は、社内では「テキさん」で通り、また日本からの来客には「テキ」とルビを振った名刺を渡していることだろう。
どうせ日本ではまず使うことのない漢字だし、この字の日本語音が「タク」であることなど知っている日本人はあまりいないだろうから、どっちでもいいようなものだが、日本には本家の中国以上に漢字好きの人が多い。名刺交換したとき、珍しい漢字ですね、どう読むのですか? 意味は? と聞く日本人がいるにちがいない。漢字民族の宿命とでもいうべきか……。
日本語教師としては、やはり彼ら学生が卒業した後、日本語を使って仕事をするときのことを考え、できるだけ正しい日本語音を教えるべきだろう。しかし日本語教育において、中国人の名前は正しい日本語の漢字音で読むべし、というルールが確立されているようにも見えない。一方、教師の現場を考えてみると、授業はもちろん、教材研究、授業準備、事後処理、練習問題の採点、進学指導、カウンセリング等々、多様な仕事を抱えていて、中国の漢字、特に人名の漢字にまでなかなか手がまわらない。第一、中国語辞典や漢和辞典を引く必要があるし、引いてもそう簡単に判断できない。現実問題として、誰が最初にどのようにして正確な日本の漢字音を教えるのか、そして頻発するまちがいを誰が発見し、いつ直させるのか? 冒頭に紹介したように、日本でも人名の漢字の読みが自在になってきているわけで、それを考えれば本人の希望という面も考慮しなければならない。中国人の名前の漢字音だけ、厳密さを強要しても、なんだかバランスの悪いものになるだろうし、かといって好きなように、とも言えないところが悩ましい。学術的に正しい音ということになれば、「翟さん」のケースのように、より本格的な漢和辞典を引く必要も出てくるだろう。
欧米系の言語を勉強して日本語教師になった人たちであっても、いまや中国語や漢語についてのある程度の知識や理解が必要になってきている。なぜなら、海外においてはもちろん、日本国内においても、日本語学習者の人口が一番多いのは中国、という時代になっているからである。
(c)Morita Rokuro,2015
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