体感!痛感?中国文化
第4回 ふるさとは遠きにありて……
中国の料理は一般に油が強く、しかも辛いものが多い。大学の食堂でも炒め物など、けっこう唐辛子片がそのまま入っている。慣れてしまうと、あのピリピリ感がたまらず無性に食べたくなることすらあるのだが、北京にいった当初は、切れ端が口の中に入るたびに舌がしびれ、こんな調子で半年もつのだろうかと暗澹たる気持ちになったものだった。
そんなこともあって、大学から歩いて10分ほどのところに、小さな紹興料理の店を見つけてからは、事あるごとにそこに行った。紹興は南だから料理も辛くなく、ほんのりと香料を使っていて、少し甘めの、日本人の口にあう味付けだった。あまりきれいとはいえなかったが、店内には紹興酒の甕がならべてあっていい雰囲気だし、料金もまあまあだった。名前も本場・紹興の老舗にちなんで「咸亨酒店」。気に入っていた。
ところがオリンピックをひかえて北京の道路が整備され、地下鉄開通の話が伝わると、店をたたんでしまい、地下鉄の駅の近くの、幹線にそった場所に新規開店した。名前こそ元のままだったが、大学から離れ、しかも店はシャンデリアが輝く高級レストラン。盛りつける皿も立派なら、料金も大変立派になってしまった。
北京に限らないが、中国の人は結構外で食べるのが好きだ。下は日雇いのオジサンに素うどんやどんぶり飯を喰わせるような店から、上は入り口にボーイがたち、黒塗りのベンツやアウディなどがとまっていて、いかにも接待に使われそうな豪華絢爛たるレストランまで、さまざまな店がある。が、どうもこの手のキンキラキンの店は値段が高いだけでなく、私のような人間には、なんとなく落ち着かず、メシがノドを通らない。
とはいえ、紹興料理は北京の人々の口にあわないのか、探してもいい店が意外と少ない。新装なった「咸亨酒店」から足が遠のき始めたころ、見つけたのが<孔乙己(コンイージー)>という名の店だった。
「孔乙己」は北京の中心からほど近い<东四>にある。平屋で間口もさほど広くなく、赤いちょうちんがいくつかぶら下がっているだけの、見過ごしてしまいそうな地味な店だ。営業中という小さな札がぶらさがった、きしむような木のドアを開けて中に入ると、いきなり有名な作家・魯迅の石膏像にぶつかる。なんでメシ屋にこんなものがと思うが、考えてみれば魯迅は紹興の出身、店の名「孔乙己」は、その小説にでてくる主人公の名前だ。
天井には紹興の水路を走る黒い小舟が吊ってあり、全体に黒っぽい木の柱と白い漆喰の壁。なんとなく江南の伝統が感じられ、こぢんまりとしていて一種「隠れ家」的な落ち着いた雰囲気だ。店員の女性は地味な藍染めの絣の素朴な服に身を包み、気が利いていてテキパキ働く。北京の他の店とちがって愛想も悪くない。
薄い紙に手書きされたメニューを見ながら、とりあえず5年ものの紹興酒と、つまみに<茴香豆>を注文。これは茴香(ういきょう)の香りをつけて煮たソラマメで、魯迅の小説では貧乏書生の孔乙己が一杯の茶碗酒と一緒に注文することになっている。紹興酒は、日本のように氷砂糖やザラメを入れたりせず、ちょっと燗をしただけで飲む。芳醇な香りとやわらかい口あたりが特徴だ。やがてでてきた<东坡肉(=豚の角煮)>などつつきながらチビチビやっていると身体の底から暖まり、脳の芯がジワーと緩んでくる。
私はこの店がいっぺんに気に入ってしまった。それからというものは剣道仲間を連れてきては飲むし、日本からきた客人も必ずここに案内する。客人もまた、たいていはここが気にいって帰っていく。モヤシと海苔の和え物、臭豆腐、西施豆腐羹、秘製鱸魚など、この店の料理は穏やかな江南の味付けで、なかなかのものだ。
酒の出し方もまた独特だ。年季ものの紹興酒はすべて箱入りの壺入り。それをそのまま持ってきて客に確認しながら栓を抜く。そして細長い口のついた青銅の器に目の前でトクトクとあけたあと、燗をしてもってくる。その青銅の器の細い口からさらに、二重構造になった銚子(冷めないように熱湯が入れてある)に注いでくれる。客はそれを大ぶりの杯についで飲むわけだが、もともとぬるめの燗なので冷めるということがない。
北京では一般にビールか<白酒(バイジュウ)>が好まれる。白酒というのは有名な<茅台酒><五粮液><汾酒>、あるいは北京の<二锅头>など、透明でアルコール度が高い蒸留酒である。鼻腔をくすぐる独特の香ばしさ、喉にくる刺激のさわやかさが命で、一気に喉に流し込むような飲み方をする。同じ銘柄でも度数が異なるものがあるので、普通、銘柄と度数を指定して注文する。
それに対して紹興酒などの醸造酒はその色から<黄酒(ホァンジュウ)>といわれる。<陳年老酒>ともいわれ、熟成させる年数がものをいう。「陳年」の「陳」は、「陳腐」とか「新陳代謝」などというように、本来は「古くなって腐りかけた」という意味だが、酒に関するかぎり年季のいった高級なものを意味する(もっとも酒は穀物の腐ったものだ!)。よって紹興酒を注文するときは、年数を聞かれる。私は、「孔乙己」で客人をもてなす時など、ちょっと張って「会稽山」という銘柄の10年ものにする。上には上があるのだろうが、その立ち上がる香りとふくよかな甘さ、濃い琥珀色……、絶品といっていい。名前も呉越の歴史を感じさせてゆかしい。
最初は気がつかなかったが、この店のメニューには別に紙が一枚挟んであって、<绍兴名人(=紹興の名士)>とある。紹興酒を飲みながら見るともなく見ていると、あるわあるわ、伝説上の聖人・禹に始まり、勾践、西施、范蠡、王充、賀知章、王羲之、陸游、王陽明、元稹など、私が聞いたことのある名前だけでもかなりある。近代になってからでも蔡元培、周恩来、鲁迅、周作人、秋瑾、馬寅初、范文瀾……、紹興は多彩な文化人を輩出しているのだ。
蔡元培が紹興の人とは知らなかった。北京大学の学長として李大釗、陳独秀、魯迅など先進的な知識人を招聘して大学の近代化に努めたほか、学生が五四運動のストライキに参加して逮捕されるや、当局に全員の保護釈放を求めて闘うなど、気骨ある自由主義の教育者。私はなぜか、この人物に惹かれる。近代では、この五四運動のころの中国がいちばん生き生きしていたように思われるのだ。
紹興酒を飲みながらそんなことを考えているうちに、私は無性に紹興に行ってみたくなった。
浙江省紹興市。上海から南へ高速バスで2時間ほど行ったところにある。<长途汽车站(=長距離バス発着所)>に降り立つと、ここにもわんさと人がいて、まわりの風景も中国の他の地方都市と何一つ変わらない。しかし市の中心にいくにしたがって、水路が広がり、白壁の平屋が多くなって、江南特有の落ち着いた風景となっていく。まずは今も残っているという蔡元培の故居へ。門の左右に「学界泰斗,人世楷模」の対聯。彼はここで生まれ、幼年時代を過ごしたようだが、なかなか立派な、そして人柄のためか、どことなく清潔な家だ。
ついで貧乏書生の孔乙己が入り浸っていたという魯迅の小説の舞台になった、老舗の居酒屋・咸享酒店。入り口にちかいほうのテーブルと長椅子の席に座り、酒と<茴香豆>を注文する。ここでは酒を甕から柄杓ですくい、茶碗にいれて出してくる。茶碗酒だ。芳醇な香りと甘みが口いっぱいに広がる、至福の時間。
この店のまわりは、魯迅の生家、魯迅記念館、幼少のころ通った私塾・三味書屋など、観光スポットが集まっている。
立派に改修なった魯迅記念館で私は懐かしい人に遭遇した。日本の魯迅研究家として名高い増田渉の業績が大きなパネル写真とともに展示されていたのである。同じ魯迅研究家の竹内好の葬儀において弔辞を読んでいる最中に倒れ、盟友の後を追うようになくなったという因縁の人。増田渉は島根県松江市鹿島町片句の出身。松江で高校時代を過ごした私にとって異郷で身近な人に出会ったような、なにか誇らしい気持ちになった。
町中を縦横に走る水量豊かな堀、その水路をゆっくりと漕ぎゆく小舟、街なかの小山に残る古城跡……。春秋時代、越の都であったという紹興の、どことなくゆかしい街のたたずまいの中を散策しているうちに、私はふと松江の街を歩いているような錯覚におちいった。さきほど咸亨酒店で飲んだ紹興酒がまわってきたのかもしれない。
水郷・松江の名は、中国の太湖から流れでる「呉淞江」にちなんで付けられたと聞いているが、考えてみれば紹興も呉淞江も、同じ江南の水郷地帯にある。魯迅の小説集『吶喊』『彷徨』の翻訳にあたり、著者から直接講義をうけるために上海に1年ほど滞在していたという増田渉も、その間、魯迅の故郷・紹興を訪ねてきたに違いない。そしてこの街を歩きながら、ふるさと・松江を思い出したに違いないと確信したのだった。
[追記]写真のうち、キャプションに※印のある2点は、友人である北京の写真家・張全君が、この文章のために「孔乙己」にいって撮ってくれたものです。記して謝意を表します。
(c)Morita Rokuro,2015
[編集部注]中国酒の種類については、小社刊『漢詩酔談──酒を語り、詩に酔う』のコラム ページに、写真と解説があります。