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ホトトギスの季節

 ホトトギスはカッコウの仲間の渡り鳥で、カッコウよりやや小さい鳥です。杜鵑、子規、杜宇、不如帰など様々な異称があり、日本ではこれに加え、郭公、時鳥などの表記も用いられます。川合康三先生の「偏愛的漢詩電子帖」第24回「荘生の暁夢 蝴蝶に迷い、望帝の春心 杜鵑に託す」には不吉なホトトギスが紹介されていましたが、こちらではホトトギスの季節感について、日本と中国の古典を比較しながら考えてみたいと思います。

 『古今和歌集』は十世紀の初めに成立した勅撰和歌集です。巻一から巻六は四季の歌を採録していますが、春夏秋冬の作品数にはかなりのばらつきがあります。春は二巻百三十四首、夏は一巻三十四首、秋も二巻百四十五首、冬は一巻五十一首、つまり春と秋の和歌が七割以上を占め、夏の和歌は四季全体の一割にも満たないことになります。
 しかもその夏の三十四首のうち二十八首、実に八割以上の歌がホトトギスを詠っていることは注目に値します。ホトトギスは『古今和歌集』の世界において、夏を代表する存在であり、逆に言えば、夏の和歌にはホトトギス以外の題材はそれほど豊かではなかったということになりそうです。時代がくだるにつれ夏の和歌の題材は豊かになっていくように見えますが、『千載和歌集』(十二世紀後半成立)の夏の巻から百人一首に採用された和歌もやはりホトトギスを詠ったものです。
 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる(藤原実定)
 ホトトギスの声を待ちわびてやっとその声を聞けたのは夜明けのことだった、という歌です。当時の風流な貴族にとっては、夏の訪れを告げる風物詩は徹夜してでも味わいたいものだったのでしょう。俳句の世界でもホトトギスは夏の季語です。
 さて、中国の古典世界にもホトトギスは春から夏への季節の移り変わりを象徴する鳥として登場してきます。しかしこちらのホトトギスは夏の訪れを告げる鳥ではないのです。
 中唐・白居易の「春の帰るを送る(送春帰)」という詩を見てみましょう。元和十一年(八一六年)三月三十日に作られたものです。旧暦では一月から三月までが春で、三月三十日の次の日は四月一日、夏の初めの日になります。そんな春の最後の日に春に別れを告げる詩というわけです。少し長い詩ですので、冒頭の六句を引きます。

  送春帰     春の帰るを送る
 三月尽日日暮時    三月尽日 日暮の時
 去年杏園花飛御溝緑  去年 杏園 花飛びて 御溝[ぎよこう]緑なり
 何処送春曲江曲    何処[いづこ]にか春を送らん 曲江の曲[くま]
 今年杜鵑花落子規啼  今年 杜鵑花[とけんか]落ち 子規[しき]啼く
 送春何処西江西    春を送るは何処ならん 西江の西

 去りゆく春を惜しむ三月の終わりの日(尽日)の日暮れ時、去年は首都長安の名勝地曲江のほとりで風に舞うアンズの花びらを見ていたのに、左遷された今年は長江のほとり江州の町でサツキ(杜鵑花)の花が落ちホトトギス(子規)が鳴くのを聞いていると詠われています。唐詩のホトトギスの多くはこのように晩春に描かれます。同じ鳥の声を同じ時期に聞きながら、日本の和歌の世界では夏の訪れを告げる鳥として認識されていたホトトギスが、中国の詩歌の世界では春の終わりを報せる鳥として認識されているわけです。
 「送春帰」詩の白居易は去年と今年の自身の境遇を比較し、長安で華やかな都の春を惜しんでいたのに、今年は左遷先にいると歎いています。ホトトギスは唐代の長安には生息していなかったようで、ホトトギスの声はここが長安ではないのだということを鮮明に意識させる存在でもあったでしょう。また、ホトトギスの鳴き声は、中国の古典世界ではしばしば「不如帰[ふじょき]」と表現されます。書き下しにすれば「帰るに如[し]かず」、帰るのが一番だ、という鳴き声です。左遷先にいる白居易の心にも帰りたいと鳴くホトトギスの声が深く響いたのかもしれません。
 春から夏へと変化する時期に鳴くホトトギスを初夏ではなく晩春の風物詩と捉えたのは、恐らく、『楚辞[そじ]』「離騒[りそう]」という戦国時代(紀元前四〇三年から紀元前二二一年)の作品に登場する「鵜鴂[ていけつ]」という鳥の影響があると私は考えています。長い作品から二句だけ引用します。

 恐鵜鴂之先鳴兮   鵜鴂の先[ま]づ鳴きて
 使夫百草為之不芳  夫[か]の百草をして之が為に芳しからしめざるを恐る

 「鵜鴂」の鳴き声があらゆる草のいい香りを失わせてしまう、衰えさせてしまうのではないか、と心配する句です。後世の注釈者たちはしばしばこの「鵜鴂」をホトトギスのことだと指摘しました(『文選』「思玄賦」に呉・沈瑩『臨海異物志』を引く李善注など)。ホトトギスが百草の良い香りを失わせてしまう鳴き声の持ち主であれば、花の散る春の終わりか、草木の枯れていく秋に鳴くはずです。実際に唐詩には晩春のみならず、秋に鳴くホトトギスも詠われています(呉融「秋聞子規」詩など)。つまり、現実には春から夏にかけて鳴くホトトギスは、中国古典世界では落花や落葉を連想させるため、生命力が漲る夏の訪れを象徴する鳥にはなりえなかったわけです。花を散らして春に別れを告げるのにこそ相応しい鳥であった、ということになります。この花を散らすイメージが、ホトトギスの不吉さの底流に流れているのかもしれません。
 鳥ひとつとっても、花を散らし「帰った方がいい」と鳴く晩春のホトトギスと、徹夜してでも初音を聞きたい初夏のホトトギス、季節を告げる鳥である点は同じでも、文化ごとに異なる味わい方があります。日本は中国の古典の影響を幅広く受けているからこそ、こうした相違点から日本の個性も見えてくるのです。

 


唐・白居易「送春帰」詩(抜粋) 自注:元和十一年三月三十日作

送春帰 三月尽日日暮時  春の帰るを送る 三月尽日 日暮の時
去年杏園花飛御溝緑  去年 杏園 花飛びて 御溝緑なり
何処送春曲江曲    何処[いづれ]にか春を送らん 曲江の曲[くま]
今年杜鵑花落子規啼  今年 杜鵑花[とけんか]落ち 子規[しき]啼く
送春何処西江西    春を送るは何処ならん 西江の西
帝城送春猶怏怏    帝城に春を送るも 猶ほ怏怏[あうあう]たるに
天涯送春能不加惆悵  天涯に春を送れば 能[よ]く惆悵[ちうちよう]を加えざらん
莫惆悵 送春人    惆悵する莫[な]かれ 春を送るの人
冗員無替五年罷    冗員は替無くして 五年にして罷[や]む
応須準擬再送潯陽春  応[まさ]に須[すべから]く準擬すべし再び潯陽の春を送るを
五年炎涼凡十変    五年の炎涼 凡[およ]そ十変
又知此身健不健    又知らん 此の身 健なるか健ならざるかを
好去今年江上春    好[よ]し去れ 今年 江上の春
明年未死還相見    明年 未だ死せざれば 還[ま]た相[あひ]見[み]ん

現代語訳
 
春が去って行くのを送る、三月晦[みそか]の夕暮れ時。去年、杏の園で花が風に散りお堀に若葉が茂っている中、どこで春を見送ったのかといえば都長安の曲江のほとり。今年はサツキが散り、ホトトギスが鳴く中、どこで春を見送るのかといえば、左遷先である西江の西である。都で春を見送るのですら心が沈むのに、地の果てで春を見送るともなればより悲しみが増すものだ。しかし悲しむことはないぞ、春を見送る人よ。我が役職は五年経てば必ず異動になる。来年もこの潯陽の地で春を見送るつもりでいようじゃないか。五年の間に夏と冬とが十回入れ替わる。それまで我が身は健康でいられるだろうか。さようなら、西江のほとりの今年の春よ。来年、生きていたならまた逢おう。

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