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天街の小雨 潤いて酥の如し――韓愈「早春 水部張十八員外に呈す二首」其の一

 太陽スペクトル、言い換えれば紫外線と赤外線の間にある可視領域、それを幾つの色に分けるかは、それぞれの文化圏によって異なることはよく知られている。日本では七がふつうだが、中国では五、欧米で五ないし六という。二色にしか分けない言語もあるらしい。つまり色彩は客観的事実として固定したものではなく、各自の言語を通して分節していることになる。さらに押し広げれば、周囲の事物に対しても、文化の用意した型に従って、わたしたちは見ていることになる。
 色の数は文化・言語によってさまざまなのに、一年の季節に関しては、四季とは別の分け方があるのだろうか。気候・風土は各地さまざま、だのに四つ以外の季節の数え方を聞いたことがない。もう三十年以上も前のこと、初めてボストンで一年を過ごした年の秋、その地の植物園を訪れたら、「秋に紅葉が見られるのは世界中でも限られた地域しかない」と得意げに説明されているのを見て、驚いたことを覚えている。秋といえば紅葉、と当たり前のように思っていたことが、当たり前ではなかったのだ。
 紅葉は当たり前でなくても、季節はどこでも四つに分けるのだろうか。あるいは四季を標準とする自然環境の文化が、他の地でも力を奮って実際の気候と関わりなく、むりやり季節は四つなのだと思い込ませてしまったものなのか。
 日本では『古今和歌集』以来、和歌は春夏秋冬に分けて並べられ(もっとも春と秋は二巻ずつで量が多い)、俳句も四季の季語を含むことで成り立つ。このことは自然の捉え方が四季によって規定されていることを意味する。
 四季に沿いながら、さらに細かく分けることはないではない。『礼記』月令[げつれい]では、四つの季節がそれぞれさらに三分されている。孟春・仲春・季春といったように。詩の表現のなかでも、感性を研ぎ澄ませていけば、四つの枠を破ってさらに細かく区切りたくなるのは当然だろう。
 季節感覚の鋭敏さといったら、日本の文化は有数のものだろうが、中国の詩のなかにも微妙な変化を繊細に捉えようとしたものがある。南朝宋・謝霊運の次の詩句などはその早い例といえようか。

 暮春雖未交  暮春 未だ交わらずと雖も
 仲春善遊遨  仲春 善く遊遨[ゆうごう]す
 山桃發紅萼  山桃は紅萼[こうがく]を発し
 野蕨漸紫苞  野蕨[やけつ]は紫苞[しほう]を漸[の]ばす
     謝霊運「従弟の恵連[けいれん]に酬[むく]ゆ」(『文選』巻二五)
 
 晩春にはまだ至らない今、仲春の時節は出歩くのによい。
 山のモモは赤いうてなを開きかけ、野のワラビは紫のつとがほころぶ。

 ここでは晩春(暮春)と区別して、仲春を最もよい季節として取り上げる。「桃」は「山」の、「蕨」は「野」の、つまりはどちらも自生している植物が、変化を孕んだ状態を描写する。「萼」はつぼみを台のように載せる花萼であるが、つぼみのことと受け取っていいと思う。閉じていた赤みを含んだつぼみが開きかける。「苞」は仮に「つと」と日本語に置き換えてみたが、ワラビを包むやわらかな袋、それがしだいに伸び、ふくらんでいく。桃にしても蕨にしても、開きつつある途中の状態を捉えている。春といえば咲き誇る桃李の花といった類型を避け、きめ細かく小さな変化に目を留めている。それは謝霊運の山水詩が天下の名山名水ではなく、彼自身の経巡った名もない山水を対象とすることと通じ合うかも知れない。

 謝霊運の詩句は暮春にはまだ間のある仲春に注目したものだったが、四季のさらなる分節化といえば、一般には早春をうたう詩がとりわけ多い。冬が去って春が到来する、その時節はどこでも誰でも心弾むために、早春がよくうたわれるのだろう。
 韓愈の「早春 水部[すいぶ]張十八員外に呈す二首」も早春に焦点を当てている。年下の友人である張籍に送った詩である。

  其一      その一
 天街小雨潤如酥  天街の小雨 潤[うるお]いて酥[そ]の如し
 草色遙看近却無  草色 遥かに看るも近づけば却って無し
 最是一年春好処  最も是れ一年の春好き処
 絶勝花柳満皇都  絶えて勝る 花柳 皇都に満つるに

 都大路の細かな雨はミルクのようにしっとり。遠くから見える草の色、近づくと見えなくなる。
 これぞ一年のなかの春の最もよい時節。帝都に花・柳があふれる春の盛りよりずっといい。

 「天街」は都を貫く大通り。道幅の広い目抜き通りには、雨の日とはいえ、乗り物や人がにぎやかに行き交っていることだろう。そして道の両側には朱塗りの高楼がはでやかに立ち並んでいることだろう。これは田舎に降る雨ではなく、大都会の雨景色なのだ。農村とか山間の地に降る雨だったら、雨も自然の一部として、周囲に溶け込んだ風景を呈するだろうけれど、都心の雨はそれとは別の味わいがある。人間の営みの上に降り注ぐのである。この雨は雨でありながら都会の洗練を帯びているかのようだ。都と雨の取り合わせ自体が新鮮である。
 街中に降る雨といえば、ヴェルレーヌの「都に雨の降るごとく、わが心にも涙降る」が想起される。“sur la ville”を「都」と訳すのは鈴木信太郎、堀口大学は「巷」。いずれにせよ田園の雨ではない。ただヴェルレーヌは孤独、寂寞をいやましにする、悲しく冷たい雨であるけれども、韓愈の「天街の小雨」は明るい雨だ。やわらかに煙る小雨は、街をそっと暖かく包みこむ。空にはそこはかとなく春の光さえ感じられる。
 その雨が「潤いて酥の如し」。「酥」は乳製品。ミルクのような白く半透明な液体によって、街を包む雨をたとえる。それは色だけでなく、やわらかさ、潤いといった感触も伴っている。ミルクが乳児を育むように、雨は街を慈しみつつ降り注ぐ。
 「草色遥かに看るも近づけば却って無し」――二句目は視覚の錯覚をいう。物は近くではよく見える、遠ざかれば見えにくい、それがふつうなのに、この場合は逆だ。若草はまだ生え初めたばかりなので、遠くから見れば全体が草の色を呈しても、近づいてみるとかえって見えなくなってしまう。春はまだ浅いのだ。春浅いさまを「緑なすはこべは萌えず、若草も藉[し]くによしなし」と否定を連ねてうたえば、愁いを帯びるけれども、韓愈の句では憂愁はともなわない。錯覚の面白さ、新しい見方の発見を語っている。
 韓愈に先立って、王維にも似た例がある。「終南山」の詩のなかの一句、「青靄[せいあい]入りて看れば無し(青靄入看無)」――青い靄[もや]はその中に入ると消えてしまう――というのも、離れて見れば青い靄であったのに、そのなかに入ると見えなくなってしまうという経験を詩にしている。
 さて韓愈は静かに降る春の雨、わずかに生え初めた若草、そんな初春の光景を描いた二句のあと、後半二句では春の始まりのこの時期こそ、春たけなわの時よりすばらしいと語る。春爛漫の花盛りをいう「花柳 皇都に満つ」、この句も日本の詩歌を引き合いに出せば、「見わたせば柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」(『古今和歌集』)に相当する。春のまっさかり、それを都の栄華と重ね合わせて謳歌する。
 韓愈は春景色が頂点に達するそんな時期より、春の気配をかすかに感じさせる今のほうがまさるという。春がピークに達した時、花々が満開に咲き乱れた時、人々はそれを満喫する。しかしそれとは別に、花々が開花に向かって変化を起こし始めた時、それは絢爛とした春と違って、目につきにくいものであるけれども、そのきざしを認めることに喜びを覚える。きざしのなかにこの先の予想、期待を含んでいるからだ。
 こうした美意識が洗練というものだろうと思う。初春をよしとする見方は、春爛漫を喜ぶ見方が十分に浸透したあとで生まれる。まず花柳咲き乱れる春を喜ぶ心情が形成されていなければならない。それが浸透し、定着したあとで、それとは異なる見方が提起される。提起された新しい見方は、またしだいに浸透し、人々に共有される美観となっていく。そのようにして人の美意識はしだいに拡がっていき、豊かになっていく。
 ただ概して言えば、中国では完全な美を好むことのほうが多いように思う。月に対する美観が典型であって、日本では月齢ごとの月をそれぞれに味わいあるものとして好むけれども、中国ではだいたいが満月だ。完全に到達する前のさまざまな段階を好むのは、一般には日本のほうに目立つが、韓愈の詩は春まっさかりより春のきざしに軍配を上げている。

    *

 ところで、萌え初めた若草をいう二句目について、島崎藤村「千曲川旅情の歌」を引いてみて、改めて気付くのだが、日本で人口に膾炙している近代の詩歌は、どうしてこのように常に愁いが伴うのだろう。そのために詩歌というと、感傷的な憂愁を帯びるもの、という思い込みがいまだにのこっている。詩と感情を結びつけるにしても、詩は本来もっと多様な感情の表現であるはずだ。いつも暗くうつむいて読まなくたっていい。


(c)Kawai Kozo, 2021

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