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両岸の猿声啼きて住まざるに

 中国古典のサルといえば「西遊記」の孫悟空が有名ですが、他にもいろいろなサルがいます。今回は中国古典のいろいろなサルを紹介したいと思います。
 故事成語「朝三暮四」は、多くのサルを飼っていた人が生活に困り、餌として与える木の実の数を今後は朝に三つ、夜に四つにすると伝えたところ、サルたちが大いに怒り、そこで、朝に四つ、夜に三つにすると伝えたところ、今度は喜んだというお話です(『列子』黄帝篇)。『列子』では、この例え話を用いて、愚かな民衆を猿に、統治者を飼い主になぞらえて、統治者は民衆をいいように手玉に取るのだと指摘しています。また、『世説新語』黜免篇[ちゅつめんへん]に見える、子猿を奪われ、取り戻そうと追いかけて力尽きて死んだ母猿の腸が、悲しみのあまりずたずたになっていたという、「断腸」の故事も有名です。このように、サルは人間が容易に感情移入できる存在として、サルの群れは人間社会のたとえとして、しばしば私たちの在り方を写す鏡のように中国古典の中に登場してきます。
 その顕著な例として、中唐・柳宗元(七七三年から八一九年)の「王孫を憎むの文(憎王孫文)」をかいつまんで紹介したいと思います。この文には「猿」と「王孫」という二種類のサルが登場します。「猿」は穏やかで、思いやりに満ちており、群れからはぐれれば悲しげな声で鳴き、危険なことがあれば弱い者を群れの真ん中に集めて強い者が守ります。一方、「王孫」は騒がしく、仲間とも険悪で、はぐれても仲間のことを思いもせず、危険が迫れば弱い者を群れの外に押し出してスケープゴートにしてしまうのです。両者は対照的に描かれ、柳宗元は山の神に対し「王孫」を追放してほしいと訴えて文を結びます。もちろんこの文はサルの生態を論じているのではありません。群れで生活し、仕草などが人間になぞらえやすいサルを題材に、人間社会で幅をきかせる「王孫」のような人々を批判する寓言です。
 しかし、似ているとはいえ人とサルは異なります。そのため、サルが人に化ける物語もあります。例えば唐代の伝奇小説「補江総白猿伝」では、美丈夫に化けた大きな白猿が登場します。
 時は六朝・梁(五〇二年から五五七年)のころ、勇猛な武将である歐陽紇[おうようこつ]の妻が何者かに攫われたところから物語は始まります。三十名の部下とともに捜索を続けた歐陽紇は、美しく整えられた山中の園に楽しげにおしゃべりをしている女性たちを発見します。聞けばみな攫われてここに来たとのこと、妻も無事に見つかりました。しかしその園の主は只者ではないようでこのままでは救い出すことができそうにありません。女性たちにとっておきの策を授けられた歐陽紇は、言われたとおり肉と酒を準備し、妻たちを救うため十日後に再び山中に分け入り、そして園の主の姿を目にします。
 現れたのは美しいあごひげを蓄えた男性で、身長は六尺くらいですから、180㎝くらいの立派な体つき、白い衣を着て杖をついて、女性たちに支えられていたとあります。彼は罠とも気づかず用意された肉と酒を堪能し、酔っ払って女性たちに縛り上げられ、正体を現し白猿の姿に戻りました。歐陽紇が弱点である臍[へそ]の下に剣を突き立てると、猿は「お前の妻は妊娠しているが、その子を殺すでないぞ、その子は聖なる皇帝にお仕えして、お前の一族を繁栄させるだろう」と予言して息絶えたのでした。
 女性たちの証言によれば、彼の強さは百人がかりでも太刀打ちできないほどでありながら、清潔感のあるオシャレな猿で、博識で常に書物をそばに置き、昼は剣を持って巧みに舞い、果物と犬とを好んで喰らい、夜は毎晩、女性全員を寵愛したなど、知的で文化的な側面と、野性的で怪物じみた側面とを兼ね備えた存在でした。物語の結びには、歐陽紇の妻が生んだ息子は極めて優秀で、白猿の予言の通り後に名声を博したとありますから、白猿は未来を見通す力をも備えていたことになります。
 さて、主人公の歐陽紇は実在の人物です。その息子の歐陽詢[おうようじゅん]は容貌が非常に醜かったが、飛び抜けて優秀であった、と正史『旧唐書』にも『新唐書』にも明記されています。そのため、醜い歐陽詢を白猿の息子であるとして貶める目的でこの物語が書かれたのだという説がありますが、それにしては白猿が優れた存在として、魅力的に描かれているようにも感じます。謎が多い作品ですが、人よりも優れた力を持つこのサルの物語は、狐でも竜でもなくサルが人に化けたからこそ成り立つ物語であると言えそうです。
 ここまでいろいろなサルを見てきましたが、最後に盛唐・李白(七〇一年から七六二年)の「早[つと]に白帝城を発す(早発白帝城)」詩を見たいと思います。

朝辞白帝彩雲間  朝[あした]に辞す 白帝彩雲の間 
千里江陵一日還  千里の江陵 一日にして還る
両岸猿声啼不住  両岸の猿声 啼きて住[や]まざるに
軽舟已過万重山  軽舟已に過ぐ 万重の山

 李白は舟旅をしています。朝焼け雲の白帝城を早朝に出発し、江陵までの千里ばかりを一日で飛ぶように下っていき、両岸のサルの声がひとしきり響いている、そのわずかな間に、彼の乗った舟は山々の間を過ぎ去っていく、という爽快感、スピード感にあふれる詩です。舟の勢いを表現するために登場したサルの声は、寓意などとは無縁の自然界のサルの声でしょう。サルの声は詩の中ではしばしば望郷の念を掻き立てるものとして登場しますが、この詩では李白は望郷の念すら置き去りにして、軽舟で自由な世界へと疾走していくかのようです。

 さてこの連載も予定の十二回があっという間に過ぎ、今回で終わりです。李白の詩の豪快な勢いのままに駆け抜けることとして、ここで筆を置き、サルとともに去ることにしたいと思います。一年間おつきあいいただきありがとうございました。

 


『列子』黄帝篇 朝三暮四
原文
宋有狙公者。愛狙、養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲。俄而匱焉。将限其食。恐衆狙之不馴於己也、先誑之曰、「与若芧、朝三而暮四、足乎。」衆狙皆起而怒。俄而曰、「与若芧、朝四而暮三、足乎。」衆狙皆伏而喜。物之以能鄙相籠、皆猶此也。聖人以智籠群愚、亦猶狙公之以智籠衆狙也。名実不虧、使其喜怒哉。

書き下し文
宋に狙公なる者有り。狙を愛し、之を養ひて群れを成す。能く狙の意を解し、狙も亦た公の心を得たり。其の家口を損じて、狙の欲を充たせり。俄かにして匱し。将に其の食を限らんとす。衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、先づ之を誑きて曰はく、「若に芧を与ふるに、朝に三にして暮れに四にせん、足るか。」と。衆狙皆起ちて怒る。俄かにして曰はく、「若に芧を与ふるに、朝に四にして暮れに三にせん、足るか。」と。衆狙皆伏して喜ぶ。物の能鄙を以て相籠[あいろう]すること、皆猶ほ此[か]くのごときなり。聖人の智を以て群愚を籠するは、亦た猶ほ狙公の智を以て衆狙を籠するがごとし。名実虧[か]けずして、其れをして喜怒せしむるかな。

『世説新語』黜免   断腸
原文
桓公入蜀、至三峽中。部伍中有得猿子者。其母縁岸哀号、行百余里不去、遂跳上船、至便即絶。破視其腹中、腸皆寸寸断。公聞之、怒、命黜其人。

書き下し文
桓公蜀に入り、三峽の中に至る。部伍の中に猿の子を得る者有り。其の母岸に縁りて哀号し、行くこと百余里にして去らず、遂に跳びて船に上り、至りて便ち即ち絶ゆ。破りて其の腹中を視れば、腸皆寸寸に断たる。公は之を聞き、怒り、命じて其の人を黜す。

(c)Asako,Takashiba 2022

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