当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

読み物

連載記事

『戦国策』「虎の威を借る狐」

 「虎の威を借る狐」という言葉は故事を想起しやすいためか、ストーリーとあわせて知っているという人が多いようです。中国では同じ意味で「狐仮虎威(狐 虎威を仮[か]る)」という表現を使います。そのため、「狐仮虎威」の形でこの故事成語を掲載する漢和辞典もあります。
 出典は『戦国策』楚策です。あらすじを見てみましょう。
 あるとき虎が狐を捕まえました。狐は虎の餌食になりたくない一心で、自分が天帝に選ばれた存在であり、食べると天帝の怒りを買うと信じ込ませようと一計を案じます。狐は虎を後ろに従えて歩き、動物たちが虎を畏れて逃げて出すところを見せたのです。虎は畏れられているのが自分だとは気づかず、狐の言うままに、天帝に選ばれた存在であるから動物たちは狐を畏怖しているのだと誤解し、狐は命拾いをしたのでした。
 教科書ではしばしばこの例え話の部分だけが取り出されていますが、『戦国策』の本文には前後の部分があります。戦国時代(紀元前四〇三年から紀元前二二一年)の楚(荊)の国のこと。宣王は家臣たちに、「吾[われ]北方の昭奚恤[しょうけいじゅつ]を畏るるを聞くなり。果たして誠に如何(北方の国々は昭奚恤を恐れていると聞くけれども本当かね)」と尋ねます。楚は南方の大国ですから、「北方」とは広く楚以外の国を指すのでしょう。昭奚恤は楚の政治家で、当時非常に強い権力を握っていた人です。答えかねて家臣たちが黙り込んでしまう中で、口を開いたのが江一[こういつ]でした。
 江一はまず先ほどの例え話を語り、それから、昭奚恤が畏れられているのは狐と同じで、昭奚恤自身の実力はなく、王の威光を借りているのだと説明しました。それに対する王の反応は書かれていませんが、北方の国々が自分の威光を畏れているのだと言われれば、恐らく悪い気はしなかったでしょう。
 『戦国策』のこの後に続く記事を読むと、どうやらこの江一という男は魏の国のスパイであるらしく、強国である楚を弱体化させるべく、宣王と昭奚恤の仲を裂こうとしているようです。そうであれば、江一は、自身の威光を笠に着る昭奚恤を宣王が僭越だと思い、不快感を覚えるように仕向けているとも考えられます。
 ところで、虎を騙す動物はなぜ狐だったのでしょうか。当時の中国では身近な強い肉食獣といえば虎でしたから、王の喩えとして虎が出てくるのは不思議ではありません。ですが虎に食われる動物は狐でなくともよさそうです。その謎を解くために、狐という動物の持つイメージを見ていきたいと思います。
 疑うことを意味する「狐疑」という言葉は、春秋戦国時代にも用いられています。例えば戦国時代の兵法書『呉子[ごし]』の治兵篇には「三軍の災は狐疑に生ず」と説いています。軍を率いる者が疑い惑っていると全軍に大きな被害が出るという意味です。「狐疑」の語源は狐と関係ないようなのですが、『史記』巻九「呂太后本紀」中の「狐疑」という言葉に付された唐代の注釈(索隠[さくいん])には「狐の性は亦た疑多し(狐は疑い深い性質である)」と説明されています。実際の語源はどうあれ、「狐疑」という語は狐の「疑」(猜疑心の強さや慎重さ)を連想させやすい語であったようです。

 狐のイメージは猜疑心の強さや慎重さというだけではありません。『史記』巻四十八 「陳渉世家[ちんしょうせいか]」に出てくる狐は神秘的なイメージがあったことを窺わせます。
 秦王朝(紀元前二二一年から紀元前二〇六年)滅亡のきっかけとなった陳勝[ちんしょう]呉広[ごこう]の乱の直前のできごとです。何事にもまずはイメージ戦略が必要であると知っていた陳勝と呉広の二人は、魚の腹の中に赤い文字で「陳勝王たらん(陳勝が王になる)」と書いた布を仕込みます。その魚を買って食べた下級役人たちは、布を見て訝しがります。夜になると、呉広は祠の傍らで狐の鳴き声を真似て、「大楚興り、陳勝王たらん(大楚が勃興し、陳勝が王になる)」と叫んで聞かせました。楚の国(大楚)は、秦の始皇帝が天下を統一する際に滅ぼされていますが、そのとき楚は秦を恨み、「楚は三戸と雖も、秦を亡すは必ず楚なり(楚の民が三戸しか残らなかったとしても、秦を滅ぼすのは必ず楚である)」との言葉が残るほどでした(『史記』巻七「項羽本紀」)。その楚が再興して、秦を倒し、陳勝が王になると、祠の横で狐が予言したわけです。魚と狐の予言によって、下級役人たちは大いに畏れ、皆が陳勝の様子を窺うようになりました。
 農民である陳勝と呉広が反乱を起こすと言っても、周囲は現実味がないと思ったかもしれません。しかし、陳勝が王になると二回も予言されたということになれば話は別です。この巧みなイメージ戦略において、神秘的な予言の演出に利用されたのが、祠のそばに潜む狐だったということになります。実際には狐の声を真似たというだけで姿が見えているわけではありません。それでも狐の鳴き声と敢えて書かれていることからは、神の予言を人々に伝える役割は狐にこそ相応しいというイメージがあったことが窺えます。

 このように狐のイメージは、猜疑心が強く慎重だったり、予言ができたりと、いい意味でも悪い意味でも、賢く、有能な存在、優れた知性を持つ存在として、イメージされていたように感じます。だからこそ、のちの時代に人間の女性に化けて人間とロマンスに興じることになる狐(唐代伝奇「任氏伝」など)などが語られるようになってきたのでしょう。
 「虎の威を借る狐」では、狐は保身のために咄嗟に巧みな嘘をついていました。他の動物ではなく、賢く有能な狐が選ばれた理由は、狐ならこういうことができるだろう、と思われていたからでしょう。だからこそ宣王たちはこの例え話をスムーズに受け入れることになったと言えそうです。


『戦国策』楚策
原文
荊宣王問群臣曰、「吾聞北方之畏昭奚恤也。」果誠何如。群臣莫対。江一対曰、「虎求百獣而食之。得狐。狐曰、『子無敢食我。天帝使我長百獣。今、子食我、是逆天帝命也。子以我為不信、吾為子先行。子随我後観。百獣之見我、而敢不走乎。』虎以為然、遂与之行。獣見之皆走。虎不知獣畏己而走、以為畏狐也。今王之地方五千里、帯甲百万、而専属之昭奚恤。故北方之畏奚恤也、其実畏王之甲兵也、猶百獣之畏虎也。」
書き下し文
荊[けい]の宣王 群臣に問ひて曰はく、「吾[われ] 北方の昭奚恤[しょうけいじゅつ]を畏るるを聞くなり。果たして誠に如何[いかん]」と。群臣対ふる莫し。江一[こういつ]対へて曰はく、「虎 百獣を求めて之を食らふ。狐を得たり。狐曰はく、『子[し]敢へて我を食らふこと無かれ。天帝 我をして百獣に長たらしむ。今、子 我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。子 我を以て信ならずと為さば、吾 子の為に先行せん。子 我の後に随[したが]ひて見よ。百獣の我を見て、敢へて走らざらんや。』と。虎 以て然りと為し、遂に之と行く。獣 之を見て皆走る。虎 獣の己を畏れて走るを知らず。以て狐を畏ると為すなり。今 王の地は方五千里、帯甲百万ありて、専ら之を昭奚恤に属す。故に北方の奚恤を畏るるや、其の実 王の甲兵を畏るるなり、猶ほ百獣の虎を畏るるがごときなり。」と。
現代語訳
楚の宣王は臣下たちに尋ねました。「私は北方の諸国が昭奚恤を恐れていると聞いた。本当のことなのか。」臣下たちは誰も返事をしませんでした。そこで江一はこう答えました。「虎があらゆる動物を捕まえて食らっていますが、あるとき狐を捕まえました。狐が言いました。『あなたは私を食べてしまってはいけません。天の神が私を百獣の王にしたので、いま私を食べてしまったら天の神の命令に背くことになります。あなたが私の言うことを信じられないのであれば、私はあなたのために先に立って歩きましょう。あなたは私の後についてきて見てください。あらゆる動物が私を見て、逃げ出さないでいられるかどうか。』虎はその通りだと思い、そこで狐と一緒に出かけました。動物たちは彼らを見て逃げ出しました。虎は動物たちが自分を見て逃げたことに気づきません。そこで狐を恐れたのだと考えました。さて、今、王様は五千里四方の土地を支配し、百万もの兵士を擁していますが、それをほとんど昭奚恤に任せています。だから北方諸国が昭奚恤を恐れているというのは、実質的には王様の兵士たちを恐れているということなのです。これはちょうど動物たちが虎を恐れているのと同じことです。」

『史記』巻四十八 陳渉世家
原文
乃丹書帛曰、「陳勝王」、置人所罾魚腹中。卒買魚烹食、得魚腹中書、固以怪之矣。又間令呉広之次所旁叢祠中、夜篝火、狐鳴呼曰、「大楚興、陳勝王。」卒皆夜驚恐。旦日、卒中往往語、皆指目陳勝。
書き下し文
乃ち帛に丹書して曰はく、「陳勝王たらん。」と。人の罾[あみ]する所の魚の腹の中に置く。卒[そつ] 魚を買ひて烹[に]て食らひ、魚の腹の中の書を得、固[もと]より以[すで]に之を怪しむ。又 間[ひそか]に呉広をして次所の旁らの叢祠の中に之[ゆ]かしめ、夜 火を篝[こう]するに、狐鳴して呼びて曰はく、「大楚興[おこ]り、陳勝王たらん。」と。卒 皆夜驚き恐る。旦日、卒中に往往にして語り、皆 陳勝を指目す。


(c)Asako Takashiba,2022

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア

おすすめ記事

写真でたどる『大漢和辞典』編纂史

漢字の来た道

偏愛的漢詩電子帖

体感!痛感?中国文化