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唐・韓愈「猫相乳」

 今回は主に唐代の作品の中から猫のイメージを探ってみたいと思います。まず韓愈(七六八年から八二四年)の書いた「猫相乳」という文章の前半を見てみましょう。
 司徒北平王(馬燧[ばすい]、七二六年から七九五年)という人物は、若き韓愈を経済的に支援してくれた恩人です。その馬燧の家の二匹の猫が、同じ日に子どもを産みました。ところが、母猫の一方が死にそうになります。瀕死の母猫が弱々しく鳴くと、もう一匹がその声を聞きつけたかのように走って行って、子猫一匹を自分の棲み処に連れ帰ります。そしてもう一度走って行って残る一匹も連れ帰り、我が子同然に二匹の子猫にも乳を与えたのでした。その場面の原文を見てみましょう。

其一方乳其子、若聞之。起而若聴之、走而若救之。(其の一方 其の子に乳するに、之を聞くが若[ごと]し。起ちて之を聴くが若く、走りて之を救ふが若し。)

 元気な母猫が我が子に授乳していて(乳其子)、立ち上がって(起)、走っていった(走)理由を、韓愈は勝手に忖度せず、繰り返し「若」を用い、瀕死の母猫の声が聞こえたかのように、瀕死の母猫の願いを聞き取ったかのように、瀕死の母猫の子どもたちを救おうとするかのように、と客観的に描こうとしています。
 「若」を用いず猫の気持ちを代弁してもいいのに、敢えて一歩引いた書き方を貫くこの文章は、動物の生態を観察した記録なのかといえば、そうではありません。韓愈が書きたかったのは、猫の逸話を受けて語られる、猫たちの飼い主であり韓愈の恩人でもある馬燧への称賛でした。馬燧は功績と人徳を二つながら備えた優れた人物であり、彼がそのような人物であるから、仁や義を備えていないはずの猫(非性於仁義者也)さえも、このように思いやりのある行動をするのだ、とこの逸話から馬燧への賛辞が導き出されていくのです。
 猫が仁や義を備えていないという見方は、初唐・閻朝隠[えんちょういん]の「鸚鵡猫児」という詩にも見えます。この詩はオウム(鸚鵡)と猫(猫児)が仲良くしている姿を描いて、天下泰平を寿ぐ作品です。その序文の冒頭には「鸚鵡は恵鳥なり、猫は不仁の獣なり(オウムは思いやりのある鳥であり、猫は思いやりのない獣である)」とあり、思いやりのある優れたオウムが、思いやりに欠ける猫と一緒に穏やかに過ごすことができるのは、則天武后の治世が太平であるからであると、時の権力者則天武后を称えています。なお、この全文は、後藤秋正「「猫と漢詩」札記 古代から唐代まで」に詳しく紹介されています。
 この二つの作品に共通するのは、猫が仁や義を備えていないとみなされていることと、その猫にすらよい影響を与える優れた人物(馬燧や則天武后)を称賛するために書かれた作品であることです。猫が不仁であると考えられていたことは、『新唐書』に見える李義府の伝記からも窺い知ることができます。李義府は隋の末から唐の最初のころの人で、人当たりもよく、一見にこにこと温厚な風情でしたが、内面は陰湿で、気に入らない人がいれば全て傷つけるような人物だったそうです。『新唐書』にはそんな彼の陰湿さを同時代の人々が「笑中刀」と称したと書かれています。「笑中刀」とは微笑みの中に刃物を持っている、人当たりがいいように見せて陰険だという意味でしょう。その文に続けてこうあります。

又以柔而害物、号曰人猫。(又柔なるを以て物を害すれば、号して人猫と曰ふ。)

 人当たりが柔らかいのに他者にひどいことをするので、「人猫」と呼ぶ、というのです。「人猫」というのは人でありながら猫のようだという意味でしょうから、猫は、温厚そうに見せかけてとてもひどいことをする存在だと思われていたということになります。
 どうして猫はそんなに悪者扱いされることになったのでしょうか。それには鼠など小動物を捕るという猫の性質が関係していそうです。鼠は人間の食べ物を損ないますから、害獣扱いされることが多く、猫が鼠を捕ることは人間のよりよい暮らしにとって役に立ちますし、実際、猫の飼育はしばしば鼠などの駆除を目的として行われます。しかし、身近に行われる猫の「残酷な行為」を目にして、鼠が可哀想と感じる人も少なくなかったのでしょう。例えば、『太平広記』巻四四〇に見える「李甲」には、殺生を好まなかったので、猫を飼わなかったという一家が登場します。冒頭に宝応年間(七六二年から七六三年)のことだとありますから、これも唐代のことです。孫の代に至るまで猫を飼わなかった李家の人々が、ある日、友人を招いて宴会をしようとすると、外で数百匹の鼠たちが後ろ足で立ち上がり、楽しげに前足を打ち鳴らし始めました。宴会の参加者が一斉にそれを見に建物から出ると、何と今までいた建物が倒壊してしまいます。彼らは鼠を見に行ったおかげで誰一人けがをせずに済んだのでした。猫を飼わないでくれたことに感謝した鼠たちが、孫の代で恩返しをしたというお話です。
 ここで注目したいのは殺生を嫌った人が猫を飼わなかったという点です。この話が報恩の物語として成立する背景には、猫を飼わないことが殺生を避ける功徳となるとの理解が、人々にある程度共有されていたと考えていいでしょう。
 唐代に猫が不仁の獣だと描かれる理由には、普段はのんびりしているのに鼠と見るや残忍に殺してしまう、そんな猫の特性も関係していそうです。だからこそ、殺生を嫌う人は猫を飼わず、人当たりが柔らかいのにひどいことをする人は「人猫」と呼ばれ、「鸚鵡猫児」や「猫相乳」では猫は不仁の代名詞のように登場させられていた、ということなのではないでしょうか。
 唐代の猫に対する眼差しは少し冷淡ですが、価値観は時代とともに変わります。次回は猫を溺愛する宋代の作品をご紹介する予定です。

筆者宅の仁義なき猫たち


唐・韓愈「猫相乳」
原文
司徒北平王家猫、有生子同日者。其一死焉、有二子飲於死母。母且死、其鳴咿咿。其一方乳其子、若聞之。起而若聴之、走而若救之。銜其一置于其棲。又往如之。反而乳之、若其子然。噫、亦異之大者也。夫猫人畜也。非性於仁義者也。其感於所畜者乎哉。北平王牧人以康、伐罪以平、理陰陽以得其宜。国事既畢、家道乃行。父父、子子、兄兄、弟弟。雍雍如也、愉愉如也。視外猶視中、一家猶一人。夫如是其所感応召致、其亦可知矣。易曰、「信及豚魚。」非此類也夫。愈時獲幸於北平王。客有問王之徳者、愈以是対。客曰、「夫禄位貴富人之所大欲也。得之之難、未若持之之難也。得之於功、或失於徳。得之於身、或失於子孫。今夫功徳如是、祥祉如是、其善持之也可知已。」既已、因敘之為「猫相乳」説云。

書き下し文
司徒北平王の家猫に、子を同日に生む者有り。其の一死せんとするに、二子の死母に飲む有り。母且[まさ]に死せんとし、其の鳴くや咿咿[いい]たり。其の一方[まさ]に其の子に乳し、之を聞くが若[ごと]し。起[た]ちて之を聴くが若く、走りて之を救ふが若し。其の一を銜へて其の棲に置く。又た往きて之の如くす。反りて之に乳し、其の子の若く然[しか]り。噫[ああ]、亦た異の大なる者なり。夫れ猫は人畜なり。性の仁義に於ける者に非ざるなり。其の畜する所の者に感ずるか。北平王は人を牧して以て康[やす]くし、罪を伐ちて以て平[たひら]げ、陰陽を理して以て其の宜しきを得。国事既に畢[を]はり、家道乃[すなは]ち行はる。父は父たり、子は子たり、兄は兄たり、弟は弟たり。雍雍如[ようようじょ]なり、愉愉如[ゆゆじょ]なり。外を視ること猶ほ中を視るがごとく、一家は猶ほ一人のごとし。夫れ是くの如く其の感応召致する所、其れ亦た知るべし。易に曰はく、「信は豚魚に及ぶ。」と。此の類に非ずや。愈は時に幸を北平王に獲[う]。客に王の徳を問ふ者有り、愈是を以て対[こた]ふ。客曰はく、「夫れ禄位貴富は人の大いに欲する所なり。之を得るの難は、未だ之を持するの難に若[し]かざるなり。之を功に得て、或いは徳に失ふ。之を身に得て、或いは子孫に失ふ。今夫れ功徳是[か]くの如[ごと]く、祥祉是くの如くんば、其れ善く之を持するや知るべきのみ。」と。既已[すで]にして、因よりて之を敘して猫相乳の説と為すこと云[か]くのごとし。

「李甲」『太平広記』巻四四〇
原文
宝応中、有李氏子亡其名。家於洛陽。其世以不好殺、故家未嘗畜狸、所以宥鼠之死也。迨其孫、亦能世祖父意。常一日、李氏大集其親友会食於堂。既坐、而門外有数百鼠倶人立、以前足相鼓、如甚喜状。家僮驚異、告於李氏。李氏親友、乃空其堂而蹤観。人去且尽。堂忽摧圮。其家無一傷者。堂既摧、群鼠亦去。悲乎。鼠固微物也、尚能識恩而知報、況人乎。如是則施恩者宜広其恩、而報恩者亦宜力其報。有不顧者、当視此以愧。出『宣室志』。

書き下し文
宝応中、李氏の子の其の名を亡[わす]るる有り。洛陽に家す。其れ世[よよ]にするに殺すを好まざるを以てし、故に家に未だ嘗て狸[り(猫のこと)]を畜せず、鼠の死を宥す所以なり。其の孫に迨[およ]び、亦た能く祖父の意を世[よよ]にす。常[かつ]て一日、李氏大いに其の親友を集めて堂に会食す。既に坐するも、門外に数百の鼠の倶に人立し、前足を以て相鼓し、甚だ喜ぶが如き状有り。家僮驚異して、李氏に告ぐ。李氏親友、乃ち其の堂を空にして蹤観す。人去りて且[まさ]に尽きんとするに、堂忽ち摧圮す。其の家一も傷者無し。堂既に摧[くだ]け、群鼠亦た去る。悲しきかな。鼠は固[もと]より微物なるも、尚ほ能く恩を識りて報ゆるを知る、況んや人をや。是[か]くの如くんば則ち恩を施す者は宜しく其の恩を広くすべくして、而して恩に報ゆる者も亦た宜しく其の報ゆるに力[つと]むべし。顧みざる者有らば、当[まさ]に此れを視て以て愧づべし。『宣室志』に出づ。

 

(c)Asako,Takashiba 2022

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