当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

読み物

連載記事

モルモットと海豚と海猽

 モルモットといえば実験台の比喩として使われるほど、動物実験に使われる動物として広く知られている。ではモルモットを漢字で書くとどうなるだろう。「天竺鼠」という表記が使われることもあった(モルモットはテンジクネズミ科である)のだが、それ以外に大正から昭和にかけて「海猽(かいべい、かいめい)」という、いかつい字面の熟語があてられることがあった。この一時的に出現した表記を追ってみたい。

 そもそものモルモットの名称がややこしい。各言語で何と呼んでいるかはさらに複雑なので、興味があれば調べていただきたい。モルモットという名称は、今わたしたちが「モルモット」と呼んでいる動物ではなく、もとはリス科の別の生き物を指している。日本には天保14(1843)年に長崎に上陸して将軍に献上され、そのときから「モルモット」と呼ばれていたという。いわゆる「モルモット」をドイツ語ではMeerschweinchenといい、これが「海猽」のもとになっている。Meerは「海」、schweinchenは「子豚」(接尾辞-chenは「小さい」ことを表す)の意味で、「猽」には子豚という意味合いがある。「猽」という見慣れない字をわざわざ持ち出して翻訳したのは、前回取り上げた松下禎二だった。

 松下は『文字のいろいろ』の中で、自分が翻訳したこと、最近使用者が増えて喜ばしいことを述べている。松下が書籍上はじめて使ったと思われるのは、1908年『免疫学講義』だが、そこには特に自分が訳したとか、「海猽」とはこういう意味合いだということは一切書かれていない。そしてそれ以降も雑誌記事や教科書の中で「海猽」表記を使っているが、やはり説明はない。
 松下はどうしてこのような表記をしたのだろうか。ここで「海豚」に登場していただこう。「海豚」といえばイルカを指すことはわりと知られているだろう。しかし、モルモットをさして「海豚」表記が使われたこともあったのだ。その理由はドイツ語にある。Meerschweinchenはモルモットだが、Meerschweinはイルカを指す。Meerschweinを逐語的に訳すと「海の豚」すなわち「海豚」になるというわけだ。この「海豚」をMeerschweinchen(モルモット)にもあてたことで、動物実験に関して記載のある論文の文中に、ネズミとならんで「海豚」が登場するという奇妙な状況が生まれた。例えば1897年の緒方正規「「ペスト」研究復命書」という文章で、おそらくモルモットを指して「海豚」の実験について書かれている。この表記はやはり当時の人から見ても奇妙に映ったようだ。1911年の動物学雑誌に「海豚か天竺鼠か」という文章があり、この誤りを指摘している。「真にイルカを試験動物に用いたのなら一も二もなく降参する外はない」といった調子だ。おそらく松下もこの違和感をもっていたのだろう。松下は当初、1903年の学位論文要旨では「海豚児」、つづいて1904年の論文中で「海豕子」という表記を使っている。「海豕子」の表記なら、「海豚の子」というふうに理解されることなく表現できるということなのだろう。前回見た微生物学名では、漢字二文字で翻訳する制約を自ら課しているということを取り上げた。そこでさらに「海猽」という表記を思いついたのだと思われる。ちなみに「海豚」表記を避けるためか、一字に縮めて「涿」とする人もいたことが、当時モルモットの表記を調べていた荘司秋白の文章で紹介されている。しかしその実際の用例は確認できていない。

 さて松下が作った「海猽」がどう広まったのかについてだが、当初は松下が所属する京都大学の中で使用され始めたのではないかと推定している。松下以外の使用例の初期のものとして、原栄が1912年に発表した結核に関する論文のタイトルに「海猽」が使われている。原栄は当時京都大学に在籍しており、研究分野も松下に近い。その翌年には雑誌内の英語論文抄訳に「海猽」が使われていて、以後広がりをみせ、実験動物に関する教科書にも「海猽」表記が載るに至った。「海豚」表記を回避しつつ、ちょっとした小難しさ、それっぽさが受けたのだろうか。ただ「海猽」表記を使い始めたのが松下禎二であることは知られていなかった。さきほどの荘司秋白も「誰ぞ悪戯者が〈中略〉斯様な怪物を製造したものと睨[にらみ]を附けました」といい、だれかは把握していない。松下の微生物学名を吟味して最終的には採用しなかった緒方富雄も、当初は「発明者もまだ想像以上に明かではない」としつつ、新興勢力の「海猽」ではなく、動物学会が和名と認めた「天竺鼠」を推奨している。緒方はその後、『文字のいろいろ』の記述にたどり着いて発明者が松下と知り、「『やっぱりさうだった』といふ気持がした。」と書いている。難しい微生物名と格闘した緒方にとっては、納得のいく発明者だったのだろう。

 「海猽」は活字で組むのに難があったようで、「猽」の字が伝わらなくて苦労する話や、間違えて「獱」で印刷されたという話もある。次第に使われなくなったのだが、ある一定層から支持を得たこともまた事実であった。
 前回の松下の微生物名はことごとく広まらなかったが、「海猽」が広がった理由は何だろうか。一つはドイツ語からの逐語訳的な造語であるので、(文字の難しさを除けば)原語との比較がしやすかったこと、そして逐語訳で「海豚」という誤った訳をされがちであるので回避策が求められていたことがあると思われる。大量の微生物学名にまぎれて「海猽」が出てきても広まらなかったと思うが、この発明者の名前が広まらず、「海猽」の名前だけ独り歩きしたことで、逆に広まりやすかったということもあるかもしれない。

 

—-
[参考文献]
H.I.生 (1911) 「海豚か天竺鼠か」動物学雑誌(275), p.528-529
緒方富雄 「モルモットのはなし」 『科学とともに』 p.223-261
緒方正規 (1897) 「「ペスト」病研究復命書」順天堂医学(250) p.477-495
荘司秋白 (1926) 「モルモット疑義附鵺文字の事」日本医事新報1118, p.1343-1354
原栄(1912) 「海猽ニ於ケル吸入結核ノ疑義ニ対スル実験的批評ヨリ人類ニ於ケル飛沫伝染ノ日常的危険ノ意義ニ及ブ」中外医事新報(773) p.778-781
松下禎二 (1904) 「びーる中に於いて発見せる醸病性桿状菌に就きて」衛生学及細菌学時報(1) p.149-161
松下禎二 (1908) 『免疫学講義』

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア

おすすめ記事

体感!痛感?中国文化

『漢文教室』クラシックス