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「膵」になるまでの試行錯誤

 「膵臓」の「膵」がいわゆる国字、日本製の字であることをご存じの方もいるかもしれない。杉田玄白や前野良沢らの手による『解体新書』から20年あまりたって、宇田川榛斎が『医範提綱』の中で使い始めた個人文字が、医師の間で使われるようになり、一般に広まっていった。最近では、住野よる『君の膵臓をたべたい』でさらに「膵」の認知度が高まったのではないだろうか。

 笹原宏之氏によって「膵」「腺」といった字が、個人文字から広がっていっていった過程が明らかになった。そこには同時に「膵臓」というこれまでの東洋医学にはなかった概念をどう言葉に表そうかという苦心のなかで、生み出されたものの定着に至らずに消えていった数々の文字たちのことも述べられている。今回はそういった先人たちの試行錯誤を追ってみたい。

 実際に膵臓の存在をしっていたかどうかはさておき、西洋医学でいう膵臓の概念を訳したはじめは1774年『解体新書』のなかにある「大機里爾[キリール]」あたりだろう。機里爾はキリールKlierというオランダ語で「腺」の意味だ。つまり膵臓は「大きい腺」すなわち「腺の集まり」というわけだ。これを先人は一字で表そうとしてきた。ちなみに当時はまだ「腺」という字もなかった。

 


 海上随鴎(稲村三伯)という蘭学者が作ったのがこの字だ。これ以外にも千字以上の造字を行っておりそのうちの一つということになる。「狧」の部分は『解体新書』などで「形、犬舌のごとし」というふうに膵臓の形について書かれた箇所が関連していそうだ。読みは恬[てん]と似ているからか、「テン」となっている。この字は『医範提綱』を作るための詳細版『西説医範』の一写本に用いられている以外には用いられなかった。ほとんど海上随鴎の個人使用どまりだったということだ。千字も一気に作られたら弟子としてもそれを受け継ぐのはさすがに難しかったのだろう。

【脧】
 野呂天然という医師が用いたのがこの「脧」だ。野呂天然は宇田川榛斎や海上随鴎と同時代の医師だが、あまり周囲から受け入れられていなかったようだ。著書に難しい字を使うことが多いが、宇田川榛斎のような「造字」をすることについては批判をしていて、自分のはすでに使われなくなった字の再利用なのだ、というスタンスをとる。「脧」は字書によると「小児の陰茎」や「縮む」といった意味合いだが、野呂天然は「肉(月)」と「酸」の省略形という解釈をして、酸性の分泌液を出す臓器(肉)を表す字として使おうとした。しかし野呂天然の字の使い方は広まらなかった。

【䤚】
 今回紹介する字のうちだれがいつ作ったのかはっきりしないのが、この「䤚」だ。1805年の『医範提綱』以前に書かれたと思しき『蒲朗加児都解剖図説』に「大キリール」という訳語に混じって使われている。この本は宇田川榛斎が書いたと思われるので、この字は宇田川榛斎が「膵」を作る前に考えた字なのかもしれない。「機里爾」の「里」の部分を利用した字なのだろう。ほかにこの字が見られたのは、宇田川榛斎の養子宇田川榕菴の名前で1813年の記載がある『西説医範』の一写本、1816年筆写の記載がある私蔵の『傷寒論』写本、1815年に著したとされる新宮涼庭[しんぐうりょうてい]『解体則』の写本、高野長英『漢洋内景説』があって、少なくとも数人の使用実績があったようだ。しかし宇田川榕菴、新宮涼庭も後の著作では「膵」のほうを使用するようになり廃れていった。

【肫】
 大槻玄沢が『重訂解体新書』で使ったのが「肫」だ。『重訂解体新書』は1798年にはできていたようだが、世に刊行されたのは1826年とかなり遅かった。大槻玄沢は膵臓をあらわすオランダ語やラテン語を「腺(キリール)=肉」と「集まる=屯」という意味に分解し、「肫[トン]」という字を作ったということを述べている。この字は字書には鳥の内臓という意味で載っていて、そのことを大槻玄沢も認識していたが、これは「偶然」としていてあくまで字を作ったという意識のようだ。しかし、その後は本間玄調[ほんまげんちょう]『内科秘録』のなかで使用例が確認できる程度であまり広まらずに廃れていった。刊行されたときにはすでに「膵」が広まりつつあったのが要因だろう。

【膵】
 現在まで生き残った「膵」は、1805年の宇田川榛斎『医範提綱』で使われはじめた字だ。どういう意図で作ったかまでは書いていないが、腺が集まっているという発想は、大槻玄沢の「肫」と同じで、「萃」も「集まる」という意味合いがある。大槻玄沢と同じ発想法なのに広まり方がここまで違うのには、『医範提綱』が刊行され広く読まれたところに最大の要因があったようだ。

 ほかにも、漢方医学でいう五臓六腑の三焦と関連づけて一字で表す方法(石坂宗哲『内景備覧』)もみられたが、「膵」をのぞいて定着することがなかった。しかしここで述べた数例だけでも膵臓という臓器を形態から、原語から、機能からと多方面から一字に表現しようとした形跡が見て取れる。筆者としては、最終的にどういう字が生き残っていくのかと同じくらい、見えないところでどんな悪戦苦闘をしてきたかというところも面白いと思っていて、引き続き「発掘」していきたいと思っている。

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[参考文献]
笹原宏之 (2007) 『国字の位相と展開』
矢数道明 (1960) 「日本に於ける膵臓の認識経過について」日本医事新報1891号,p.55-57

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