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読み物

特別記事

東京国立博物館主任研究員の市元塁さんに、『三国志演義事典』(渡邉義浩・仙石知子 著、2019年)をご紹介いただきました。(刊行の直前にお書きいただいたご紹介文です。)

 


 近年の技術革新は表現媒体の多様化をうながし、これと相呼応して物事に対する関わり方も多様となった。三国志を取り巻く状況も例外ではない。人々はあらゆる媒体を通して三国志とつながり、多様な情報を収集しながら思い思いに独自の三国志像を構築しているのである。このこと自体は、各人の主体的な文化活動ともいえ大いに歓迎すべきことである。しかし他方では、原点との乖離が止めどなく進行するのではとの懸念も拭えない。昨今の状況をこのように推量するとき、『三国志演義事典』(以下、本書)という良質な基礎文献は、三国志の世界にわずかなりとも関心を寄せる全ての人に温かく迎えられることだろう。
 このたび渡邉義浩氏と仙石知子氏の共著として上梓される本書は、二〇一七年に出版された渡邉義浩著『三国志事典』(以下、前書)の姉妹本と位置付けられ、構成や体裁の多くを前書に拠っている。これに加え本書の「第Ⅲ章 魏の人物」から「第Ⅵ章 後漢・西晉の人物」にかけての人物説明では、演義に関わる部分は書体を変えて、正史との違いが峻別できるようになっている。この単純ながらも考え抜かれた配慮により、読者は三国志の世界の重層的な形成過程をも読みながらにして感得するのである。ところで渡邉氏は前書を主観的な事典と位置付けた。本書も基本的にはその方針を貫いているとみえるが、このことは読者が三国志に対する理解を深めるうえでたいへん有効であると私は考える。何となれば、主観的な事典であるからこそ読者もまた自身の内なる主観的な三国志を一度客観的に捉え直すことができ、より深い理解へとつなげることが可能となるからである。
 兎にも角にも高い完成度を誇る本書であるが、なかでも「第Ⅶ章 名場面四十選」と「第Ⅷ章 戦いの諸相」は秀逸である。この両章を紐解くことで、話の推移と人物の相関関係とが見事に整理されるだけでなく、三国志演義そのものの魅力がこの両章に示されているからである。
 評者は東アジア考古学を専門とし、今年の夏に東京国立博物館で開催する特別展「三国志」を担当している。近年、漢三国の考古学調査・研究は目覚ましい成果を挙げており、例えば曹操、曹休、朱然、士燮といった人物について出土文物を通して実像に迫ることが可能になった。また遼東の公孫氏と倭との関係についても新たな物証が出てきている。本展はこうした研究動向をふまえ、後漢時代から西晋時代の文物を中心とした「リアル三国志」の世界を来館者の眼前に再現することを目指す。このような本展においても、展覧会図録はもとより本書のような事典も信頼のおける案内人になると確信する。特別展の鑑賞前にあるいは後に、さらには鑑賞のお供として本書を開いてみてほしい。読者は『三国志演義』とその深層にある正史『三国志』の世界を往還すると同時に、これに出土文物を加えた三国志の実像を垣間見ることができるだろう。

『漢文教室』205号(2019年4月)掲載


『三国志演義事典』
渡邉義浩・仙石知子 著

ISBN:978-4-469-03215-4
A5判・376頁
定価:本体3,600円+税

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