当館では、『大漢和辞典』を始めとする漢和辞典を発行する大修館書店が、漢字や漢詩・漢文などに関するさまざまな情報を提供していきます。

読み物

特別記事

二松学舎大学教授の伊藤晋太郎先生に、『三国志演義事典』(渡邉義浩・仙石知子 著、2019年)をご紹介いただきました。(刊行の直前にお書きいただいたご紹介文です。)

 


 渡邉義浩氏と仙石知子氏による『三国志演義事典』が間もなく刊行される。これまで『三国志演義』(以下、『演義』)の事典といえば、我が師である沈伯俊先生の『三国演義辞典』(譚良嘯氏との共著、巴蜀書社、一九八九年。のちに改訂版『三国演義大辞典』中華書局、二〇〇七年)があったのみで、我が国においては渡辺精一氏による人物事典(『三国志人物事典』講談社、一九八九年。二〇〇九年に講談社文庫版)があるのみであった。このたび日本の研究者による初の『演義』の総合事典が登場することを心より言祝ぎたい。
 ひと口に「三国志」といっても、歴史書である正史『三国志』と小説である『演義』があり、日本でも、本場中国でも「三国志」といえば、意識的と無意識的とを問わず『演義』を指している場合が多い。小説『演義』に含まれる虚構が史実と認識されていることも往々にしてある。それゆえ、最近は『演義』を嫌い、正史に真実を求めることのみを是とする向きが増える傾向にあるように見受けられるが、虚構の存在をもって『演義』が軽視、または無視されることは甚だ残念である。なぜなら、『演義』の虚構の成り立ちや背景を読み解くことこそ、中国の文化や中国人の思想を探究することに直結するからである。評者はこのことを機会あるごとに口を酸っぱくして強調してきたが、なかなか理解されないことに歯がゆい思いをしてきた。
 そこで本事典である。本事典には多くのユニークな特色があるが、中でも特筆に値するのは、全十一章のうち第Ⅲ章~第Ⅵ章にわたる人物小伝と、第Ⅶ章の「名場面四十選」である。人物小伝は単に作品中での設定や行動について解説しているだけではない。『演義』独自の虚構が書体を変えて表記されることで一目瞭然となっている。虚構部分に注目して通読することで、『演義』に結実する「三国志」物語を紡いできた中国人の志向や価値観が浮き彫りになろう。
 そして「名場面四十選」には、どのページを開いても名場面ばかりといわれる『演義』の中から厳選された四十の場面が取り上げられるが、こちらも単に各場面の内容紹介にとどまらない。『演義』の通行本となった毛宗崗本に付された毛宗崗のコメントを手がかりにして、その場面がいかなる思想的あるいは社会的背景や創作意図を持って描かれているかを簡潔かつ明晰に解説する。この部分については、『演義』研究がこれまで版本研究や成立史研究に偏る中、作品内容の研究に正面から取り組んでこの分野を牽引してきた仙石氏の学殖がいかんなく発揮されている。
 他にも触れておきたい本事典の特色はあるが、紙幅が尽きた。上記二つのパートだけでも『演義』の魅力と価値を存分に伝えてくれる。評者もこれまでの溜飲が下がる思いがした。ぜひ広く江湖の読書子、特に最近「三国志」に興味を持たなくなっている若い世代にお薦めしたい。

『漢文教室』205号(2019年4月)掲載


『三国志演義事典』
渡邉義浩・仙石知子 著

ISBN:978-4-469-03215-4
A5判・376頁
定価:本体3,600円+税

『三国志事典』『三国志演義事典』特設サイトへ

 

  • facebookでシェア
  • twitterでシェア