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『戦国策』「漁夫(父)の利」

 「漁夫の利」または「漁父の利」という故事成語があります。第三者が苦労をせずに利益を得るという意味で、現代ではゲーム実況やe-スポーツの場で「漁[ぎょ]夫[ふ]る」と動詞で用いられたり、「漁夫」と名詞で用いられたりもするようです(https://post.gamer2.jp/gyofu/)。言葉は時代にあわせて変化していくもので、故事成語であっても例外ではないということが、よくわかります。ところでこの言葉はどのような文脈で生まれてきたのでしょうか。
 出典は『戦国策』という書物です。前漢(紀元前二〇六年から紀元八年)の劉[りゅう]向[きょう]という人物が、戦国時代(紀元前四〇三年から紀元前二二一年)に書かれた複数の史料から記事を取り出し、国ごとに分け、時代順に並べ直したもので、「漁夫の利」は燕の国の歴史について書かれた部分(燕策)に載っています。まずあらすじをご紹介します。
 趙の国王(恵王)が燕の国を侵略しようとしていました。燕の国としては侵略されては困りますから、恵王に思いとどまらせるため、蘇代という人物を説得に赴かせました。そして蘇代は恵王の前で「漁夫の利」の例え話をします。例え話は、殻を開けてひなたぼっこをしていたドブガイ(ハマグリという説もあります)という大きな貝に、シギという鳥がくちばしを突っ込んだところから始まります。ドブガイは慌てて殻を閉じ、シギはくちばしを挟まれてしまいます。ドブガイが重たいのでシギは飛べませんし、ドブガイはシギを挟み込んでいるのでやはり身動きが取れません。そこに漁師がやってきて、何も苦労をせずドブガイとシギの両方を捕まえてしまったのでした。蘇代は趙の恵王に、シギを趙の国、ドブガイを燕の国に見立てて、両者が争って膠着状態になっているうちに、漁師たる強国秦が趙・燕二国を攻め取るかもしれないことを指摘し、恵王は蘇代の言う通り、侵略を取りやめにしたのでした。
 もし蘇代が説得を焦り、「侵略しないでください」などと正面から頼んだとしたら、よほどの魅力的な交換条件を提示しない限り、恵王の同意は得られなかったでしょう。同意を得るためには話に工夫をしなければなりません。以下にその工夫を二つの角度から確認してみましょう。
 一つは「侵略しない方が自国にとってメリットが大きい」と思わせることです。「漁夫の利」の例え話を聞いていた趙の恵王は、きっとシギが愚かだと感じ、漁師を羨ましいと思ったのではないでしょうか。ところが話を聞き終わったところで、趙の国がやろうとしていることはシギと同じだと気づかされたわけです。目先の利益に判断を誤れば、自国を危険に晒し、漁師に取って食われてしまう。そう気づいたとき、恵王はぞっとしたことでしょう。
 では、もう一つの工夫は何でしょうか。それは恵王に話を聞かせるための工夫です。恵王からすれば、燕からの使者が侵略を阻止しようと説得してくるであろうことは、おおよそ想像がついたでしょう。聞く耳を持たないかもしれない恵王に話を聞いてもらうために、まず蘇代は世間話のように、「今者臣来るに、易水を過ぐ(趙の国に来る途中に川を渡ったのですが)」とそこで見たものについて話し始め、気を引きます。さらにそこから蘇代は擬人法を用いて、シギとドブガイの掛け合いを語ってみせます。台詞の部分を漢文で見てみましょう。

シギ:「今日不雨、明日不雨、即有死蚌。(今日雨[あめ]ふらず、明日雨ふらずんば、即ち死[し]蚌[ぼう]有らん。」
ドブガイ:「今日不出、明日不出、即有死鷸。(今日出でず、明日出でずんば、即ち死[し]鷸[いつ]有らん。)」

 今日も明日も雨が降らなければ死んだドブガイのできあがりだ、というシギの言葉に対し、今日も明日もくちばしを離してやらなければ死んだシギのできあがりだ、とドブガイは言い返します。四文字を三回繰り返しているところ、ドブガイがシギの台詞をそっくりそのまま言い返しているところ、きっと蘇代はリズミカルに面白くこの場面を語ったことでしょう。恵王は交渉のための駆け引きが始まったと気づいても、面白さについつい聞き続けてしまったに違いありません。

 実はこれとよく似た例え話が『戦国策』斉策に見えます。
 魏を侵略しようとした斉の国王に対し、斉に仕える淳[じゅん]于[う]髠[こん]が語る例え話です。非常にすばしっこい韓[かん]子[し]盧[ろ]という犬が、こちらもすばしっこい東[とう]郭[かく]逡[しゅん]という兎を追いかけました。山の周りを三周走り、山を登り、山を降ること五回、両者はともに疲れ果て、倒れて死んでしまいます。そこに通りがかった農夫が労なくして両者を手に入れることになりました。この例え話では、斉が犬、魏が兎で、秦と楚が農夫です。斉の国王はこの話を聞いてこれ以上、軍を疲弊させることが怖くなり、魏の国を侵略することを諦めたのでした。

 この二つの話を見比べると、蘇代が「漁夫の利」で試みた工夫のうち、「侵略しない方が自国にとってメリットが大きい」と思わせるという点は共通しています。しかし淳于髠の例え話では兎も犬もしゃべらず、あの巧みな掛け合いの場面がないので、話の面白さの面では蘇代に軍配を上げたいように思います。つまり、淳于髠に比べ、蘇代の例え話には相手に面白く聞かせるための工夫がいっそう凝らされているといえそうです。
 今にも侵略してこようとする国の王に話を聞かせるための工夫をこらされた「漁夫の利」の例え話は、後世の人々にも、そしてもちろん現代の私たちにも非常に面白いものとして感じられます。だからこそ、同じ内容を持つ淳于髠の例え話ではなく、蘇代の例え話が広く知られることとなり、故事成語として私たちの日常に根付き、さらにはe-スポーツのような最先端の文化の中にまで息づくようになったのではないでしょうか。


『戦国策』燕策
原文
趙且伐燕。蘇代為燕謂恵王曰、「今者臣来、過易水。蚌方出曝、而鷸啄其肉。蚌合箝其喙。鷸曰、『今日不雨、明日不雨、即有死蚌。』蚌亦謂鷸曰、『今日不出、明日不出、即有死鷸。』両者不肯相舎、漁者得而幷擒之。今趙且伐燕。燕趙久相支、以弊大衆、臣恐強秦之為漁父也。故願王之熟計之也。」恵王曰、「善。」乃止。
書き下し文
趙且に燕を伐たんとす。蘇代燕の為に恵王に謂ひて曰はく、「今者臣来[きた]るに、易水を過ぐ。蚌[ぼう] 方に出でて曝す。而して鷸[いつ] 其の肉を啄ばむ。蚌 合して其の喙を箝む。鷸曰はく、『今日雨[あめ]ふらず、明日雨ふらずんば、即ち死蚌有らん。』と。蚌も亦た鷸に謂ひて曰はく、『今日出でず、明日出でずんば、即ち死鷸有らん。』と。両者相舎つるを肯んぜず。漁者得て之を幷せ擒らふ。今趙且に燕を伐たんとす。燕趙久しく相支へ、以て大衆を弊[つか]れしめば、臣は強秦の漁父と為るを恐るるなり。故に王の之を熟計するを願ふなり。」と。恵王曰はく、「善し。」と。乃ち止む。
現代語訳
趙が燕を伐とうとしました。蘇代が燕のために趙に赴き、恵王にこう言いました。「今わたくしがここへ来るときに易水を渡ったのですが、ドブガイがちょうど川から上がってひなたぼっこをしており、シギがドブガイをつつこうとしているところでした。するとドブガイは殻を閉ざしてシギのくちばしを挟みました。シギがこう言います。『今日雨が降らず、明日も雨が降らなければ、死んだドブガイのできあがりだ。』ドブガイもシギに言い返します。『今日解放してやらず、明日も解放してやらなければ、死んだシギのできあがりだ。』両者はお互いに相手を放さなかったものですから、漁師が二匹をまとめて捕まえることができました。さて、今、趙は燕を伐とうとしています。燕と趙との戦いが長期戦になり、人々を疲れさせてしまったら、わたくしは強国である秦が漁師となるのではないか(燕と趙を我が物とするのではないか)と心配しています。恵王様、どうぞよくお考えください。」恵王は「その通りだ。」と言い、出兵を取りやめました。

『戦国策』斉策
原文
斉欲伐魏。淳于髠謂斉王曰、「韓子盧者、天下之疾犬也。東郭逡者、海内之狡兎也。韓子盧逐東郭逡、環山者三、騰山者五、兎極於前、犬廃於後、犬兎倶罷、各死其処。田父見、無労勌之苦、而擅其功。今斉魏久相持、以頓其兵、弊其衆、臣恐強秦大楚承其後、有田父之功。」斉王懼、休将士也。
書き下し文
斉魏を伐たんと欲す。淳[じゅん]于[う]髠[こん]斉王に謂ひて曰はく、「韓[かん]子[し]盧[ろ]は、天下の疾犬なり。東[とう]郭[かく]逡[しゅん]は、海内の狡兎なり。韓子盧は東郭逡を逐ひ、山を環ること三たび、山を騰ること五たび、兎は前に極まり、犬は後に廃し、犬兎倶に罷み、各其の処に死す。田父は見、労勌[ろうけん]の苦無くして、其の功を擅[ほしいまま]にす。今斉魏久しく相持し、以て其の兵を頓[つか]れしめ、其の衆を弊れしめば、臣は強秦大楚の其の後を承けて、田父の功有るを恐るるなり。」と。斉王懼れ、将士を休ましむるなり。
現代語訳
斉は魏を伐とうとしたとき、淳于髠が斉王にこう言いました。「韓子盧は非常に優れた犬です。東郭逡は非常にすばしっこい兎です。韓子盧が東郭逡を追いかけて、山の周囲を三周し、山に五回駆け上ったところ、逃げる兎は前方に倒れ、追いかける犬も後方に倒れて、どちらもその場で死んでしまったので、農夫はこれを見て、苦労もなく犬と兎を手に入れたのです。さて、今、斉と魏との戦いが長期戦になり、兵士や民衆を疲れさせてしまったら、わたくしは、強国秦や大国楚が背後から襲いかかって、先ほどの農夫のように戦功をあげるのではないかと心配しているのです。」斉王はそれを聞いて不安になり、将を退任させ兵を休ませました。


(c)Asako Takashiba,2022

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