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登竜門 魚も猫も竜になる

 今回は「登竜門」という故事成語から、様々なものが竜に変化するお話を紹介したいと思います。「登竜門」を書き下すと「竜門を登る」となります。竜門というのは激流で知られる黄河流域(山西省と陝西省の間)の地名です。
 『後漢書』の李膺[りよう]の伝記(巻六一「党錮列伝」)には、声望のある李膺と親しく交際することを「登竜門」と呼んだとあります(士有被其容接者、名為登竜門)。注釈者の唐・李賢は、魚を用いた比喩だ(以魚為喩也)と指摘したうえで、辛氏『三秦記』を引用し、以下のように説明しています。

 河津、一名竜門、水険しくして通ぜず、魚鼈[ぎよべつ]の属能く上る莫し。江海の大魚、竜門下に薄集すること数千なるも、上るを得ず、上れば則ち竜と為るなり。(河津、一名竜門、水険不通、魚鼈之属莫能上。江海大魚、薄集竜門下数千、不得上、上則為竜也。)

 河津または竜門と呼ばれる一帯は激流で、川の生き物たちなどには遡上することができませんでした。竜門に大きな魚が何千尾と集結したときにも、その激流を登れた猛者はいなかったようです。でもそこを登れたならばその魚は竜になる、と書かれています。
 この引用では「魚鼈之属」「大魚」としか書かれていないのですが、『太平広記』巻四六六「竜門」の項に引かれる『三秦記』には毎年春の終わりに黄色い鯉が遡上してきて、竜門を登りきれると竜になるとあります(毎暮春之際、有黄鯉魚逆流而上、得者便化為竜)。登り切れるのは一年に多くて七十二尾であったとあるので(一歳中、登竜門者、不過七十二)、意外とたくさん竜になれています。前回の記事で紹介したように鮒や鯉が空を飛ぶ話は多く残っていますから、鯉ならば急流を登りきり、空に舞い上がることもできそうだと考えられていたのかもしれません。また、『列仙伝』には、竜の子どもを捕まえてくると言って水中に潜っていった仙人の琴高が、赤い鯉に乗って戻ってきたという話も見えます。その鯉と竜の関係は説明されていないのですが、『列仙伝』の書かれた漢代には、鯉が竜になれることは常識であり、わざわざこの鯉は竜の子だと説明する必要はなかったということなのかもしれません。

 罪を犯し、罰として地上で別の動物になっていた竜が元の姿に戻る、というお話もあります。有名なところでいえば、『西遊記』で三蔵法師を乗せて旅をしている玉竜も、竜王の息子でしたが、火事を起こしたせいで罰として地上で馬とされていました。また、『太平広記』巻四七には、許棲巌[きょせいがん]という男が乗っていた馬が実は太乙[たいいつ]という神仙のもとにいた竜であったという話が見えます。仙界で出会った太乙から、人間世界に戻ったら馬を放すよう命じられた許棲巌が、鞍を外して自由にしてやると、その馬は竜に変身して去っていったと書かれています(出『伝奇』)。

 罰として地上に落とされた竜が、人の姿になっている場合もあります。唐・柳宗元「謫竜説」は光とともに空から降ってきた女性の話です。裏に白い模様のある皮衣をまとい、凝った髪飾りをつけた彼女を、地元の若者がナンパしようとして、激しい怒りを買いました。彼女は、自分が天帝の宮殿に住む身であること、今は傲慢さゆえに罰を受けて地上にいるが、七日経ったら天界に戻ることを述べ、以下のように啖呵を切ります。

今吾は塵土の中に困辱せらると雖も、若[なんぢ]の儷[れい]に非ざるなり、吾復[かへ]れば且[まさ]に若を害さんとす。(今吾雖困辱塵土中、非若儷也、吾復且害若。)

 「私は穢らわしい地上に落とされて屈辱を受けているが、お前たちの仲間になどなるものか、天界に帰ったら殺してやる」との脅しに若者たちは恐れて身を引くことにしました。傲慢さゆえに罰せられていた竜の面目躍如たる啖呵です。彼女は七日後、皮衣を裏返して身にまとい、白い竜に身を変え、空に帰っていったということです。

 鯉が竜になる話と、天界の竜が罰として馬や人の姿で人間世界にいる話以外にも、姿を変える竜の物語はいろいろあります。不思議な話として竹の杖が竜であった話を紹介します。
 「壺中天」の故事で有名な壺公と費長房[ひちょうぼう]のお話です(『太平広記』巻十二「壺公」出『神仙伝』)。仙人の世界で遊んだ費長房は、人間世界に帰るとき、壺公から竹の杖を与えられます。竹の杖にまたがって飛んで帰った費長房が、帰宅後、その杖を見てみると青竜であったと記されています。青い竜が竹の杖に化して費長房を連れ帰ってくれたということなのでしょうか。

 最後にとても短いお話を紹介して終わりにしたいと思います。『太平広記』巻四四〇に見える唐道襲[とうどうしゅう]という人物にまつわるお話です(出『稽神録[けいしんろく]』)。唐道襲は前蜀王朝(九○七年から九二五年)の初代皇帝王建お気に入りの部下でした。ある夏の日、彼が家にいると大雨が降ってきました。彼の飼っていた猫が軒先から滴ってくる雨水にじゃれついています。唐道襲はその姿をじっと見ていたのですが、猫は少しずつ少しずつ長くなっていきます。ふいにその前足が軒先届き、そこへ突然の激しいかみなりが落ち、猫は竜になって去ってしまったのでした。
 この猫がどうして竜になってしまったのかさっぱりわかりません。もともと竜だったわけではなさそうですが、登竜門の鯉のように激流を遡上するなどの努力が報われたわけでも、琴高の鯉のように竜の子どもだったという経緯もおそらくありません。何らかの祥瑞か凶兆だったのかもしれませんが、かみなりに驚いて行方不明になってしまった猫のことを竜になって飛んで行ったのだと、唐道襲が信じたかっただけなのかもしれません。それもまた様々なものが竜になって飛んでいく中国古典世界ならではのことですね。


『後漢書』巻六十一「党錮列伝」李膺
原文
是時朝庭日乱、綱紀頽阤、膺独持風裁、以声名自高。士有被其容接者、名為登竜門。

書き下し文
是[こ]の時朝庭日に乱れ、綱紀頽阤たるに、膺[よう]は独り風裁を持し、以て声名を自ら高くす。士の其の容接を被[こうむ]る者有れば、名づけて登竜門と為す。

唐・李賢注
原文
以魚為喩也。龍門、河水所下之口。在今絳州竜門県。辛氏『三秦記』曰、「河津、一名竜門、水険不通、魚鼈之属莫能上。江海大魚薄集龍門下数千。不得上、上則為竜也」。

書き下し文
魚を以て喩と為すなり。龍門、河水の下る所の口なり。今の絳[かう]州竜門県に在り。辛氏『三秦記』に曰はく、「河津、一名竜門、水険しくして通ぜず、魚鼈の属能く上る莫し。江海の大魚竜門下に薄集すること数千なるも、上るを得ず、上れば則ち竜と為るなり。」と。

(c)Asako,Takashiba 2022

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