人生に効く、ことばの妙薬
日々の暮らし、ビジネスシーン、喜怒哀楽もろもろの局面で活用できる、珠玉のことわざたち。歴史の中で忘れられていた知られざることわざを、会話やスピーチのスパイスに、文章のちょっとした味づけに、使いこなしてみては。
著者メッセージ
クイズから始めましょう。
「餡汁(あんじる)より団子汁」ってなぁーんだ?
団子の汁の方がお汁粉より美味いってことでーす!
残念でした。惜しいけど×に近い△です。字面上の表側の意味は、餡汁は心配するという意味で同音の「案じる」に掛けられ、さらに、これを踏まえて、団子汁の方がよいといっているものです。内側の意味は、くよくよ心配してもなるようにしかならないのだから、美味い物でも食べてゆったりしていなよ、ということになります。どうです。奥が深いでしょ。でも、これはれっきとしたことわざですし、しかも最も技巧に富んだ〈ことわざの優れもの〉なのです。
日本には五万も六万もことわざがあります。その上、古い文献から新しく見出されるものもありますし、外国からも入ってくる上、現在新たに作り出されるものもありますので、その全容はだれにもわかりません。いま、世間に出回っていることわざは多くみても三千程度。そのうち常用されているのは八百くらいと推測されますので、残りの大多数は大きな辞典でしか見られないのです。もちろん、辞典にないものもあります。
多くの人々のことわざに対するイメージは、この八百ほどがもとになっているとみています。そうしたことわざに対しては、ためになる、面白い、うまいこと言う、などと肯定的に見るものもあれば、否定的なものもあります。否定的な見方の一つが、常套文句だとか、決まり文句でつまらないと見るものです。たしかに、いくら奇抜でユニークなことわざでも、長いこと過度に使われれば、手垢にまみれ、陳腐化してしまいます。
ことわざの歴史を見渡せば、「塵も積もれば山となる」のような昔から長く使われているのもあれば、「亭主元気で留守がいい」のように新たに生まれたもの、「目からウロコ」のように外国から入ってきたものなどが交じり合いながら、生成・流転してきています。それ故に、この中に手垢にまみれていない語句が、それこそごまんとあるのです。
本書は、そのごまんとあることわざの中から、選りすぐりのものだけで作りました。選んだ基準は、「冗談とフンドシはまたにしろ」といった言い回しの面白さを第一に、第二に「握れば拳、開けば手の平」のような軽妙で生活に役立つ思想性をもつことわざを、そして第三に、「一年の兵乱は三年の飢饉に劣る」のような強いメッセージを持つもの選定しました。たった二百にも満たないものですが、新鮮なことわざと出会い、おしゃれなことわざとして使い楽しんでもらえれば、ことわざ達も本望だと思うのです。
私は本書での自分の立場を、少し気取って、〈ことわざの伝達使〉としました。伝道師との呼び名も考えましたが、宗教臭い感じと、どこかおこがましいとの思いから伝達使としたのです。命名の根拠は、広大無辺なことわざの海から、ことわざの優れものを見つけ、新しい出会いを待つ人々に伝え、広めるのが役目だと考えたからです。
(「はじめに」より)
本書で紹介することわざの例
►万事休す、お手上げだと思ったとき➜ 櫓(ろ)櫂(かい)の立たぬ海もなし
►自分の好きな道、興味の持てる道を進んでほしいと思ったとき➜ 好きの道に辛労なし
►いつも周囲のために尽くす人に➜ 味噌に入れた塩はよそへは行かぬ
►くだらない冗談ばかりの人に冗談で応酬するとき➜ 冗談とフンドシはまたにしろ
►人間不信で悩んでいる人を励ますとき➜ 世の中の人の心は九分十分
►心配性でいつもくよくよしている人に➜ 餡(あん)汁(じる)より団子汁
►現在の苦労が将来のためになると励ますとき➜ 苦を知らぬ者は楽を知らぬ
►新入社員に説教するとき➜ 猟は鳥が教える
►飲み屋で上司についてグチるとき➜ 芋頭でも頭は頭
►仕事を選びすぎてなかなか就職が決まらない人に➜ 鳥疲れて枝を選ばず
►子育ての方針に迷ったとき➜ 藪の外でも若竹は育つ
►夫婦げんかをなんとかしたいとき➜ 悪かったも勝ったの内
著者紹介
時田昌瑞(ときた まさみず)
1945年生まれ。ことわざ・いろはカルタ研究家。日本ことわざ文化学会会長。著書に『岩波ことわざ辞典』(岩波書店)、『岩波いろはカルタ辞典』(岩波書店)、『図説ことわざ事典』(東京書籍)、『ちびまる子ちゃんの続ことわざ教室』(集英社)、『辞書から消えたことわざ』(角川SSC新書)など多数。ことわざやいろはカルタの作品収集にも携わる。明治大学図書館・博物館に「時田昌瑞ことわざコレクション」がある。
※著者紹介の情報は書籍刊行時のものです。